個性ある金融サービスの提供で金融機関としての役割発揮を
◆サブプライム問題とは
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田中久義氏
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サブプライム問題は、サブプライム・ローンの延滞が増加したことから始まった。
このローンは、アメリカの低所得者向け住宅ローンである。アメリカ政府の持家保有支援政策をうけて、民間融資機関が、頭金に充当する自己資金や、利率・返済方法などの貸出条件を多様化し、審査も緩やかにして貸し込んだことが問題の発端である。
このような住宅ローンは、政策と住宅価格の上昇を背景として増加し、アメリカの住宅抵当貸付金残高約1260兆円の14%程度を占めるにいたっている。住宅価格の上昇は、担保不動産の評価額を増やすため、低所得者も貸し手も「返せなくなっても、家を売却すれば返済(回収)できる」として借入(融資)に踏み切った。
しかし、まず住宅価格に頭打ち傾向になり、本格的な返済が始まるにつれて、延滞が増え始めた。そこに政策金利の引き上げなど金利の上昇が重なり、さらに延滞率は上昇した。
この時点でのサブプライム・ローン問題は貸出金の延滞という問題であり、住宅投資の減少による景気へのマイナスの影響という問題だった。この春の時点での見方はこのようであった。
◆影響を拡大した証券化
しかし、問題はそれにとどまらなかった。サブプライム・ローンを買い取ってプールを作り、それを見合いに証券が発行され、投資家に販売されていたからである。さらにその証券を買い取って別の証券をつくり、それを世界の投資家に販売することも行われていた。
こうして、サブプライム・ローンという貸出金債権が、二重三重に証券化され、そのリスク度に応じた利率が付けられて売却された。商品設計上は、償還不能というリスクが何千年、何万年に1回という計算であったという。これほど低い確率でしか起きない事態が、現実に起きてしまったのが今回の問題なのである。
結果的に、そのような証券の取引市場が動かなくなった。買う人がいなくなったのである。取引が成立しなければ値段も決まらない、損を小さくしよう思えば早く売るしかないが、売れなければ売り値を下げるしかない。こうして価格は額面の20%程度にまで低下した。8割の損である。滝野川信金の表面上の損は保有額の6割強であるから、まだいいほうかもしれない。
もうひとつ別の問題も発生した。このようにリスクの高い商品を抱えた金融機関の信用力が不安視され、資金調達に苦しむところが現れたことである。これに対処すべく、各国の中央銀行は資金を大量に供給した。それでもドイツでは銀行が破たんし、イギリスでは取り付け騒ぎが起きている。
証券は売買され、転々と流通する。このような性格もあって、リスクがどこにどの程度あるのかが把握できていない。分からないから怖い。現在わが国に及んできているのは、このようなリスクなのである。
◆資金の流れの変化と金融の変化
このように、証券化という金融技術が、リスクの所在をわかりにくくしている。ここで考えなければならないのは、わが国での「貯蓄から投資へ」というキャッチフレーズである。
日本版金融ビッグバンからかなりの年数が経過した。グローバル化を標榜して始められた金融の大改革は、間接金融から直接金融への転換という標語のもとに進められてきた。
その背景のひとつには、国内の資金の流れが変化したことがあった。長い間、国内で資金が余っているのは家計(個人)部門であり、企業部門と公共部門が資金不足というパターンであった。それが90年代に大きく変化した。
企業部門が資金余剰となったことがそれであった。これによって金融の役割も変化した。それまでは家計部門の余剰を預貯金で預かり、企業部門や公共部門に融通することが金融の基本的な役割であった。その企業部門が余剰となると、金融の役割も変化せざるをえなかった。
このような資金の流れの変化もあって、直接金融のウェイトが上昇したが、それは証券化という形での動きであった。当初は企業の株式や社債発行が中心であったが、徐々に貸出金などの債権の証券化や、資産担保証券などへの広がりをみせた。これらの受け皿のひとつとして期待されたのが資金が余っている個人である。それが「貯蓄から投資へ」というキャッチフレーズに現れている。
ここで注意しておきたいのは、「投資」=「証券の購入」だということである。実は、ここには大きな変化が隠れている。間接金融の世界での取引は「貸借」であった。それが、投資の世界では「売買」にとって代わられる。貸し手や借り手の責任と、売り手や買い主のそれは異なる。売買では、自己責任が基本なのである。
◆必要な資金配分への目配り
現在、わが国の家計(個人)の金融資産は約1550兆円ある。国民総生産が約510兆円であるから、その3倍の金融資産を個人が保有している計算になる。このような巨額の資金が、その一部でも動きを変えれば、経済や金融に大きな影響を及ぼす。
これを、保有している個人の立場からみればどうであろうか。外国為替の取引の世界で注目されている投資家に「ミセス・ワタナベ」という人がいる。実はこれは特定の個人のことではない。わが国の外為取引を行っている個人をさす言葉である。
このワタナベさんの力はかなりのものではあるが、サブプライム問題に端を発した為替相場の変動でかなりの痛手をこうむったとも伝えられている。
一方、金融機関は、子供たち向けの金銭教育などへの取り組みを喧伝し、CSR活動の実績だと強調している。
しかし、子供たちもさることながら、問題にすべきはいま金融資産を保有している個人である。この人たちは、「預ける・貯める」という貯蓄教育は受けていても、「売った・買った」という投資は自己流である。このような個人に、現実のリスクに対応する術をどのようにして身に着けてもらうか、そのために金融機関ができることは何か、が問われている。
このようにみると、協同組織の金融機関として、地域に密着した金融サービスを提供するJAの基本課題は、組合員の資産規模や目的に合わせた資金配分(アセット・アロケーション)の提案を行うことであろう。
伝統的な運用資金の配分法に「財産三分法」がある。この考え方の基礎にあるのは、動きの異なるものを組み合わせて全体としてのリスクを軽減することである。
現在のアセット・アロケーションは、預貯金、国内株、国内債券、外国株、外国債券を組み合わせてそれを実現しようとする。
皮肉にも、このアセット・アロケーションも、サブプライム関連商品と同様に、過去のデータを統計処理した結果に依存している。サブプライム問題はリスク管理の難しさを示したが、それでもなお、利用者はリスクと付き合わざるを得ないのである。
JA系統は、全体としてみれば巨大なアセット・アロケーションを構築している。そこで培われたノウハウを活用し、利用者との相談を重ねながら個人向けの個性あるサービスを提供していくことが求められる。この役割の発揮いかんが、協同組織という特性にたつJA金融の将来を左右する基本課題ではないだろうか。