ハンカチ王子
だいぶ前になるが、毎日新聞のコラム「余録」で、青少年に野球は有害か、有益か―明治時代の野球害毒論争とやらで、かの「武士道」の著者・新渡戸稲造は有害論を論じたというのを読んだ。その理由は野球はいつも相手をペテンにかけ、ベースを盗もうと神経を使う、いかにも米国人向けの遊びというわけだ。
新渡戸博士のこの野球観は「野球=巾着切りの遊戯」論として名高い奇論だそうだ。ただ、博士は米国人が透明なルールとフェアプレーを好む点を見逃しているとも書かれている。たしかに、大リーグでは、大差で勝っている試合で、盗塁をしても認められなかったり、引き分けはなく、勝つか、負けるか、決着がつくまで延々と行われる。また、シーズン終盤戦、日本のように気の抜けた消化試合はなく、ワールドチャンピオンを決めるまで、次々と試合が行われファンを飽きさせない。
この日米野球観の違いというか、日本の場合、今、新渡戸博士の指摘のとおり、青少年、いや日本人にとって野球は有害だったのではと思われる事件が頻発している。プロ野球の西武ライオンズのアマチュア選手への金銭供与問題、アマ監督らへの裏金、最高標準額を大幅に超える契約金や年俸、高校・大学のスポーツ特待制度などなど。これら相次ぐ不正事件をみると、野球界も含めて、談合や天下りに象徴される日本社会の構造が昔と何ら変わっていないことに気付かされる。
でも「捨てる神あらば、拾う神あり」。昨夏、「ハンカチ王子」で一躍有名になった甲子園大会の優勝投手・斉藤佑樹君が東京六大学野球の開幕戦でデビュー。近い将来、神宮の杜に「4番ピッチャー、斎藤君」が木霊し、この腐った日本の野球界を救ってくれるかもしれない。彼は父親から「人生に9回満塁逆転ホームラン」はない、と地道に生きることを教育され、自分の意志で、プロよりも学生野球を選ぶ。学部も教育学部、目指すは「文武両道」とか。これなら新渡戸博士さんも、野球有害論は言わないだろう。それにしても横山秀夫の小説「出口のない海」に描かれる、死地に向かう特攻隊の元野球選手の時代と違って、思い切り野球のやれる時代。なのに「ハンカチ王子」にしか頼れない今の野球界って一体何だろう...。(だだっ児)