「JA」から「農協」へ、協同組合の復権
◆協同組合のCが抜けている
農協、「農業協同組合」を「JA」と呼ぶようになったのは1992年4月に始まったCI活動からである。当時はCIばやりでJRやJTをはじめ、企業のイメージをローマ字やカタカナで表すことが流行した。
我が農協組織も“農協が変わります”のキャッチフレーズで農協からJAという名前に表現を変えこれを契機に内容も変えます、見ていて下さいということであった。JAは「Japan
Agricultural Co-operatives」の頭文字をとったが一番大切な、肝心の協同組合のCが抜けている。
外国から日本の農協を視察や研修に来た人がとまどい、説明をする方も苦労をするのがこのJAである。単位農協、県連、全国連の組織と役割分担は複雑であっても理解をされるが、頭にJAが来ると組織の違いを説明するのが難しい。JAを単独で使ったり、頭に付けたりがどうにもややこしい。単独でJAというのは単位農協と説明をすると、例えばJA弘前、JA青森県本部、JA全農となったときのJAとは何かが判らないようだ。またホクレンさんのようにJAを使わないところもある。「JAバンク」の説明も、総元締めの農林中金をJA農林中金とは言わないのは何故かとなる。
さらに、「JAグループ」は農協が集まって活動をするグループと受け取る。これは農協の組織全体を表すものと説明をしても果たして理解ができるのか、はなはだ心許ない。
外国の人だけではなく、日本国内でも農協関係者は区別をして使っていて、あいまいなときは前後関係で判断をしているが、一般の人はよく判らないのではないか。判らなくても一向に構わないのであえて質問もしない。
◆「農協」から「JA」で内容も変わるという発想
JAという表現がよく理解されないままに一人歩きをしていることの弊害は、協同組合であることが抜けていることである。確かに「農協」、「農業協同組合」というのはスマートなイメージではないし、「ノウキョウ」とカタカナで書かれるといかにも小馬鹿されたようで面白くないのはたしかである。しかし「農協」とすれば農業者の協同組合であることは誰にでも判る。JAが愛称としてあちこちで使われてもJAは農協のことですと注釈を入れないと協同組合であることが判らないのは困るのである。
JRは「JR東海」で完結するし、JTは旧日本専売公社が日本たばこ株式会社になり、煙草以外の事業に熱心であるのでJTはその体質を表していよう。
農協の関連会社についても、「JAグループの会社」というより「農協グループの会社」ですといった方が国産の原料を使った食品をつくっている会社、地産・地消の特産品の製造をしている会社であることがよく判る。安全・安心の上でもこちらの方が一般の人には判りやすい。
JAという表現が市民権を持つまでに普及をすれば、JAは注釈を付けなくても農協のことであると判ってもらえるという意見もあるが、それなら何故「農協」ではいけないのか。「JA」が頭につくことで組織間、職員間の連帯感が強くなるという意見もあるが、協同組合運動の仲間意識がもっと大切なことではないのか。CI活動を理解していないといわれればそれまでであるが、協同組合のCがないのはなんとも淋しい。
株式会社や任意の団体ではない協同組合組織であるということを、内外に示すことにもっと努力をすることが必要とされているのではないか。農協組織が組合員からも、一般の人からも信頼と支持をされるためにも、「JA」を農業協同組合を表す「農協」に戻した方がよいのではないか。 (原田康) (2004.3.2)