|
こいけ・つねお 1941年長野県生まれ。京都大学大学院農学研究科修了、専門は農業経営学・農政学、環境農学。現職は滋賀県立大学環境科学部、教授。著書:「日本農業の課題と展望」(共著、家の光協会)、『国際時代の農業経済学』(富民協会)、「激変する食糧法下の米市場」(筑波書房)、協同組合のコーポレートガバナンス(家の光協会) |
◆「新基本計画」を支持する「提言」
提言は、(1)環境保全型農業の推進―農業に求める社会的役割の発揮のために、(2)食品安全行政の確立―ゆるぎない安全性の確保に向けて―、(3)日本の農産物の品質と競争力の向上―総合的な品質管理の確立に向けて―、(4)国際環境の変化に対応した農政の確立―高関税から農業経営体への財政投入へ、農業保護施策の転換のために―、(5)自給率の向上に向けた自給力の強化―新規参入の促進と農地活用の促進のために―の5点にわたっている。
しかし言うまでもなく提言は、「新たな食料・農業・農村基本計画」を強く意識しているわけであり(以下では「基本計画」)、「はじめに」で強調されているように、提言のポイントは、1つには、日本農業を産業として支える担い手を守るために財政によって農業経営を支援する品目横断型直接支払制度を早期導入するという「基本計画」の内容を支持するという点である。この点にかかわって強調されていることは、1つは「WTOの国際規律に沿う」ということ、2つは「高関税の逓減による内外価格差の縮小を求め」るという条件付きということである。
2つには、農業を自立した産業として活性化させる施策として、新たな人材の農業への参入を容易にする方向で農地制度を見直すという点である。ここでは、「担い手を限定した直接支払い」、「関税引き下げ」、「新規参入者のための農地制度の見直し」の3点について論じておきたい。
◆「担い手限定」に公共性はあるか?
まずはじめに問題にしておかなければならないのは、提言が「担い手を限定した直接支払い」としている点についてである。提言は他方において、「中小農業者も含めた多様な担い手にあった多様な施策を展開する農政の推進」を言っているが、こと直接支払制度にかかわっては、「日本農業を産業として支える担い手」と限定しており、「基本計画の内容を支持する」としているわけであるから、結論的には「担い手を限定した直接支払い」ということである。
そこで問題になるのは、担い手を限定した場合に直接支払いする根拠となる公共性、公益性を何に求めるかという点である。線引きしてそこに他の農業従事者と異なる独自の公共性を見い出そうとしても、それは見い出せるものではない。産業ということからすると、「販売」という基準が相対的にはもっとも意味をもつことになるのであろう。
この点にかかわるもう1つの問題点は、品目横断的直接支払いという経営安定対策である。周知のようにこれは「基本計画」において「諸外国の生産条件格差の是正対策」として位置付けられてあるわけであり、言ってみればこれは本来的には関税の役割としてあるべきものである。であるからこそ、高関税がかかっている米は今回はこの直接支払いからはずすということでここまできているわけである。したがって理念的には、関税とこの直接支払いが並び立ってあるべきものではなく、関税と不足払いという組み合わせこそが理にかなった政策選択としてあると考えるべきところである。
◆自給率向上努力に打撃を与える「関税引き下げ」要求
第2に問題なのは、「関税引き下げ」という提言である。周知のように、財界や「基本計画」が、それを前提にした議論を展開しているということはあっても、2005(平成17)年末のモダリティの確立というこの微妙な時期に、あからさまに直接的に関税引き下げを言うことを控えているというこの時にあえてこれを言ったことの意味は大きく、ナショナルセンターとしての責任を厳しく問われることになるであろう。
いくら別項で食料自給率の向上を強調していたとしても、それを土台から吹き飛ばしてしまうような自給率の向上を直撃するこのような提言はいったいどういうことなのかと思わざるを得ない。
合わせてここで問題にしなければならないのは、「WTOの国際規律に沿う」という自縛のこの大前提である。もちろんこの点は、財界提言や「基本計画」に共通する問題ではあるが、わが国のこの「なんでも受け入れます」のWTO受入れ態勢は、はたして外からどう見えるであろうか。問題は、これだけはなんとしても守るというものがまるでない、いつでもいくらでも弾力的に対応致します、というわが国のこの「顔なし国家」をいつまで続けるのかである。
◆農地制度の規制緩和 正論なき提言
第3の問題点として指摘しておきたいのは、すでに明らかなように、食料自給率向上の解決策を短絡的にただ新規参入の促進と農地活用の促進に求め、最重要課題として農地制度見直しを提起している点である。
ここには2つの問題が含まれている。1つは、何をどう作るのかという生産政策抜きで自給率を論ずることの限界という根本的な問題である。生産と消費の関係によって規定される食料自給率であってみれば、消費者や市民という立場からは生産と消費にかかわる自給率に関してはもっと切り込んだ、熱い議論があってしかるべきではないか。
もう1つの問題は新規参入者のための農地制度の改革という提起である。提言がここで具体的に新規参入者として言及しているのは、「生協などの消費者組織や都市市民などの意欲ある組織や個人」、「企業や団体」である。問題は、市民の生活防衛のためや健康目的、趣味の農業のための参入と、国土の再配分をもくろむ株式会社の参入を同列において論ずることの問題である。財界の議論にも通じるが、耕作放棄地や不作付面積の拡大を言い、新規参入者のための農地の規制緩和を言い、株式会社の利用権や所有権を認めるべしと言う。
このような嘘っぽい議論をいつまで繰り返すのかというのが率直な感想である。
つまり、なぜ正論「株式会社農業論」を論じないのかという点である。本音の株式会社農業論がない、株式会社農業正面突破論がない、つまりは企業農業者像がないということなのか。「今どき、まっとうな農業やってたんでは、昔ながらの農業やってたんでは、第一次産業タイプの農業やってたんでは、儲かるはずがありませんよ。生計を立てていくことも難しいでしょう。今日、農業を活かした二次、三次、四次のアグリビジネスの展開こそが求められているのです。そのためには大きな資本が必要です。資本形成においては断然株式会社の集金力が優っています。私たちのアグリビジネスの展開は、大いに雇用を創出し、大いに地域経済を活性化します」。私の考える正論「株式会社農業論」はおおむね以上のような趣旨のものである。
株式会社農業論が国民から支持されることがあるとすれば、このような姿のものなのではないか。この趣旨の延長線上で言いたかったことは、消費者や市民の立場からは、「やってもらう農業から自らやる農業へ」というくらいの主体的な提案があってもよかったのではないかという点である。
この提言を一読して強く思ったことは、何故今この提言なのかという疑問であった。今こうして論じてきて思うことは、1つには「先送り計画」と言われる中にあって、いまこの時に「基本計画」の背中を押すという役どころ、関税引き下げの口火を切るという役どころであったのかということである。
|