プリンシプルな男
「白洲次郎」、この映画俳優のような名前を最近書店でよくみかける。本の表紙に写るジーパン姿の端正な顔立ちのこの男は一体何者、何をしたのだろう?と気になっていたところ、5月4日付の日本農業新聞のコラム「四季」に登場し、やっと知った。後世のジャーナリストから「日本国憲法誕生の生証人」といわれる人物だという。
この白洲次郎が産婆役をつとめた日本国憲法は、施行されてから60年、「還暦」をむかえた。しかし、ここにきて、やれ、押し付けだ、時代にそぐわないなど、改正論議が頭をもたげている。いうまでもなく、この憲法は、戦争の放棄を定めた第9条が最大の特色をなし、「戦争なき世界」という人類の理想を謳った世界の憲法史上でも稀な存在。
日本はこの憲法のおかげで、60年もの間、戦争のない平和の時代がつづいた。だが、今の日本は、この憲法のかかげる理想は、現実とそぐわないとし、先には防衛庁を省に格上げ、憲法改正手続法たる国民投票法案を国会に提出するなど、「戦争する国」へとひた走る。アメリカはアメリカでこの崇高な憲法を押し付けながら、あちこち戦争を仕掛け、今はイラク戦争の泥沼の渦中にある。太平洋戦争以降、戦争の当事者である日米両国は、物質的には豊かになったものの、人間的というか、精神的には何ら成長していない証のように思う。
先の白洲次郎は、「プリンシプルな男」ともいわれる。日本流にいえば、「筋を通す男」となろうが、敗戦後、連合軍総司令部(GHQ)との憲法草案のやり取りでも、イギリス留学で身に付けた流暢な英語で、一歩も引かず渡り合ったという。この男が今の現状をみるなら、日本には「アメリカの言いなりになるな。筋を通して堂々とやれ」、アメリカには「お前の国は何をしている。この憲法を熨斗をつけて返そうか」、と啖呵をきったことだろう。
もう一人、筋を通せ(?)と主張する、「あの戦争は何だったのか」(新潮新書)の著者・保坂正康氏も、日本という国は、あの戦争もそうだが、何をするにも戦略、思想や理念といった土台はあまり考えずに、戦術のみにひたすら走る、弱くて、狡い国民的な性格だという。たしかに、この国の農業一つみても「この国の食を、農業をどうする」という、戦略がなく、気がつくと食料自給率はたったの40%。今にこの国の国民は飢える。ましてや、憲法改正なんて、笑止千万。白洲次郎さん、そうですよね…。(だだっ児)