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コラム  大仁田厚のファイヤー農業革命


店頭の「おにぎり」に戦後日本の縮図がみえる

 最近、おにぎりがブームになっている。コンビニやスーパーの売り場をのぞけば、おにぎりだけで1つのコーナーが設けられていたりする。
 1個300円ぐらいする高級おにぎり(?)なるものが売られているのを初めて目にした時は正直、驚いた。「何でおにぎりがこんなに高いんだ!?」と、思わず俺は店員のアンチャンに詰め寄ってしまったのだった。
 コメをはじめ中身の具はもちろん、海苔まで厳選した素材を使い、あえてこの不況の時代に高いおにぎりが売られている−−いや、高いと言っても、せいぜい何百円の話。せめて、おにぎり食べる時ぐらいケチケチせず高級感を味わいたいということかも知れないが、どんなにコメ離れが叫ばれていようとも日本人の中にはコメ好きのDNAが組み込まれているのだろうと改めて痛感する。
 その反面、おにぎりが店頭で売られているのが当たり前のことになっている事実に、国が工業と貿易ばかりに力を入れ、減反に次ぐ減反を推し進めてきたひずみを感じてしまうのである。
 だって、そうじゃないか。本来、おにぎりは家で手軽に作れる食べ物の代表格だったはずだ。まさに“おふくろの味”というヤツだろう。それが今や、おにぎりさえもが大量生産されて店頭に並べられているのだ。
 去年の暮れ、おふくろのところへ行った時のこと。不意に空腹を感じて「腹すいたけん、何か作ってくれんね」と九州弁で頼んだ俺に、おふくろが用意してくれたのがおむすびだった。
 具も何もなく、ただ塩をまぶしただけだったが、おふくろの握り飯を食べたのなんて、10年ぶりぐらいだろうか。いや、もっと長らく食べていなかったかも知れない。とにかく、その塩むすびを俺はお茶を啜りながら、ありがたくいただいたのである。
 そうしたら、おふくろの握り飯を食べているうちに、子供の頃の運動会の情景が脳裏に浮かぶのだった。徒競走でビリになっても、棒倒しや騎馬戦で泥んこになってヒザ小僧を擦りむいたって、昼休みにおふくろの握り飯を食べれば元気百倍。また午後の種目も頑張ろうという気になったものだ。おふくろの握り飯は冷えていても温かかった。
 現在、学校教育の中で「手をつなごう」というスローガンが掲げられ、運動会でも順位を付けなかったりしているが、運動の得意な子も不得意な子も、ビリにはなりたくなくて、できれば1等になりたくて一生懸命になるんじゃないのか。そして1等になってもビリになっても一生懸命やってこそ、昼の弁当の味も格別になる。騎馬戦や棒倒しのどこがいけないんじゃ!?
 話はそれてしまったが、誰でも簡単に作れるはずのおにぎりすら店で買うものになってしまっている現状には、戦後この国が歩んできた歴史の縮図を見る思いである。
 国は減反減反で田畑を住宅地などに変えていったが、貿易貿易で何でも外国から買おうというのか。オゾン層の破壊など地球環境の危機が叫ばれる中、いつまでも国際社会が食糧を供給してくれると思ってはいけない。
 資源の乏しい日本は、自給自足できるぐらいの農業国にならないと死滅してしまう恐れさえある。狭い農地を有効に活用して二期作を行ない、二毛作を行なってきたのが日本の農業だ。ここで今一度、原点に立ち返って、新時代の農業を創るために予算を割き、研究をし、新しい人材を育てなければ、この国に未来はないだろう。 (2003.2.10)


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