「強いアメリカ」の幻想
「様になる」という言葉がある。辞書を開くと、意味の1つに「着こなしが様になっている」がある。日本人の俳優に侍と兵隊の役をやらせば、誰しも「様になる」と聞いたことがあるが、とりわけ、年末・年始のテレビでは侍姿、時代劇のオンパレード。「堀部安兵衛」、「明智光秀」、「白虎隊」、なかには、10時間もの長時間時代劇「忠臣蔵瑤泉院の陰謀」まであった。
このうち、脚本・内舘牧子さんの「白虎隊」に2晩つきあったが、冒頭、登場人物に現代の洋装姿をみせてから、その時代に戻るという手法をとっていたが、男性陣の侍姿も女性陣の着物や髪形に何の違和感もない。極めつけは、先日観た映画「武士の一分」の木村拓哉の侍姿。山田洋次監督は、盲目となるこの武士に美しさを求めて起用したというが、キムタクは生まれながらちょん髷を結っていたかのように、よく似合う。まさに、はまり役。
ところで、日本が時代劇なら、アメリカは西部劇。しかし、西部劇はジョン・ウェインなどの大スターが亡くなってから、銀幕ではとんとお目にかからない。なぜ、日本ではいまだ時代劇が盛んで、西部劇は衰退したのだろう。一つには、時代劇には遠い舞台を借りながら、現代人が忘れてならない“日本人像”を丹念に描く、あるいは、昨年のNHKテレビ「純情きらり」(時代劇ではないが)や大河ドラマ「巧名が辻」の大石静さんや、先の内舘牧子さんなど、とくに女性脚本家たちが、ドラマを通じて「戦や戦争の非」を視聴者の心の奥深く伝えるところに、人気の秘訣があるように思う。そうでなければ、いくらキムタクが髷を結ったところで、だれが映画館に足を運ぶだろうか。
一方、西部劇の衰退は、それがかつての日本のチャンバラ劇のように、ガンプレーや、勧善懲悪の域を超えなかったからではないだろうか。先に、ブッシュ大統領は2万人規模のイラク増派を決定したが、大統領の顔をよくみると、テレビ「拳銃無宿」のスティーブ・マックィーンじゃないが、カーボーイハットが似合いそう。ひょっとすると、現代のアメリカは、西部開拓時代の「強いアメリカ」をそのままイラクや世界中に押し売りしているのかもしれない。
でも、ブッシュさん、カーボーイハットは映画だけでいい。早いところ、イラクから兵隊さんを撤退させてください。安倍さん、よもや憲法を改正して、国民を日本人のよく似合う兵隊さん姿にするんではないでしょうね。(だだっ児)