職場に誇りと喜びを持とう
フリーターという和製英語が大手を振って歩く時代となった。
市場経済の競争社会が善とされ、アメリカ型資本主義に都合のよい物差しがグローバルスタンダードという名の下に我が物顔の今の時代に、生き甲斐のある職場を見つけることは容易ではない。
しばらく前のことであるが、協同組合懇話会の研究会で日生協の竹本前会長から生協の持つ主要な課題の1つが人材の育成であり、これの手を抜くと必ず後代にツケが回る、人材の育成が事業を支える基礎である。人材育成とは生協のアイデンティティをどのように仕事に活かすかであり、生協で働くことに誇りと喜びを持つこと、このような職場をつくることといわれた。
これはそのまま農協組織に当てはまる。単位農協も連合会も、さらに農協の事業を補完する関連会社を含めてそこで働くことに誇りと喜びを持てる、そのような職場にすることである。
農家、組合員の皆さんは専業でも、兼業でも、それぞれの立場で日本の農業を支えている。個々の農家ではとても対応のできない経済、政治の体制に協同組合という組織で対抗しているのである。残念なことではあるが、このところ農協や連合会、関連会社が不祥事を起こしマイナスイメージで、あちこちから叩かれている。しかし今の日本に農協組織がなかったら農家がどのような状態になるのかを想定すれば、この組織が協同組合として役割を果たす重要さが理解できよう。
協同組合という職場で働くことに誇りと喜びを持つ、そのような職場とすることである。一般の株式会社では働く従業員がそのように願っても、株式会社という本質を変えることは不可能である。今の時代は無茶な儲け方をすれば社会的な制裁を受けるという自浄作用は働くが、競争に勝つこと、利益を上げることが優先する。会社に自分を合せてせめて主体性を保つか辞めるしかない。
協同組合は参加型民主主義が設立の原則である。組合員とそこで働く職員が目的に向かって作り上げていくものである。
現在の職場が納得のいかないのであればそれを変えればよい。コンプライアンスとか日本語にならないキャッチフレーズを重宝して使っているが、誇りを失ったところではチェックを二重三重にすることしか残されていない。
誇りと喜びを持てる職場とするためには、回り道のようではあるが人材の育成である。この場合の人材というのは、組合長、理事長以下経営層から中堅、一般職員さらにパート、アルバイトの人達までをいう。
有識者なる人を委員にして改善策の諮問をするのが流行っているが、協同組合理念のない人達が一般的な指摘をすることが役に立つとも思えない。
協同組合の理念の教科書を今一度ひもとく必要があろう。 (原田 康) (2004.9.29)
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