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この人と語る21世紀のアグリビジネス


 商系と農協系は補完関係、経済合理性の追求を強調
農産物は買い手市場 輸入国の主張を明確に

パシフィックグレーンセンター(株)

代表取締役社長 末木達二
 
 
 丸紅グループの同社は、輸入した穀物、油糧、飼料原料を国内各地へ安定供給している。畜産業との関係が深いが、不況の中で経営環境に明るい材料は見当たらない状況だ。このため末木達二社長は「市場の要求に応えていく知恵と工夫が必要だ」と経済合理性の追求を強調。そして「農協系統と商系の垣根が低くなっているから、お互いに協力し、補完し合う分野が増えていると思う」と期待を寄せた。一方、食料安保やWTO農業交渉の問題にからんで「今は農産物の買い手市場なのだから、輸入国日本としては輸出国アメリカにものがいいやすいはずだ」などと指摘した。
インタビュアー:坂田 正通 (農政ジャーナリストの会会員)
末木達二 氏

真冬の時代のなか マーケットニーズに合わせ変身中

 坂田 社長は丸紅におられた時も穀物担当だったのですか。
 末木 若い時はそうでした。その間、10年間は米国滞在でした。
 坂田 どんなお仕事で?
 末木 主として小麦・大麦を日本はじめ各国へ輸出する現地会社の設立に参加し、その運営に携わってきました。
 坂田 商社には「冬の時代」といわれた時代もありましたけど、今はどうですか。
 末木 私が入社したころ、商社斜陽論から無用論まで出ましたが、その後の商社は世の中の流れに合わせて今日まで来ました。ところが今また「真冬の時代」ですよ。政治も経済も大変革を迫られています。商社としても、マーケットのニーズに合わせて変身を図っている最中です。
 坂田 食料部門でいえば、どんな方向を目ざしますか。
 末木 食料流通は川上、原料分野が主体で成り立ってきましたが、今は買い手市場であり、これを煎じ詰めると川下、リテールの時代です。丸紅も、投資を含め新しい道を開拓中です。

100店舗100億円売上げの天丼屋てん屋

鹿児島県の南日本支社のサイロ群
鹿児島県の南日本支社のサイロ群
【会社概要】
昭和42年創業。資本金6億2950万円。主な事業は港湾運送業、倉庫業、通関業、その他。主な取り扱い品目はトウモロコシ、マイロ、麦類、大豆、菜種、大豆かす、ペレット類、ふすまなど。前期決算は営業収益59億2000万円

 坂田 丸紅グループが川下展開している天丼屋の「てん屋」についてお聞かせください。
 末木 丸紅の出資が6割強の会社で11年前に設立し、現在約100店舗で約年間約100億円を売上げ、業績は順調です。近々株式を店頭公開する予定です。
 坂田 今後の課題は。
 末木 外食産業は価格競争で苦労は販売面でしょう。一流の天丼が500円以下で食べられるのが強みでしたが、今は牛丼との競争もありますしね。
 坂田 ご飯は国産米ですか。
 末木 国産米です。外国産米を排除するのではなくて、お客の志向に合っているということから、天丼に最も適した国産米を使っています。

食糧は異常気象が続けばたちまち様変わり

 坂田 また米国の話になりますが、米国の農産物輸出政策をどうみられていますか。
 末木 私がいた70年代の印象的なこととして、ソ連のアフガニスタン侵攻に対し米国は穀物の禁輸措置をとりました。
 一方、西側の主要国には、どんどん食糧を輸出し、米国依存を強めるようにさせたいと当時の農務長官が公言しました。彼は軍人出身で、食糧輸入国が米国依存を強めれば、米国の政策に反対しにくくなるだろうというのです。これには米国国内のマスコミや農業界が猛反発しました。私がいたオレゴン州の新聞は相手国が輸入に依存するとすれば、相対的に米国の農業も輸出依存となる。また穀物を政治的武器に使えば、輸入国も必死に自給率向上を図って、最終的には米国農業が困ることになるだろうという社説を掲げたりしました。 
 坂田 食糧安保にとって重大な問題ですね。
 末木 日本は6年前の凶作によるコメ不足で地域的には騒動さえ起きかねない状況もありましたが、みなさん、もうすっかり忘れている。今は、食糧があり余っていますが、異常気象が続けば、たちまち様変わりしてしまいます。
 米国は、その後、政治がらみの禁輸はしないという多少の歯止め措置は出来ましたが、本当に需給が厳しくなった時に日本や他の輸入国が、市場の値段で米国から食糧が買えるのかどうか疑問です。

安心・安全の消費者志向を追求

末木達二 氏
(すえき たつじ)
昭和15年生まれ。昭和40年東京外語大学英米科卒業。同年丸紅飯田(株)入社、45年丸紅米国会社ポーランド出張所、55年同社ポーランド支社、59年丸紅(株)穀物油脂部食糧第1課長、平成3年食糧部長、7年食糧本部副本部長、9年食糧本部長、10年パシフィックグレーンセンター(株)取締役、同年丸紅(株)取締役食糧本部長、12年同社取締役食料部門長、13年同社取締役食料部門管掌役員補佐、同年同社退任、同年6月パシフィックグレーンセンター代表取締役社長

