がんばれ!アフガニスタン
今回はなんとなんと、あっと驚くアフガニスタンからの原稿なのである。農協新聞の編集者と話した結果、締切日はアフガニスタンの試合の日。ということはすなわちこの原稿はアフガニスタンで書いているのだ。
試合は本当に行われたのだ。史上初の「アフガニスタン友好プロレス」。当初の予定ではオリンピックスタジアム(3万人収容)だったのだが、カルザイ議長を狙った暗殺事件やアルカイダの残党の動きが激しく、今回はアフガニスタン国軍の基地内での試合となってしまったのだ。
やっと試合会場が決まったと思ったら、またまたトラブル発生。日韓共催ということで、韓国からもレスラーが来ることになっていたのだが、ビザ発行と飛行機のアクセスがうまくいかず、土壇場でキャンセル。これには本当に困り果ててしまった。
急きょ俺は1日3試合するハメになってしまった。第1試合目は謎の中国人・ラーメンマン。2試合目は大阪・南港沖から甦り、中国からシルクロード経由で俺のピンチを助けに来た大仁田の化身、グレート・ニタ。メーンイベントは、素顔に戻って大仁田厚。大歓声のもと、子供たちはニコニコしながら「頑張れアフガン」の大合唱の中、感動のフィナーレを迎えた。
翌日、教育制度が改革された学校を訪ねてみた。薄暗い校舎の中でノートの代わりに小さな黒板を手に持ち、一生懸命に真剣なまなざしでみんなが勉強している。1人の子に「学校は楽しいか?」と尋ねると、まわりの子供たちも聞いていたのかいっせいに「大好きです」と声を揃えて答えていた。
同行者の矢口選手(プロレスラー)と子供たちにボールペンとノートを配っていると、その中の1人がボールペンを返してきた。不思議に思って通訳を通し「これは君のだよ」と問いかけると、「僕は2本もらったから、1本お返しします」と言うではないか。“素直”という日本語があるが、どこか今、日本の子供たちにこの素直さが残っているだろうかと、ふと考えてしまった。
子供たちを教えていた3人の女性教師が真剣なまなざしで僕たちに「この子たちが未来のアフガニスタンをつくるんです」と訴えかけてきた。教師の人たちは真剣に子供に向き合い、子供たちもその真剣さを感じ取って教師たちと正面から向き合っている。僕はなにか、とてつもなく、日本に欠けているものを感じながらも学校を後にした。
アフガンのブドウ畑にはまだまだ多くの地雷や、米軍の落としたクラスター爆弾が何十万個と埋まっている。今のスピードでは完全に撤去するまでに10年はかかると言われている。現金収入を得るためにはやむをえないのだろう。カブールの外では麻薬の元になる、芥子の花が咲き乱れていた。
世界各国から、NGO(非政府組織)が入って農業指導にあたり、お茶の栽培などに切り替えようとしている。芥子の花畑で働いていた少年に聞いてみた。「学校に行かないの?」。すると少年は「行きたいけどこれが僕の仕事だから」。この小さな子供が現実と未来の狭間で一生懸命生きようとする姿に、俺は大きな声で叫んだ。頑張れアフガニスタン。