INDEXにもどるトップページにもどる 農業協同組合新聞社団法人農協協会農協・関連企業名鑑
この人と語る 21世紀のアグリビジネス

「安全を売る」に徹して
「環境問題」を追い風に売上げ伸ばす

   
国際衛生(株)

社長   岩間辰郎
インタビュアー:坂田 正通 (農政ジャーナリストの会会員)
 国際衛生の旗印は「環境衛生の総合企業」だ。農業分野では農業倉庫やカントリーエレベーターなどの防虫管理に取り組んできた。最近は害虫発生を予察し、予防する害虫管理支援システムの普及に努めている。殺虫剤の製造でも高い技術を誇るが、最近のヒット商品には殺虫作業のロボットがある。昭和電工グループの連結決算会社の中でもユニークな存在で、文化財を虫害から守る仕事などもしている「個性派」だ。岩間社長の経歴もユニークで、昭電時代は無機化学関係の仕事だったが、今は環境衛生関係に打ち込んで、国際衛生の業績を伸ばしている。

岩間辰郎氏

世界文化遺産を守る仕事も

 −−『国際』という社名にはどんな由来があるのですか。

岩間  「戦争直後、駐留軍の施設や軍艦、車両を消毒する仕事をしたことに由来します。会社設立は昭和21年ですが、前身は戦前の日本除虫研究所です。52年に昭和電工グループに入り、平成11年に実質的に昭電の100%子会社であるエス・ディ−・エス バイオテックの100%子会社となりました」
 「国際的といえば、世界文化遺産を守る仕事もしています。文化財の虫菌害防除です。39年に奈良正倉院宝物殿、東京・芝増上寺、平泉・中尊寺金色堂などの燻(くん)蒸を始め、その後、京都・南禅寺もやりました。41年には防殺虫剤の『パナプレート』を開発し、これは(財)文化財虫害研究所から虫害防除剤に認定されました」

 −−意義深いお仕事です。

岩間  「お寺の仏像をはじめ、博物館や名家などが所蔵する古文書や襖絵、屏風絵などの虫食いも防いでいきたいと思います」

岩間辰郎氏
(いわま・たつお)
昭和15年2月三重県生まれ。
名古屋工業大学無機材料工学科卒業。
昭和38年昭和電工(株)入社、
57年セラミック事業部開発部次長、
61年大阪支店無機機材部長、
63年本社アルミナ事業部アルミナ営業部長、
平成3年同事業部とセラミック事業部と合併
参与セラミック事業部第1営業部長、
5年営業部を統合、参与セラミック営業部長、
8年昭和電工(株)人事部嘱託、
PT.HYMOLD INDONESIA社長、
9年昭和電工石油化学総括部嘱託、
HMI社長、10年国際衛生(株)顧問、
同年12月同社社長。

 【国際衛生(株)】
▽東京都港区海岸2−3−7〓03−3451−3211
▽工場・研究所各1(東京・赤羽)
▽営業所9(全国)
▽資本金4500万円(昭和電工子会社の
エス・ディー・エス バイオテックの全額出資)
▽従業員95人。

吊り下げ型殺虫剤の代名詞『パナプレート』

 −−パナプレートとは、どういう薬剤ですか。

岩間  「ジクロルボス(DDVP)という殺虫剤を樹脂に練り込んだ蒸散剤です。そのプレートを天井や壁などに吊り下げておくと成分が気化し、空気中に広がって害虫を殺します。効力は屋内で約3ヵ月です」

 −−ぶら下げるだけとは実に手軽ですね。人畜への影響は?

岩間  「じわじわと揮散しますから人畜への影響はほとんどありません。それに残存性や吸着性の少ないのが特徴です。一方、気化成分は、わずかな隙間にも及びますから、隠れた害虫にも効きます。予防効果もあります」

 −−対象となる害虫は?

岩間  「パナプレートには医薬用、農薬・樹木用、文化財用の3種類があります。いずれも害虫の中枢神経を麻痺させて死に至らしめる効果があります」
 「医薬用はハエ、カ、ゴキブリを退治します。農薬用は農業倉庫で使う場合はコクゾウ、メイガ類などを、また温室やビニールハウスではアブラムシ類やダニを殺します」

 −−文化財用はユーザーが限定されますね。

岩間  「そうです。文化財保護は、わが社の仕事の1部に過ぎません。パナプレートは非常に幅広い分野で利用されており、わが社の主力商品です。とにかく吊り下げ型殺虫剤の代名詞になっている商品で、年間約250万枚が出回っています」
 「ユーザーを大別しますと、医薬用は一般家庭、オフィス、ホテル、食堂、食品工場などです。吊す個所も厨房、ゴミ箱、浄化槽など様々です。一方、農薬用はJAや経済連の農業倉庫やカントリーエレベーター(CE)の利用ですね。樹木に使う場合は、枝に吊しますが、効力は2ヵ月です。戸外ではやはり期間が少し短くなります」
 「販売は、家庭用が薬局ルート、農薬・樹木用は系統、それに商系ですが、さらに新規ルートとしての商系を開発しています」

注目を集める殺虫ロボット

 −−その他の商品展開とか、ヒット商品はいかがですか。

岩間  「パナプレートの弟分でベーパーセクトを組み込んだ『ベーパーセクト&ウイズ』という殺虫ロボットがあります。無人となる夜間にタイマーで作動し、ゴキブリなどを退治します。夜間稼働なので経済的で、人体にも影響しません。ファンで殺虫ガスを放出し、隙間の害虫まで確実に駆除する、コンパクトなシステムです」
 「すでにレンタルで6万台が稼働中ですが、昨年、新機種のデモンストレーションで数1000匹のゴキブリを使用してその殺虫効力が注目を集めました。今年は一気に10万台達成を目ざして市場開拓努力をいたします」

