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はっとり・しんじ
1938年静岡県生まれ。東京大学大学院・経済学研究科博士課程修了。経済学博士。岐阜経済大学教授を経て、1993年東洋大学経済学部教授。2004年経済学部長。食料・農林漁業・環境フォーラム幹事長などを兼務。主な著書に、「アメリカ2002年農業法」(農林統計協会、2005年)、「WTO農業交渉2004」(農林統計協会、2004年)など。 |
11月7日に行われたアメリカ中間選挙(下院議員全員の改選、上院議員の3分の1改選)は、民主党の圧勝となった。これまで、共和党が上院・下院の両方において多数を占めていたが、民主党は、下院だけでなく、上院においても過半数を制したのである。当初の予想を上回る民主党の圧勝は、イラク問題についての現ブッシュ政権に対する多くのアメリカ国民の疑問に加え、所得格差の拡大に対する低所得層と中間層の不満等が重なって生まれたと見られる。
こうした民主党主導の議会への移行という変化が、農業政策の基本―アメリカのWTO農業交渉への対応と次期2007年農業法のあり方―に、どのような影響を与えるのか。さらに、それが日本農業にどのような意味を持つのか。これを検討するために、まず、これまでのアメリカ政府、民主・共和両党のWTO交渉への態度、あるいは、次期農業法への姿勢は、どのようなものであったのか、を簡単に見ていこう。
◆これまでの農業交渉へのアメリカ政府の態度
これまでのWTO農業交渉へのアメリカ政府の態度といえば、WTO農業交渉が中断にいたった時点から中間選挙に至るアメリカの態度ということになる。
関税削減についてのアメリカの立場(提案)は、インドなどの人口大国途上国を主な狙いとして、関税を大幅に引き下げ(平均削減率74%、ちなみにEUの提案は46%)、一般品目の関税削減とは別扱いする「重要品目」の数を全品目の1%にし最小限にする、というものであった。
他方、国内支持削減についてのアメリカの立場は、(1)保護削減対象である「黄の政策」(価格支持政策など生産や貿易を歪曲する政策)について、アメリカ自身の削減率を、EU・日本の要求水準である60%にする、(2)「黄の政策」だけでなく「青の政策」(生産調整の下での直接支払い)なども含む「国内支持全体」の削減について、EUに75%の削減を求めつつ、自国については、EUへの要求水準から22%ポイントも低い53%の削減にとどめる、というものであった。
このアメリカの姿勢に対し、ブラジル・インド、EU、日本(アメリカ以外の国・地域)は、関税削減について現実的姿勢に転じること、国内支持の追加的削減に応じることを求めた。
アメリカ政府は、一旦は、柔軟方向に転じる検討を行ったが、それが、議会の猛反発を招き、「EUが、より大幅な関税削減を提案しなければ、国内支持の一層の削減には応じない」とする立場に戻ったのである。この頑なな態度が、WTO交渉中断の引き金になり、中間選挙に至るまで続いていた。
こうしたアメリカ政府の最終的態度は、議会(共和党とほぼ民主党)も同じであった。
◆これまでの次期農業法に関する政府、共和・民主党の態度
来年、現行2002年農業法は期限が切れ、新・2007年農業法の策定が問われる。
次期農業法について、政府=ジョハンズ農務長官は、WTOによるアメリカ綿花補助金についての裁定(アメリカが綿花に用いている輸出信用保証や補助金はWTO協定に違反しているので撤廃すべきとの裁定)が重要であり、同様の提訴が大豆やトウモロコシについて行われないように、次期農業法において、アメリカの農業政策のあり方を変える必要があるとしてきた。
農業政策を変えるとは、保護のあり方を、価格支持などを中心とする「黄の政策」から「緑の政策」(生産量や価格に関係しない所得支持)に変えることである。また、それが、国内支持の大幅削減に対応しうる国内体制を作ることにもつながる。
これに対し、農業団体(ファーム・ビューロー)やグットラット下院農業委員長(共和党)は、“WTO交渉が妥結するまで1〜2年間、現行農業法を延長し、交渉妥結後、妥結内容を踏まえて、次期農業法を策定すべき”としてきた。その背景には、“現行農業法は好ましい。それを変える必要はない”という現行農業法への評価=現行農業法を今後も基本的に継続したい、という意向が存在していた。こうした“現行農業法を基本的に評価する姿勢”は、民主党にも共通していた。その背景には、現行農業法がよいとする多くの農民が存在する。
