|
||||
コラム |
「祖国とは国語」 正月4日、久しぶりに東京に出てきた郷里の先輩に会った。自製の名刺には「サッポロビール会」会員、「全国樺太連盟」会員とある。かっては、ゴルフの手ほどきをするほどの腕前だった人だが、今はゴルフも止め(理由不明)、「酒はビール、オンナは女房」に徹しているそうだ。この先輩は家族を東京に置きながら、郷里の北海道で一人、母親の世話をしている。「全国樺太連盟」会員とあるように、樺太からの引揚者。終戦時5、6歳。お父さんとは離れ離れになり、母と先輩は引揚げまで数年を要したとか。母親の世話は、子一人のため「選択の余地なし」というが、その原点は引揚げ時の母親の苦労をみているからだと思う。私事になるが、自分が母親を引き取ったのは、母が80歳に手の届く頃。住み慣れた郷里からそれこそ首に縄をかけるようにして連れて来たはいいが、たった5年ほどで亡くす始末。 なぜ、同じ人間にこんな差がでるのだろう…? 生まれ、育ち、環境? その答えが藤原正彦さんの「祖国とは国語」を読んでみつかった。藤原先生は、人間としての基本は、家族愛、郷土愛、祖国愛、人類愛の「4つの愛」からなるという。どうやら、先輩との違いはこの家族愛、郷土愛の薄さ、いやもっと決定的な違いは、先生のいうこれらの素となる「国語力」の差なのかもしれない。 藤原先生の略歴をみると、数学者で作家・新田次郎と藤原ていの次男とある。藤原(新田次郎の本名)一家も満州からの引揚者。数学者でありながら「小学校における教科間の重要度は、一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数、あとは十以下」、「国家の浮沈は小学校の国語にかかっている」とまでいう。 その理由は、「国語は論理を育み、情緒を培い、知的活動・教養の支えとなる読書する力を生む。不況が何十年続こうと国は滅びないが、国語力の低下は確実に国を滅ぼす」なのだそうだ。たしかに教養のない、大局観の無い(失礼)国のリーダーが「改革改革」と叫んでみても、そして国家を構成する人々の国語力・教養が低下していては、また、誰かのように老親一人みれぬ心映えでは、何をか言わんということになろう。 という訳で、すっかり藤原先生のファンになった。「声に出して読みたい日本語」の齋藤孝さんが、解説で「ああ、この人に文部科学大臣になってなってもらいたい」と言っているが、いやいっそう総理大臣になってもらいたいものだと、つくづく思うのです。 (だだっ児) |
(2006.1.18) |
特集企画 | 検証・時の話題 | 論説 | ニュース | アグリビジネス情報 | 新製品情報 | man・人・woman |
催しもの 人事速報 | 訃報 | シリーズ | コメ関連情報 | 農薬関連情報 | この人と語る21世紀のアグリビジネス | コラム | 田園交響楽 | 書評 |
||
社団法人 農協協会 | ||
|