コミュニティの結束で農村支える −ラオスの「タ・ラート」 (2)
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ラオスでは、前号で書いたように、卸売市場が独立をした場所で卸売人による販売が行われるのではない。小売市場と同じ場所で、早朝時間差を利用して出荷者と買い手が相対で取引をするので、よそから見ると小売が早く来ているとしか見えない。卸売をする場所は何処も青空広場なので電灯のないところが多く、ローソクを付けたり手探りのようなやり方で取引をしている。
売り手は、農産物を持って来た近郊の農家か産地で買い付けた産地商人である。産地商人もせいぜい2tトラック程度の規模で家族で働いている。買い手は同じ市場や周辺の小さな「タ・ラート」の小売商である。
場所は4×4mが1コマで個人毎に決められており毎日場所代を払う。雨や日差しを避けるためビニールの屋根を付けたり大きな傘を差している。
市場での売り手、買い手からの聴き取りと、近郊の農家を訪問したときの話を総合すると産地商人のマージンは野菜で20%位であった。農家がテクテクと呼ばれる三輪車を雇って自分で売りに来ても経費はかかり、1日仕事ができなくなることを考えると妥当な水準であろう。
集落ごとに商人が数人いてみな顔馴染みであることや、携帯電話で情報が取れるのでごまかしは利かないとのことである。
日本的な流通から見るといかにも遅れた、フード・システムでは説明のつかない不合理な形態となるが、流通に余分なコストをかけず最小限の費用でその日のうちに卸も小売も売り切ってしまう方法は今のラオスの生産・消費の水準にあったものであるということでは合理的である。
問題は、大型のスーパーマーケットが進出して一定のシェアーを占めるようになった時に、このような姿ではバイイングパワーの前に赤子の手をひねるようなことになることだろう。幸い、ビエンチャンにはラオス資本の小型のスーパーマーケットがようやく昨年1店オープンしたのみである。所得が増え、価格が少々高くても肉や魚がパックされ、売場も便利さが高所得者のニーズに合うようになると、他の国で見られるように外国資本の大型スーパーが猛威をふるう。
ラオスの農業はもともと家族農業の小規模自給自足型であったが、1975年に社会主義体制になってソ連のコルホーズ型の「サハコーン・カセート」と呼ばれた集団農場制を取った。家畜や農機具を徴収され生産性の上がらない集団農場は農家の評判が悪く、1986年に市場経済への移行とともに消滅し家族経営に戻った。
1997年にアセアンに加盟し農産物の自由化のなかで隣国のタイ、中国、ベトナムなどから農産物が入ってきており、小さな農家のままでは競争力がないが、集団農場の印象が悪いので官製の協同組合には抵抗がある。
しかし、村落、コミュニティ社会は健在で、村長やリーダーシップをとる人材を中心に活動をしている。
農村を訪問したとき、小学生が100人以上でバケツを持って来て乾期で水の少なくなった近くの川の中州から砂を運んでいた。何をしているのか聴いたら、小学校の校舎の増築の煉瓦を積むコンクリートの砂をみんなで運んでいて、隣の学校の子供も応援をしてわいわいと楽しんでやっていた。コミュニティが結束をする条件はあることを観ることができた。
ラオスの農家の収入を増やすためには今のうちに共同して販売のできる組織、仕組みを作っておくことが何より大切なことである。 (原田康)
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