◆経営難に直面する生産者たち
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すずき・のぶひろ
1958年三重県生まれ。
東京大学農学部卒業後、農林水産省、九州大学教授を経て現職。日本学術会議連携会員。 |
いま、農村の現場におじゃますると、米価の予想以上の下落、飼料価格高騰によるコスト高で、稲作、酪農・畜産等、多くの農家が、大幅な所得減少で、年末の種々の代金支払いにも苦労し、大規模な人も含めて、経営が非常に苦しくなっている。「年が越せない」との声が多く、農家の皆さんにお会いするのがつらい日々が続いている。
施策対象を一定規模以上に設定した品目横断的経営安定対策の実施に対しては、様々な見方がある。そもそも、規模要件を設けることについては、いろいろな指摘があった。例えば、「耕作面積4ヘクタール(北海道は10ヘクタール)以上、集落営農なら20ヘクタール以上などと、経営規模を基準にしているが、大規模経営だけにかぎらず、意欲ある多様な担い手を育てていくことが必要だ。規模要件は、産業として成り立つ農業育成の一面として重要だが、これだけでは面積が足りないが意欲ある農家は漏れてしまう。制度が農家を選別するのではなく、農家が制度を選択できることが、農家のやる気を高める」といった見解がある。
◆豊作を喜べない大規模畑作地帯
ただ、日本の農業にとって規模拡大によるコスト削減努力が必要であることも間違いない。米国やオーストラリアに比べ、日本は極端に耕作地が狭く、それと直接に競争しても、まるで太刀打ちできないが、それでも可能な限り規模拡大でコストを削減し、国民に対して食料の供給コストを減らす努力が求められる。
そこで、政策を大きく2つの柱に分類し、補完し合うことが目指されている。1つは、産業として足腰の強い農業の育成を目指した大規模農家への支援、そしてもう1つは、農業が持つ多面的機能の発揮のための経営規模を問わない、あるいは棚田の景観や洪水防止機能に代表されるような中山間の小規模農家にむしろ手厚くなる社会政策的な支援(従来からの中山間地直接支払い制度、新たに導入された農地・水・環境保全向上対策等)だ。小規模農家も切り捨てられているわけではないことを説明するには、「車の両輪」といわれる二つのタイプの政策の、特に、後者が、実際に十分機能しているかどうかが検証され、拡充が必要であれば、早急な対応が求められている。
一方で、担い手に対する仕組みはどうか。今回、ここでの焦点は、この新たな制度において意欲ある担い手の中核をなす大規模経営である。例えば、今後の日本農業の担い手の中心的役割を果たすと思われる北海道の農家は、基本的には、この制度をおおいに歓迎しているものと推察された。
しかしながら、いま、その日本農業の代表的担い手である北海道の畑作農家から、品目横断的経営安定対策に対して、様々な疑問が投げかけられている点にも、我々は真摯に向き合う必要があるように思われる。
そもそも、品目横断的経営安定対策では、麦、大豆、てん菜、でん粉用原料馬鈴しょの4品目について、これまで品目毎に支払われていた支払いを経営単位に整理するもので、その意味では、従来の支払総額が大きく変動することはない、あるいは、北海道の見地からすれば、担い手に施策を集中し、さらなる経営発展を促進するのであるから、従来よりも増加してもよいはずと思われていた。
しかしながら、今年の状況をみると、増えることはあっても減ることはないと想定されていた支払額が、現実には、かなり減少しそうだという問題が浮上している。北海道にとっては、期待が大きかっただけに、大きなショックとなったことは間違いない。ただし、この主な原因は、基準年の反収等についてのデータの取り方に起因する技術的問題であり、その適切な修正・調整によって、改善できる可能性が大きい。
「過去実績」に現場から疑問続出
◆反収向上しても赤字になる現実
実は、注意しなくてはならないのは、むしろ、この点よりも、「過去の作付実績に基づく支払い」方法そのものに疑問が投げかけられていることである。当年の生産でなく、過去の生産実績に基づく支払い方式にしたのは、WTO(世界貿易機関)の定めるところの、生産を刺激しない「緑」の(削減対象にならない)政策にするために必要な要件だからである。WTOルールとの整合性は「金科玉条」のように考えられている。この支払いを、通称「緑ゲタ」と呼び、全体の支給額の7割が、この方式で支払われる。
