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この人と語る21世紀のアグリビジネス
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最大手穀類加工調製機器メーカーの使命に応え
顧客に喜ばれる優れた商品を提供 (株)サタケ 佐竹 利子代表 |
聞き手:坂田正通(農政ジャーナリストの会会員) |
◆先代、覚代表逝去の悲しみを乗り越えて
まず、覚代表の突然のご逝去、大変だったですね。 佐竹 一昨年の11月主人を亡くしまして、以来社員共々、懸命に努力してまいりました。お陰様で、無洗米の特許係争も好転しておりまして、業績面も含め明るく元気なサタケを取り戻すことが出来ました。 −−創業者で精米機を開発されたのは祖父の佐竹利市さんですね。 佐竹 はい。107年前、祖父が日本で最初に動力精米機を考案し販売を始めたのが創業となっております。開発した精米機の中には、醸造用精米機もあります。 −−玄関に銅像がありましたが、創業者ともう一方は二代目利彦さんですね。 佐竹 父の利彦は技術者でして、近代精米技術に関する理論で、東京大学から博士号を頂きました。また半世紀に亘る椰子・蘇鉄の蒐集は、趣味を超え世界的な権威となり、この分野でも東京農業大学から名誉博士号をいただいております。沖縄に八重山椰子というのがありますが、学名をサタケンチャ・リュウキュウエンシスと言いまして、発見者である父の名前が付けられています。石垣島にはこの椰子の大群落があり見事な光景でございます。 −−利子代表は、アメリカに留学をされたそうですが、よくご両親が許してくださいましたね。 佐竹 父も自分の夢を私に託した、という一面もあったんだと思います。主人と会ったのは、アメリカの大学でした。私と会ったために人生が変わって、申し訳ないと言う気持ちでした。 −−利子代表は、留学中のご専門は何だったのですか。 佐竹 商業美術です。CMアートをやりたいと思ったんです。 −−そうしたベースが、このモダンな社屋に繋がっているんですね。 佐竹 テキサスの郊外に行きますと、ガラスの宝石箱のような建物が有り、それに憧れていました。最初は日本的な発想ですと、無駄な空間を作るということは、建設会社の設計者の方には、なかなか理解していただけなかったのです。私は覚えていなかったのですが、完成するまで128回も打ち合わせをしたそうです。 −−結果としてデザイン賞を頂いたそうですが。 佐竹 はい、日経新聞のニューオフィス賞を頂きました。 ◆新たな製品の開発と多様化する事業展開 −−覚前代表は、経営者であり、学者でもあったのですか。 佐竹 主人はアメリカ的な経営センスとダイナミックな発想を持っていた人でしたが、その反面、明治生まれの厳しい父親の影響で、典型的な日本男児としての謙虚さと礼節をわきまえていました。祖父が種をまき、父が育て、主人がグローバル企業に発展させてくれたと思います。13年ほど前に世界第二の製粉メーカーを買収し、サタケの精米の技術を麦に活かしまして、製粉機を造りました。歩留まりが良く、品質の良い粉が出来るんです。 −−品質の表示に関しては、肉から米に問題が移ってくると思いますが。 佐竹 まさにそうした問題に対応出来る機械を、私共は開発しております。米粒判定機といいますが、そういう機械を食糧庁と一緒になって研究してきました。 −−サタケの業務内容を概括的に説明してもらえますか。 佐竹 米と麦、加工食品等がありますが、加工食品ではマジックライスというのを作っています。最近は味も良くなっており、ディズニーシーや居酒屋さん等でも使ってもらっています。 −−革命的な家庭用精米機ですね。美味しいですか。 佐竹 もちろん美味しいんです。 以前雑誌BE−PALが家庭用精米機の特集をしたことがありましたが、このミルは精米機メーカーの製品だけに、評判が良かったようです。 −−今話題の無洗米NTWPについてお話ください。 佐竹 NTWPは開発発表して既に2年になります。現在国内で46工場、アメリカでも3カ所に設置されています。私共の無洗米はスーパージフライスとNTWPですが、併せて国内100カ所を超える工場で使ってもらっています。 −−サタケは、日本農業の発展とともに精米機等を中心に社業を発展させてきたわけですが、系統メーカーとして将来をどのように考えておられますか。 佐竹 系統組織とはお互いに共存共栄でやっていきたい、サタケはより良い製品を造ってお役に立ちたいと思っています。また情報を共有化して、生産者にも消費者にも繋がっていこうと思っています。お米では、栽培から収穫して口に入るまで、すなわち川上から川下まですべてやらせていただいております。 −−代表のご趣味は。 佐竹 1つはゴルフですが、なかなか練習する暇がありません。また食べることが好きですから、作ることも好きです。主人との出会いも料理から始まりました。 −−長時間にわたりありがとうございました。 インタビューを終えて |