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この人と語る21世紀のアグリビジネス |
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◆発祥は消火器の製造・販売 ―創業100年を超えるそうですね。 内山 明治28年、私の祖父と祖父の兄が現在の新潟県上越市で創業しました。最初は消火器の製造、販売でした。消火器の容器は、昔は銅板を丸めて作ったものです。銅は耐腐食性が強い、つまりさびにくい素材ですから、消火液だけでなく農薬でもそうした材質が必要になりますね。 ◆SARSで活躍した洗浄ポンプ ―多彩な製品がありますが現在の業務内容をお聞かせください。 内山 売り上げの構成は、防除器具と刈払機で8割弱を占め、産業用の洗浄機用ポンプが14〜15%で消火器部門が10%弱となっています。 ―その洗浄機が今年の中国のSARS騒動で活躍したそうですね。テレビでも建物の洗浄風景が何回も流れましたが。 内山 バッテリー付きの動力噴霧器があるんですが、実は中国に寄付させていただきました。たまたま中国に進出する計画があったのですが、SARSが問題になり、これなら役に立てるだろうと。小さい機械ですから200台ほど現地の赤十字に贈りました。 ◆わが国初のハイクリブームスプレーヤ(乗用管理機)を開発 ―農業用機械ではずいぶんいろいろなものを開発、製造しているんですね。 内山 防除器具が主体ですが、そのなかで誇れるものとしてはわれわれがマーケットを作った製品です。今は、乗用管理機といわれていますが、われわれは「ハイクリブーム」と名付けた乗用の防除機です。 ―こうしたアイデアはどこから出てくるのですか。 内山 私どもは農協に密着して仕事をしてきたわけですが、グループ全体で800人の社員のうち営業部門が300人です。少なくても各県に3人のセールスマンがいますからそれだけ現場に密着していると思います。 ―全農との連携はどうでしょう? 内山 全農の試験研究機関から、たとえば、農薬でフロアブル剤が登場したときには、動力散布機の性能をそれに対応したものにしてほしいといった依頼や指導をいただいていますし、また、10アール当たりの散布量が1kgの薬剤が開発されたときには、それに対応して均一に散布できるようシャッター機構を改良するといったことを行うわけです。 ―今後の課題はどうお考えですか。 内山 昨年、無登録農薬問題が起きて、その後、生産の現場でも厳しい対応が求められるようになりましたが、一方で輸入農産物からは残留農薬が出るなど安全性に不安だという声もあって、やはり国産のものが消費者には喜ばれると思います。 ◆広がる噴霧器の可能性 ―今後は「水」をテーマに事業ビジョンも考えているそうですね。 内山 発祥が消火器という液剤ですし、また、動力噴霧器というのは簡単にいえば高圧の小型ポンプですから、その用途開発として昭和48年に洗車機用ポンプを米国に輸出し始めました。 ―趣味は? 内山 何でも興味がありまして、嫌いなことはゴルフすることだけです(笑)。じっとしているのがいやなものですから、自宅を新築したときに屋上が空いていたので日曜大工でログハウスを建てました。最初はキットを買ったんですが、その後は自分で設計して今は30畳ほどの広さになっています。 |
インタビューを終えて 丸山製作所の本社は、自社ビルで神田西口を出たところにある。1895年創業というから間もなく110年になる。新潟県高田の加藤家から三男が丸山家へ、四男が内山家へ養子に出て改姓、丸山、内山の兄弟二人が消火器の製造販売を開始、その技術の延長線上で噴霧器に進出したが、噴霧器メーカーではむしろ後発だったという。内山社長の祖父が東京に出て来て初代丸山製作所の社長となる。戦前は農業会と、戦後は全購連との取引が発展し、以来系統農機メーカーとして、農家に密着した防除技術の革新をリードして来た。丸山は大手と違ってニッチマーケットだという。営業マンが300人いる。農家の目の前で自信を持って機械の動かし方、使い方を示して農家・農協の信用を得てきた。高圧ポンプの用途開発は、景観エンジニアリングの分野でも着々と販路を築きつつある。内山社長自身も物作り大好き人間という。日曜大工でログハウスを自宅屋上に建てた。そのログハウスはテレビに紹介された。魚釣りはアラスカでキングサーモン、カナダでマス釣り、社長室にはマスの剥製が飾られている。ゴルフだけは苦手でやらない。市川市の自宅には夫人と次男、娘さんの4人で住む。長男は独立。 (坂田) |
(2003.11.20)
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