生産者から挙がっている意見は、この「緑ゲタ」が、生産者の意欲を削いでいるというものである。今年、穫れても穫れなくても支払われるから、無理に努力して反収を上げたり、消費者に喜ばれるような品質にするために、倒伏防止のための生長抑制ホルモン剤の投与等、余計な努力はせずに、最低限の肥料・農薬だけ施しておけばよい、ということになる。
当年の生産に基づいて支払われる「黄ゲタ」の額は小さい(小麦で1俵2〜3000円)ので、乾燥・調製料(2300円程度)を払うと、増産部分は赤字になるからである。つまり、粗し作り的にコストが下がる面はあるが、意欲を持って規模拡大したり、コスト削減したり、品質向上しようというのではなく、意欲をなくした結果なのである。
しかも、今年は、天候がよく豊作になったが、「黄ゲタ」は乾燥・調製料にも満たないから、増産部分は赤字になり、豊作が喜べないという悲しい現実がある。むしろ、冷害を期待するような気持ちにもなりかねないとも言う。
◆増産する意欲を支える政策を
極端に言えば、対象の4品目の作付けを今年は一切しなくても、平成16〜18年の実績に基づいた支払いは行われるから、対象外の他作目を作付けてもよいわけである。現に、筆者が6月末に旭川周辺を訪ねたときも、ソバの花が畑を埋めている光景が目立った。
もちろん、支払いの基準期間の見直し(ローリング)が一定のルールで行われることが明確にされていれば、それに合わせて、現行の作付け体系の維持を図ろうとする動きが生じるであろうが、WTO上、ローリングを約束すると「緑」の要件を失うことから、ローリングの可能性については、公式には表明されていない。このため、多くの大規模農家は、その可能性は念頭に置きつつも、努力する意欲を失いつつあるというのである。
要するに、消費者に喜んでもらえるものをつくるのが農業の楽しみなのに、一番の喜びをとられてしまった感が強いとの嘆きである。余計なことはしないほうがよい、手を抜いたほうがよいという誘因が働いたのでは、意欲を持ってやれるわけがなく、とても子供達に継いでもらう気持ちにもなれない。
これでは、意欲ある担い手が、さらに規模拡大して経営が発展することを目指した政策の意図に逆行してしまうのではなかろうか。これが、最も意欲的な大規模農家が直面している悩みなのである。我々は、この声に、どう応えればよいのであろうか。
自給率向上へ、努力を支える仕組みに
JA帯広大正(北海道)・梶伸二専務
「農政を改革する」ということに対しては、当然、良い方向に向かうものと理解し今回の経営所得安定対策についても生産者はなんとか所得は確保できると考えていた。
今年の十勝地方の麦は平年作よりも収量が多かった。ところが昨年までの対策で助成金を算出した場合にくらべて生産者の所得が低くなってしまった。もちろん個人によってばらつきはあるが、1年目にして期待はずれで残念という感はある。
今までは収量が上がればそれに単価をかけた分が助成額となっていたが、今度の対策では努力して収量を伸ばした分に対する助成割合が少ない。一方で、ある一定水準は(過去の作付け実績に対する助成=緑ゲタとして)保証されているわけだが、これについては努力しても報われない部分と極端に言えば何も作らなくても助成がもらえる部分があるという受け止め方が現場では出ている。
努力するとは気持ちだけの努力ではなく、経費をかけるということ。報われないのではあれば、努力しなくてもいいかということになってしまう。
制度の基本的な部分は見直しになるとは思わないが算定基準が現実にあっていない。私たちも一生懸命、勉強し品種改良もしながら収量を上げてきた。その結果、コストも下がってくるわけだが、最近のこうした努力が算定基準に反映されていないという不満がある。そこは少なくとも改善が必要ではないか。
米でも同じような事態が起きていると思うが、畑作地帯でも面積が大きければ大きいほど所得が減っていくというのが現実ではないか。そうなると経営面積を拡大しようという意欲も薄れてくる。
一方で自給率を上げるという政策目標があり、そこに向けて私たちも努力して生産、供給するが、そう言いながらも生産意欲が失われるというのでは矛盾した話になってしまう。(談) |