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コラム


自然と共に生きるモンゴルの遊牧

◆モンゴルの歴史

 モンゴルという国を知る為にざーっと歴史を見てみると、13世紀にジンギス・ハーンが民族を統一してモンゴル帝国を創り、その子孫のフビライ・ハーンなどの4代が築いた最盛期には朝鮮半島からロシア、中国、南アジア、ハンガリーまでの広大な地域を征服し、日本にも2度襲来した。
 その後一族の内乱により分裂、清朝に支配され、16〜17世紀には清朝とロシアに挟まれ混乱の時代であった。
 19世紀に入り清朝の崩壊、続いて1917年にはロシア革命がありモンゴルも1924年人民共和国の誕生となった。
 社会主義の国ではあったが、その後の中国の革命によって1970年代までは、ソビエトと中国に国境を接し地政学的に緩衡地帯となり、両社会主義大国の狭間で揺れたがソビエト寄りの姿勢を取り、ソビエト連邦からの援助が大きかった。
 1991年のソ連の崩壊、中国の開放政策等によりモンゴルでも民主化が始まり、1993年からは議会制民主主義となり1996年にはこれまでの独裁政党であった人民革命党に代わって民主連合が圧勝し、自由化が一挙に進むこととなった。
 政治・経済の体制が変わり1997年にはWTOに加盟するなど、市場経済で動くようになったのはつい最近5〜6年のことである。

◆列車の旅

 ウランバータルからななめ南へ約450kmの東ゴビのシャインサンドまでの列車の旅は、出発してから約3時間150km位までは平原と標高50〜150mくらいの丘がうねうねと続き列車は丘に沿ってS字カーブで走る。その後の約300km7時間位の間ずーっと地平線まで平らな草原を真っ直ぐに走りどこまでも同じような景色が続くので、車窓から1時間おきに写真を撮ったら何時も同じ景色が写っていることになる。
 途中の駅の周りには、小さな集落があって何戸か家があり人も居るが、それ以外はごくたまに家畜と天幕の「ゲル」が見られるだけである。

◆車の旅

 シャインサンドの町から今度はシャイン・サルンル・ザムへロシア製のジープで約4時間南に下がった。
 草原の中を走るのだが、道といっても車の轍で自然に出来たデコボコの道をひた走る。
 青く澄んだ空の下360度の眺望がどこまでも続き、ところどころで遠くに放畜が見える他ほとんど人も家畜も居ない草原がどこまでも続く。
 標識は勿論のこと目印になる物が何もない中をよく迷わずに走るが、小生の乗ったジープのスピードメーターは何時もゼロであったが、40〜60kmのスピードで砂埃を巻き上げて走った。
 ロシア製のジープはボンネットを開けると、4気筒の1500ccくらいのエンジンとダイナモと気化器だけのシンプルなもので、頑丈で誰にでも修理が出来るせいかこの地域ではほとんどがこのジープであった。

◆遊牧の人々

 モンゴルでは5という数字が“吉”である。
 らくだ、馬、牛、山羊、羊を5畜といって牧畜はこの5畜をバランスよく組み合わせている。
 大草原というと、青々とした草原が続く豊かな田園風景というイメージとなるが、東ゴビの草原はこれとは全く違って半砂漠で、砂漠特有の高さが数センチしか育たない草が大地にしがみつくようにして生えており、日本流に言えば草も生えない、石ころだらけの痩せた土地といったところである。
 従って放牧も草を食べる量、食べ方の異なる、らくだ、馬、牛、山羊、羊をバランスよく組み合わせ、少ない草を根絶やしにしないように群れの規模も草の量に合わせて移動している。
 何千年という伝統の知恵である。

◆遊牧流の宴会

 シャイン・サルンル・ザムの農協の組合長が歓迎の宴を開いてくれた。
 車で草原の小高い丘まで30分ほど飛ばした青空の下、360度の眺望の真ん中で車座になって子羊の丸焼き、ボートグといって腹に焼けた石を詰めて焼いたモンゴルの客をもてなす上等の料理、をナイフで切りながら手で食べ、ウオッカを大きな盃で回し飲みをしてモンゴルの民謡を合唱してくれるという愉快な宴会であった。

◆遊牧民の天幕 ゲル

 

 モンゴルの景色はなんと言っても白いフエルトの天幕の“ゲル”である。広さは直径が8〜10mで一番高いところが8m位の円形で、くぎを一本も使わずに組み立てる。
 余程の雪や風にも耐える丈夫な物で、フエルトは羊の毛を2cm位の厚さに圧縮して作り、山形になる屋根の部分は二重になっており、1つのゲルにフエルトを2・5m幅で40〜50m使い10年くらいは持つという丈夫な物だ。
 入り口は必ず南にして、天井は換気と煙突の為に開くようになっておりそこから入る陽射しで時間が判るようになっている。
 家具はベッド、小さな箪笥と台所用品と真ん中にストーブ、山羊や羊の乳を入れて混ぜてチーズを作る道具があるだけの簡素なもので移動を中心にした生活である。
 燃料は木が無いので家畜の糞であるが、からからに乾燥しているので少しも臭いはない。
 勿論電気はなしでラジオが唯一の電気製品だ。トイレは外でどこでもご自由にといったところ。
 (ところでゲルは遊牧用とばかり思っていたら首都ウランバータルのホテル裏手の空き地や郊外に、地方からきた人達が小屋やゲルを建てて住んでおりその数は何百という数にもなり、むしろ都市の郊外の方がゲルの集団となっている。全人口230万人の20%弱、60万人もの人が押し寄せているウランバータルの都市問題の深刻をあらわしている風景である。)

◆市場経済と遊牧

 

 市場経済の競争原理はこの国のような遊牧にはまことになじまないシステムである。
 品種改良や飼料を工夫して多頭飼育によってコストを下げる畜産とは全く対極にある。
 しかも、10月上旬から3月まで厳しい冬で、最低はマイナス30〜40度にも下がる中でも家畜は全部屋外である。
 遊牧の人々は、自然と闘いながら家畜を繁殖し、毛を刈り、乳を搾り、肉用に育てるのが精一杯である。
 毛や皮や肉が半製品・製品になる処から市場経済が始まっている。
 一番貴重なカシミヤも、毛を刈った以降は中国、日本、アメリカ、ドイツ等外国の業者に牛耳られている。
 高価なカシミヤやらくだの製品の利益を遊牧の人達に戻すのには、農協組織が最終製品とするところまでタッチをして、政府も一定のガードを設けることが不可欠であるが現状は競争原理だけが働いている。
 これでは、いくら満天の星空と澄んだ空気があっても遊牧の人達は浮かばれない。

(原田 康)


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