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コラム ―― 農民は考える
食べ物の安全性

 民法テレビの女性アナウンサーは、すっかりタレントになっているようだ。NHKの女性アナウンサーもこの影響を受けたのであろうか。最近、タレント気取りで個人の意見を平気で口にする。
 この内のひとつだが、「食べ物は、おいしくて、安くて、そして安全なものが良い」と、NHKTVで、公共放送で、アナウンサー個人の意見を喋っていた。
 たしかに、今の日本人の多数は「おいしくて、安くて、安全なものが良い」という人達なのでしょう。だが、何10年か前はそうではなかったハズだ。
 「安全なことが確認されない限り、食べ物にはしない」という大原則が崩れてから何年になるのであろうか。疑わしきは、食せずである。
 「有害であることが、立証されない限り、“安全”だからたべてもよい」ナンテ、非科学的なことを言うようになったのは、ここ30〜40年でしょう。
 食べものは第1に安全でならねばならない。第2も、第3も安全である。おいしいかどうかは次、安いか高いかはその次である。
 この「安全なことが確認されない限り、食べ物にしない」という大原則を捨てたことが、日本人の道徳感とか、責任感とか、倫理観というものをなし崩しにした、大きな原因のひとつであると考えるようになった。
 「おいしくて、安くて、安全」……つまり、食べものの安全性は3番目でよいということは、人間の「いのち」ナンテ2の次でよいという考え方である。
 人間の「いのち」より、そのときの快楽を優先し、カネ勘定を優先する考え方から、倫理感なぞ生まれてこないからである。
 人間の身体は自然そのものである。身土不二であり、医食同源である。食の安全を軽視することは、身体を軽視することになり、その先は「いのち」を軽視することになる。
 身土不二を、医食同源を否定する人はいないでしょう。食の安全を否定する人もいないでしょう。でも、無農薬8000円の米と、通常栽培3000円の米がならんでいれば、「そうはいってもネェー」とほとんどの人は3000円の米を買う。このことは、「そうはいってもネェー」と、一万円もらって投票することと同じ行為である。
 「安全なものを食べる」この当たり前のことをキチンとやることが大切なことである。人生80年で当たり前のことをキチンとやること、それ以外なにもやることはないとさえ考える。
 韓国は5年前(?)から、減農薬、減化学肥料を柱とする農業基本法になったとのこと。また、韓国の多くの農協は、その建物に「身土不二」の垂れ幕を下げているとのこと。
 日本も、ひと昔前に戻って、「安全なことが確認されない限り、食べ物にしない」ことを大原則とする農政になってもらいたいものだ。協同組合も、この大原則を柱にしないと、生き残れないのではと思う。(岩手県東和町在住・渡辺矩夫)


農業協同組合新聞(社団法人農協協会)
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