合併は一旦足踏みを
大勢で行進をするとき、バラバラになったり先頭と後ろが離れたときには全体が一旦止まって足踏みをしながら隊列を整える。組織も同じである。
1980年代後半からのバブル景気は、1989年12月29日の日経平均株価38,915円
をピークに崩壊を始め株価が急落、翌90年の半ばには2万円台の安値となった。
更に、1992年の半ばには1万5千円台とピーク時の4割の水準に下げ、以降97年まで1万5千〜2万円の幅で低迷し、2001年に入って1万円台までジリジリ下げ2003年4月28日に7,607円とピーク時の19%という安値で底をつき、以降少しずつ持ち直したがバブルの崩壊の影響はまだ続いている。
農協の信用事業も、このような日本の景気動向を背景にこの期間大きく組織の改革が行われた。
課題解決の先送りの弊害…
1990〜94年には金融自由化へのチャレンジ・挑戦と改革、95〜97年は金融新時代への改革、98〜2000年には日本版ビッグバンに対応した事業の再構築、JAバンク作戦の展開、2001年には再編・強化法といわれる農林中央金庫法の改正、02年「JAバンクシステム」のスタートと系統信用事業の改革、再構築が進んでいる。
またこの時代は1990年の自主流通米価格形成機構の設立と自主流通米市場の開設、95年の新食糧法施行とコメの自由化が進められた時代であった。
このような時代の動きを受け、1991年には総合審議会の「系統農協の組織整備、農協・連合会の事業機能等について」の答申が出された。また農協合併助成法の期限延期が2度にわたって行われる等組織を上げての農協の合併が始まった。
また、住専問題が大きくマスコミで取り上げられ国会でも問題となり、96年には住専処理機構が設立された。同年に農政審の報告「信用事業を中心とする農協の事業・組織の改革の方向」が出され信連と中金の合併を内容とする農協改革2法案が成立している。
このような動きを背景として農協の合併、連合会も県連と全国連の統合が組織決定となり農協の合併、全国連への統合が進んでいる。
農協が大型になることについて、信用事業では「JAバンクシステム」が有効に機能をすることで、ペイ・オフ対策を含めて順調に進んでいる。
販売事業、購買事業、営農指導事業は地域の歴史、品目の特性があるので大きくなることが必ずしも直ちに組合員へのメリットを生み出すこととはならない。合併、統合に当たっての計画と説明ではバラ色とまではいかないまでも効能をいろいろ謳ったものの実績を出すのに何処も苦労をされている。
信頼関係の構築を
岡目八目的に見ると、合併、統合に際してやっかいな問題を先送りをして結論を急いだことの弊害が出ているように思われる。
やっかいな問題は数多くあるが日常の仕事に大きく影響をするのは人事、給与、就業規則である。
人事異動、昇格、給与規程、就業規則のうちの処遇についての規程は組織としての方針を実際に個人に適用をすることであるから、トップ、経営層がハッキリした方針で臨まないと全体が一丸となって前に進む力が出ない。
特に人事は明確な基本方針を作り業務最優先で実施をすることが鉄則である。
もちろん個人的な事情は配慮をするとしても、ルールをキチンと守ることで皆が納得をし、秩序ができる。
合併・統合後もそれぞれが過去の経過を持ち込んでマアマアでは一見平和であるが仕事はうまくいかない。
問題の先送りは既得権と個人的な利害、財源がだんだん減っていくことでますます難しくなる。
合併、統合をしたところは先送りした問題をかたづけるまで一旦足踏みをする、新たに合併が予定されているところは先送りをせず合併前に規程を統一するまで待つ、このことが必要ではないか。
協同組合組織では製造業と違って一発ヒット商品が出て起死回生とはいかない。
組合員、役・職員、関連企業、取引先の信頼関係があって初めて本来の機能が発揮される。それだけに基本の姿勢があいまいであると今流行のコンプライアンスなるものもキャッチフレーズになってしまう。
今一度立ち止まって、少し頭を柔らかくして方針を見直すことが求められている。(原田 康) (2005.2.2)
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