 坂田 WTO農業交渉でがんばらないといけません。
 末木 需給関係が悪化しても輸出に制限を極力加えないような歯止めを作るべきです。政府も当然やっていると思いますが、今は供給過多の買い手市場ですからやりやすいと思います。日本は現金で食料を買う上得意だと米国の評価も高いのだから、輸入制限の問題ばかり脚光を浴びますが、輸出国に対しても、非常時にも、食料を武器にしないよう歯止めをかけるシステムを強く交渉すべきではないでしょうか。ギブアンドテイクで、言いたい事が言える立場にあると思います。
 坂田 国内でも売り手としては市場の状況が厳しいですね。
 末木 畜産物については、狂牛病やO-157などの問題もあって、やはり安心・安全の点で、消費者の大半は国産志向だと思います。しかし、値段をはじめ、たくさんの言い分を満たさないと、なかなか買っていただけません。

商系最大約350万トンのサイロ取扱量

 坂田 御社の事業内容などをお聞かせください。
 末木 輸入される穀物、大豆や菜種などの油脂原料、またとうもろこし・マイロ等、飼料穀物を扱い、水島(岡山)、八代(熊本)、鹿児島の3拠点から国内各地の飼料、製油、でん粉、製粉、精麦の各工場などへ原料供給をしています。
 3拠点にあるサイロの容量は、約40万トンで全農サイロさんを除いた商系では最大です。取扱量は年間約350万トンです。今から4年前、平成9年に旧西日本グレーンセンターと旧南日本グレーンセンーの2社が合併して現在の会社になりました。旧南日本グレーンセンターは、昭和46年に丸紅飯田(現丸紅)と全購連(現全農)などとの共同出資で設立されました。合併後でも全農さんは第2位の株主です。西日本グレーンセンターはそれより早く昭和42年に設立されています。
 坂田 畜産業とは関係の深い会社ですね。
 末木 ええ。特に鹿児島の7期にわたるサイロの増設は、鹿児島県を始めとする九州の畜産業と一緒に成長してきたのだと思います。鹿児島が現在畜産県として全国ベースでbPになっていることはうれしい限りです。
 坂田 合併のねらいは、やはり経営の合理化ですか。
 末木 その通りです。全農サイロさんも1つの会社として、たくさんの施設を運営していますが、それと同じです。
 経理面のIT化は、もう一段落しました。今は、オペレーション上のIT化を進めています。

効率的なオペレーションのため ITの活用

末木達二 氏 坂田 オペレーションと言いますと?
 末木 現在ITと並んでLT(物流技術)の重要性が言われていますが、穀物の物流処理の全社的な統一であり、効率的なオペレーションの為のITの活用です。もう1つ、口幅ったい言い方をしますと、我々は装置産業として、飼料メーカーさらには畜産業に対するライフラインの部分を担っていると思います。後背地の各工場とラインで繋がっているから、仮に事故があったとすると代替性が無い。原料が届かなくなると大変なことになる。ですから、無事故で安全なオペレーションは効率的なオペレーションと共に、重要な経営目標です。
 商流をつくっていくのは商社ですが、我々には物流面を担っていく責任があります。

さらなる経営の効率化を

 坂田 事業環境の変化についてはいかがですか。
 末木 穀物輸入は畜産業と共に伸びてきましたが、今後は右肩上がりの成長は望めないとみています。また、設備が経年劣化により修繕費・維持費が増えています。更に、最近では有機農産物とか遺伝子組替作物は、分別保管を求められますのでCOSTもかさみます。従って、量的拡大が望めない中でCOSTは増加傾向にありますから、従来以上に経営の効率性が求められる状況であると認識しています。
 最も、畜産業で言えば、環境問題に配慮した立地条件なども考えていくと、当社の立地は3事業所いずれも比較的恵まれていると思います。
 坂田 最後にJAをどう見ておられるか、お聞かせ下さい。
 末木 ボーダレスの時代で系統と商系の垣根が取り払われてきていますから、お互いに協力や連携をする分野が増えてきているのではないかと思います。
 全農さんは供給対応、商系は販売対応といった立場で補完関係の部分が多い。例えば、ダイエーで販売しているブランド米の「蔵米」は全農さんと丸紅の共同開発であり、全農さんのご指導による商品です。
 ボーダレスは一面で競争力も激しくなるという側面もありますが、双方が経済的合理性を追及していけば、連携する部分が増えてくるのではないでしょうか。そしてその結果として日本の農業の活性化にも貢献できるはずと私は考えております。

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インタビューを終えて
 末木さんは去る6月新社長に選任されたばかり。前職は、親会社の丸紅で食料部門担当取締役。この会社の非常勤取締役をも兼務していたので、会社の内容は分かっているつもり。しかし、外から見ていたのと、来て社長に座って内から見たのとは違う、新鮮な責任を感ずるという。
 台風が襲来との天気予報に、朝早く出勤すれば、社員は既に席について支店の現場と連絡を取り合っている職場の光景に感動もする。パシフィック・グレーンセンターは商系では最大規模。輸入したとうもろこし等は、ベルトコンベアで飼料会社につながっている。その背後には日本の畜産業がある。事故は絶対起こせない。施設は関係者のライフラインの一部であると社長としては胸を張る。
 末木さんは、都内の老舗の和菓子屋さんから奥様を迎えて、浦和で2人暮し。その二階の一室をアトリエに改造、休日に絵を描くことが趣味。ゴルフ、カラオケは付き合う程度。日常生活は、奥様の実家の和菓子屋さんで週の半分以上を過ごすという。(坂田)


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