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コラム


議員諸氏を「先生」と呼ぶ滑稽

 議員は一般的に先生と呼ばれている。町会議員や市会議員は身近にいるので「○○さん」と呼ばれることもあるが県会議員、国会議員ともなると「先生」である。
 議員を集まりに招待をした時の紹介もほとんどが「先生」と呼び、○○議員とか○○さんとは言わない。
 新年などで各種の業界が大会を開き国会議員諸氏を来賓として招待をするが、壇上に上がった議員同士がお互いを「先生」と呼び実力のあるところを誉めあって業界ヨイショをやっているのは滑稽な風景である。
 「先生」を広辞苑で引くと、(1)先に生まれた。また、その人に対する敬称。(2)学徳のすぐれた人。(3)学校の教師。(4)医師・弁護士など、指導的な立場にある人に対する敬称。などとあり5番目に他人を、親しみまたはからかって呼ぶ称とある。広辞苑の分類で言えば(1)から(4)には該当しないので(5)となる。
 国会の「先生」方の人相を見ていると、初当選の頃は活き活きとして知的な雰囲気もあるが、当選回数を重ね、派閥の中心となると段々険しくなり領袖ともなるともう相当なものだ。
 日本国憲法、第43条は「両議院は全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」と規定している。この規定は、国会議員は選出母体の委託や指図を受けたり、特定の利害の代表者ではなく、広い視野から良心に基づいた行動をするとしたものである。
 であるから議員の歳費、活動費、秘書の給料まで税金で負担をしているのである。
 議員の年功序列は当選回数である。閣僚、党三役をはじめ○○部会、○○議員連盟も原則当選回数で会長以下役職がつく。
 当選回数による年功序列の仕組みは、海千山千の「大先生」を不満の出ないように大臣、党の役職等を配分する知恵でもある。
 当選回数を増やすのには若いうちから議員になっておかなければならない。親譲りの二世議員が増えることとなる。
 落選をした時の惨めさと、権力を持った時の落差の大きさを子供のときから見て育っているだけに、新人議員にして既に永田町の政治家の素質を備えてきている。
 もっとも二世議員を担いでいる方も人格、識見、政治信条で応援をしているのではなく、自分達の打算であるからどっちもどっちだ。
 それなりの政治信条を持って議員となった人のなかには、勉強もし国家百年の計に向かって努力をするが、気の毒なことに政策提言や人格識見では党内はもとより官僚からも評価をされず、面倒の見方と当選回数の世界に居るうちに朱に交わればの言葉通り赤くなる。
 そこへ持ってきて「先生」、「先生」と呼ばれると尊敬を持って師と認められていると錯覚をすることとなる。呼ぶ方にとっては、本人が喜ぶというまことに都合がよい表現であるから他の呼び方はしないこととなる。
 政府機関が設置をする各種の審議会、諮問委員会で大学教授など本物の「先生」方が主役となって出す答申に対して、議員の思惑、利害と一致するときは尊重するが、議員の権力に踏み込んだり、選挙で借りのある業界に不利になるような答申には“素人に何が判るか、決めるのは選挙で出てきている政治家の俺たちだ”と開き直る。
 これなども何のことはない、「先生」の格の違いへのやっかみである。(原田 康)



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