「熟年離婚」
あの渡哲也だって離婚される...これは、この秋はじまったテレビドラマの話だが、渡哲也が扮するサラリーマンが定年を迎えた日に、突然長年連れ添った妻から離婚を言い渡される。家族のために仕事一筋で頑張ってきたのになぜ?というわけだ。このドラマの主人公より、1年ほど前に定年となった身だが、何やら家庭の雰囲気がよく似ているので、ついテレビに見入る。
長年仕事にかこつけて、家の用事は何もしない、子供の教育も女房に任せっぱなし、あげくに齢をとったお袋を引き取ったはいいが、これまた世話は女房に任せきり(全部筆者の話)。これでよく30数年、夫婦で居られたものだと、我ながら感心するが問題はこれから。
先日、ある雑誌で、今、しきりに話題になっている“「2007年問題」のいったい何が問題なのか?”というのを読んだ。「働き手」が減り、経済成長が縮小、医療・介護費用が増加、年金受給者が増え、年金制度がもたないなど、いろんな問題が指摘されている。ただ、よくいわれる団塊世代の大量リタイアによる「技能の継承」の問題は、若手を熟練技術者の下につけ、マンツーマンで教育するシステムを徹底し、現場レベルではおおかた対応が済んでいるそうだ。
ほんとうの2007年問題は、「退職後の家庭生活」という。団塊世代では、男性より先に、女性たちが子育てをリタイアして、彼女たちの生活スタイルができてしまっている。そんな中に、男性が定年になりましたから、今後ともよろしくとはならないらしい。たしかに、女房をみていても、趣味の音楽とやらを通じて、仲間をつくりボランテア活動で活き活きの様子。今さらとても、彼女たちのライフスタイルに割り込むのは無理な話で、それこそ無理すればテレビドラマじゃないが「熟年離婚」と相成る。
とすれば、団塊世代の男性は、いかに妻たちのライフスタイルに割り込まず、定年後の自分の生活を確立するかが、問題解決のポイント。そんなことは百も承知。以前から、家庭菜園をやってるが草むしりには手を焼く、油絵も描いてはみるがとんと上達しない、ゴルフは長いことやっているが、藍ちゃんや、さくらちゃんの半分しか飛ばない。これではとても自分の生活の確立どころではない。所詮、男は働き蜂。堺屋太一さんのいう、「年金兼業型労働者」として、家(これも自分で建てたつもり?)を出るしかないか...。(だだっ児)
(2005.11.11)