ダイナマイトとインターネット
アルフレッド・ノーベルが偉大な科学者として後世にまで人々に尊敬の念を持って名前を知られているのはダイナマイトを発明したことではなく、ノーベル賞を創設したことによってである。ダイナマイトが産業の振興に使われるよりもむしろ大量殺戮のための兵器として使われることを悔やみ、平和と人類の進歩に貢献をした人に贈る賞のための基金を創った。
インターネットは、青木良旦著「情報って何だろう」(岩波ジュニア新書)によれば、いつ、誰によって創られたかは様々な説があり、コンピューター自体をどう定義するかによっても違ってくるが、一般的に開発のきっかけは第二次世界大戦時の弾道計算など武器の精度を上げるのを目標としたということのようだ。
ところで、コンピューターは本来人々の暮らしを豊かにし、文明の進歩に貢献をする道具として技術が進み、小型化、大容量化をしてきたはずであるが、結果はノーベルのダイナマイトと同様の副作用がひどくなってきている。
現代の戦争はITの技術を駆使してまるでスターウォーズの現代版のようになり、しかも茶の間で観ることができるようになった。人類の進歩はこの戦争を止めさせる知恵がつくことであるが、事態は逆で、世界一金持ちで技術水準の高い国が自らスターウォーズをやっている。ITの技術はハード面では文字どおり大量破壊兵器の開発を進め、ソフト面ではケータイに代表されように人の心をむしばんでいる。
歩くときは思索にふけり電車の中では居眠りをする、これが人間らしい姿である。
少なくともケータイのない時代はこのようであった。
ケータイの技術的進歩、進歩というより“単なる便利さ”の方が正確であるが、電話、テレビ、パソコン、ステレオにキャッシュカードまで付くようになった。この技術の水準はついに人の魂まで吸い取るまでになった。ケータイは善・悪の判断のつかない人を創るところまでに発達した。
テレビはといえば、壁にかけられるような薄くて大型のハイビジョンの綺麗な画面で、ヘリコプターからミサイルが打ち込まれて市民が殺されている画面をリアルタイムで見られるようになった。観て評論はするがそこまでで思考と行動が留まる結果、戦争を始めたり応援をする人が選挙になると当選し、世論調査をすると評判がいい。テレビの進歩は文明の進歩には寄与をしていないようだ。
インターネットが今のように便利ではなかった時代は、必要な情報や資料を手に入れるのには足を運んで探し出し、いくつもの資料の中から必要なものを選択して読んだり書いたりして使えるようにした。たしかに手間暇はかかったが、この手間暇は必ずしも無駄な時間ではなく資料をどのように使うか、資料がないときには次をどうするかと考える時間でもあった。
IT技術の発達はこの手間暇を指先の作業に変えた。インターネットの前に坐っていると情報の方で押しかけてくるようになった。思考より先に結論が他動的に与えられる。のりとはさみの世界で、これすらも画面の上で済ませてしまう。
大宅壮一氏がテレビの普及を「一億総白痴化」をもたらすものといったのは1975年頃であったが、インターネット、ケータイはそれを促進している。
情報を操作している側にとっては、情報の海の中で無邪気にハシャイデいる人たちを観るのは楽しいことであろう。
ここでアルフレッド・ノーベルが偉大であったことが浮上する。
ビル・ゲイツや、日本にも似たような人はいるが、彼らに代表されるIT関連の産業で金持ちになった人たちや企業は競争に勝つための投資ばかりに金を使うのではなく、ノーベル賞に匹敵をするような賞の基金を創って、せめて当期利益や所得の10%を拠出してはどうか。
ITによる功罪を天秤にかけると罪の方がずっと重くなってきているが、この賞の創設でバランスが幾分かは取れるようになろう。 (原田 康) (2004.6.28)
|