◆議会主導権を握った民主党と次期農業法
中間選挙後の11月12日、ジョハンズ農務長官は、次期農業法について、「現行法の継続が最もリスクが大きい。WTO綿花裁定に示される事態(アメリカの作物についてのWTO提訴とアメリカの敗訴)を回避することが肝要で、そのために現行法の修正が必要であり、1〜2月に議会に政府の推薦事項を提起したい。中間選挙の結果は、その提示内容に影響しない」と語ったと報じられている。次期農業法についての、政府(ジョハンズ農務長官)の立場は、変わっていないといえよう。ただし、農業法形成は、議会の専管事項であって、ジョハンズ農務長官が来年1〜2月に議会に送る次期農業法についての推薦事項も、文字通り政府の意向にとどまる。
次期102議会において新しい下院農業委員長に就くピーターソン議員(ミネソタ州)は、11月14日、「新農業法の策定がトップ優先事項である。新農業法は、多くの点で現行法のままとなり、変化があるとしても、ごくわずかになる。農民が基本的に現行法を良いとしており、自分もそう思う。現行法の単純延長は最後の手段」と語ったと伝えられている。
中間選挙前に支配的であった“現行農業法の単純延長”路線は消えているが、しかし、現行法を基本的に維持するという基本点は同じである。ただし、主導権が民主党に移ったということ、上院農業委員長に環境保全を重視するハーキン議員(アイオワ)が就任するということで、現行農業法の基本的な枠組みの下で、環境保全により重点が移ることが考えられる。だが、そこからは、WTO農業交渉において、アメリカが国内支持についてその態度を柔軟にする兆しを見いだすことはできない。
◆変わらないWTO交渉への態度
中間選挙直後の11月9日、シュワブ通商代表は、次のように語っている。
「中間選挙結果が、アメリカのWTO交渉への態度に変化をもたらすかもしれない(アメリカが単独でより柔軟になる)という推測〜期待があったが、選挙が終わった今いえることは、それはない。
問題は、アメリカ以外の国が関税をさらに引き下げることに合意しうるか、否かである」と。
アメリカ政府の姿勢は、中間選挙前と同じである。民主・共和両党の立場も、これと同じと見て間違いない。
◆民主党:貿易促進法の延長を基本的に支持
大統領に国際協定についての交渉権限を与えている貿易促進法(通称:ファースト・トラック)の期限が、来年6月末で切れる。その延長が議会で可決されるか、否かは交渉の展開に重大な影響を持つ。これについて、下院で法案審議に決定権を持つ下院歳出委員会の新委員長となる民主党のランゲル議員は、「貿易促進法の延長に賛成する。ただし、環境、労働をより強く考慮するという点について、大統領から譲歩を得たい」としている。貿易促進法は、一定の修正を伴って、延長が行われる、すなわち、WTO農業交渉が継続する環境は整うと見られる。
◆WTO・FTAと日本農業
WTO交渉が中断の事態に陥ったなかで、FTA交渉を進める動きが世界的に強まった。日本においても、オーストラリアとのFTA―EPA(経済連携協定)についての共同研究会が大詰めを迎えようとしており、経済産業省は「アセアン+3(日・中・韓)」のEPA―FTAを提唱している。
だが、FTAを考える場合、次の点に留意する必要がある。WTO交渉は、関税削減だけではなく、国内支持と輸出補助金の3分野を交渉分野としているので、その保護削減についてそれなりのバランスがとれるのに対し、FTAは、関税削減だけを対象とするので、バランスのとれた保護削減になりにくい、という点である。
これを前提にするならば、WTOを中心にし、FTAを補足とするという我が国のWTO―FTAについての基本姿勢は堅持される必要がある。
中断されているWTO交渉に対し、我が国とEUは、早期の再開を主張している。これに対し、アメリカ、ブラジル、インドは、具体的な提案が必要、としているという。合意には、まずアメリカが現実的な姿勢に転じる必要がある。そのうえで、WTO交渉で合意に至ることができれば、それは、今後のFTA交渉においても、重要な意味を持つことになろう。