専門家の比率が高い陣容が自慢

岩間辰郎氏  −−事業内容を整理していただくと、どうなりますか。

岩間  「殺虫剤および関連器材の製造・販売と、防虫管理です。全国の9営業所で防虫管理を中心とした仕事をしています。内容は燻蒸と消毒、その他環境衛生管理作業全般です。取引先には食品関連会社の多さが目立ちます」
 「防虫サービスの会社でありながら工場や技術研究所を持っており、さらに大学で昆虫学を専攻した専門家20数名を各営業所や研究所に配置している陣容が自慢です。全社員が95人ですから、非常に高い比率で専門家がいるわけです」

 −−売上高は?。

岩間  「雪印乳業問題から防虫管理への関心も高まり、昨年後半から前期比10%近く売上げが伸びており、今期(9月期決算)は20億円を超えそうです」

 −−安全・環境問題が追い風になっているようですね。

岩間  「『安全を売る』会社としてクリーンな環境づくりに一層努めます。オゾン層破壊の心配がある臭化メチルが2005年に使用禁止になりますから、いち早くリン化アルミニウムを使ったフミトキシンという代替剤を発売し、燻蒸に用いています」

農業倉庫やCEへPMSSを開発

 −−農業倉庫やCEの保管管理手法も変わってきますね。

岩間  「ええ、減農薬米や有機栽培米が増えてくることもあるし、化学物質を使った防虫管理は減少する方向にあると思います。品質保持と管理コストの低減を図る上から、害虫発生前の予防が求められます。このため害虫管理支援システム(PMSS)を開発して3年前から農倉基金の協賛で研修会を開くなど殺虫剤使用を減らすことに努めています」

 −−どんなシステムですか。

岩間  「予防の前提は発生予察ですから、事前調査をします。調査器材は、コクゾウを粘着板で、またメイガ類をフェロモンで捕捉するなどのトラップ(わな)を使います。そうした手法を駆使した発生予察によって初期の予防処置を実施します」
 「単協の合併や全農と経済連の統合で倉庫管理の効率化がますます求められますが、そのような観点からもPMSSは日本農業のお役に立つと思います」  「ちなみにネズミ用の粘着板トラップも製造販売しています」

岩間辰郎氏 日本農業は途上国の追い上げを見通すことが必要

 −−さて、日本農業の今後をどうみておられますか。

岩間  「私は昭和電工の出身で、国際衛生にくる前に、昭電からインドネシアに派遣され、テレビのキャビネットを現地生産する工場を立ち上げました。その時の観察では、もし、この国の農業が発展し、農産物輸出国に転じたら、日本の農業は大変なことになると思いました」
 「とにかく国土は広大で、年間に何回でも農産物を収穫できる国だし、品目も豊富です。しかし現状は日本農業のかなり以前の状況とそっくりで、生産性が低いと思われます。だから、日本から肥料、農薬、農機をはじめとする農業技術を導入して生産性を上げたら、とてつもない生産力に達します。それを輸出に振り向けたら、今騒いでいる中国からの輸出急増問題と同じようなことが起きると思われる」

 −−保冷技術など物流面も進歩していますからね。

岩間  「日本農業は、国際化の中でそうした途上国の開発や追い上げも見通す必要があります」

 −−最後に、ご趣味のことを語って下さい。

岩間  「農家出身のせいか趣味は園芸です。近所の農家から100平方メートルほどの畑を借りて季節のものを作っています。それから鉢植えの花木も楽しんでいます。種類が多いのですよ。ほかには釣りとゴルフです」。

 −−ではどうも貴重なお話をありがとうございました。


インタビューを終えて  岩間辰郎社長

 岩間さんの実家は三重県亀山市の農家。長男が農業の後を継ぎ現在でも五町歩を耕す農家。そのお兄さんにインドネシアの農業を視察してはと勧めているのだという。美しい棚田あり、苗代、田植え、稲刈りなど昔の日本と同じで全て人手で農業をやっている。
 人参、枝豆、米、スイカ、カボチャ、ピーマン、とうもろこし、タピオカなどほとんど日本にあるものを作っている。どれも日本の10分の1以下で安い。インドネシアの人口2億人の60%が農民で、日本のかなり以前の農業がそのまま見られるからと。
 一方、弟の岩間さんは昭和38年に大学を出て長野県塩尻市の化学工場に入社。日本の高度成長を歩む。工場で当時造っていた肥料の石灰チッソ、鉄鋼炉向けの耐火材や研削研磨機、アルミナなど重厚長大ものの生産は今では中止又は減産、現在はエレクトロニクスや精密加工材などに製造はシフトして来ている。その延長線上に、円高による日本企業の東南アジアへの工場移転がある。岩間さんは転勤を何回か繰り返しインドネシアで現地社長を勤め帰国、現在のポジションに転籍している。
 趣味はゴルフ、園芸、釣り。インドネシアでは年間88回コースを廻ったこともある。日本と違って熱いから午前中だけプレーする。今は畑を借りて野菜つくり、家では80鉢の水遣りに忙しい。シーズンにはサビキ釣りに熱中。息子さん2人はそれぞれ独立。    (坂田)