「遺憾」この便利な言葉
エライひとがテレビの画面で「遺憾の意を表します」、「遺憾に堪えない」、「まことに遺憾である」といって頭を下げたり、同じ言葉を使って詰問調で開き直ったりの光景がよく見られるようになった。注意をしてみているせいか、以前に比べて多く見られるように思われる。
「遺憾」という言葉はまことに便利である。企業や団体が起こした不祥事に対してトップが「まことに遺憾に存じます」と頭を下げる。原子力発電所や電車の脱線のような大事故から、保険金の支払い、業界の談合、商品の不当表示、所管官庁からの行政指導、警察の裏金づくりや誤認逮捕など実にいろいろな事柄に対して一様にトップは「まことに遺憾」となる。
イラクのサマーワにある自衛隊の宿営地の近くが攻撃された時も、政府や防衛庁の見解は「まことに遺憾である」である。
また、これとは全く違ってスポーツなどで上位に食い込んだり、思いがけず優勝をしたりした時は「持てる力を遺憾なく発揮した」となるし、応援するときも「力を遺憾なく発揮せよ」となる。
ところでこの「遺憾」を辞書で確かめると、広辞苑によれば「思い通りにいかず残念なこと、残念、気の毒」。「[遺憾なく]申し分なく、十分に。「実力を――発揮する」とある。三省堂の国語辞典を見ると「じゅうぶんに出来なくて、心残りがするようす」。「遺憾の意を表する」の説明として「(1)釈明する(2)軽い非難の気持ちを述べる」とあり「[遺憾なく]」として、「もうしぶんなく、じゅうぶんに」となっている。
◆「遺憾に堪えない」のホンネ
このように「まことに遺憾であります」と云った場合、「まことに申し訳ないことを致しました、お詫び申し上げます」と云うことの他に「思い通りに行かず、誠に残念であります」というのが本来の使い方となる。テレビの会見で「まことに遺憾に存じます」と頭を下げるときのホンネは「これくらいのことをわいわいマスコミが騒ぐので人前で頭を下げなくてはならなくなった、誠に残念」かも知れない。このように受け取ると、エライひとの「遺憾に思う」という表現がまことによく理解できる。トップがテレビで頭を下げている姿を見ると勲章が飛んでしまった悔しさがにじみ出ている。
「遺憾である」について発言者と聞き手が双方自分に都合の好いように解釈をして一方は「してやったり」、他方は「あのように云っているのであるからもういいことにしよう」となっている。
イラクのサマーワの攻撃がいい例であるが、誰に向かってどの様な見解かをハッキリさせるべき立場の人が出てきて「遺憾である」というのでは云う方はともかく、聴く方にはさっぱり判らない。
困るのは高級官僚、政治家、大臣までが公式な見解としてこの表現を重宝がって使っていることである。毎晩テレビに出てきてワンフレーズで済ませている首相もこの言葉を上手に使っている。反対意見への感想や、任命した大臣のへまをやった後始末の会見での「遺憾に堪えない」くらいならどうでもよいが、外国へ出かけて首脳会談の後の記者会見や共同発表にもしばしばこの表現が出てくる。外国語に訳したとき玉虫色などではなくまるで反対のニュアンスになることがあり得る。かなり正確な日本語を使っても玉虫色で、双方国内にいい顔のアナウンスをする外交がまことに遺憾な状態となっていないか心配である。
ニュース番組のテレビの記者会見を見ていると「遺憾であります」がうまく使われている。使う方にはまことに便利で重宝なので面倒なことになりそうなときは「遺憾である」ですましてしまうが、マスコミもそのまま受けて発言者がその言葉をどの様な意味で使ったのかを確認をしていない。ジャーナリストとしてあまりにお粗末である。
企業や団体のトップが使っているのは聞き流せば済むが、政府、政治家、高級官僚がこれを使う時がクセ者で、実害をもたらすことが多い。要注意である。(原田 康) |