「食」と「農」の距離 ◆フードシステム
食糧問題を生産から消費までの流れ「川上」「川中」「川下」「みずうみ(消費者)」という体系で捉える高橋正郎氏の「フードシステム」という概念による分析方法を分かり易く言えば、かっては「食」と「農」は隣り合わせに居て、その頃は「食糧問題」イコール「農業問題」であったが現在の特徴は「食」と「農」との距離が拡大したことにある。現在の食糧問題は「食」イコール「農」プラス「食品産業」という体系で全体を捉えて分析することが必要になった、というものである。
この考え方は農業問題を考えるうえでも分かり易い。国産の野菜、果実、畜産物は農家と消費者との距離は昔も今も変わらないが、その間に卸、食品加工、中食、外食、小売とたくさん入り込み、しかもそれらの間を行ったり来たりしてエンド・ユーザーに届くので中間の段階が増えただけ縁の遠い関係となった。
輸入品はもっと分かりやすい。生鮮物はまだ比較的近い国から来ているが冷凍物などの加工食品の原料は地球を一回りするような距離となっている。
◆各国の食文化
「市場経済化」が大手を振って、それに物流、情報の技術の発達がグローバル化を推し進めているので、「食」と「農」との距離の拡大は世界的な徴候かというと国によってかなり違うようである。
自由貿易の拡大が世界規模で地域経済の再編を促している様子は毎日のマスコミが流している通りであろう。
しかし、各国の持つ固有の食文化、農業を大切にしているところは必ずしもその様ではないようだ。
先日、南米パラグアイの農協の日系一、二世の組合長、理事さんと畜産の話をしているなかで牛肉の味について日本とパラグアイでは全くといっていいほどの違いが話題となった。
パラグアイでは牛肉が主食のようなもので、牛肉なしの食事は考えられないというほどポピュラーな食物であるが、パラグアイの人に最も好まれるのは解体をして直ぐに血の付いているような骨付き肉を直火で焼いて食べるのが最高である。
と殺して直ぐの肉は固くなる前の状態であるが、それでも時間が経った肉に比べればずいぶん固いがこれを熱いうちに食べるのが一番の贅沢で、残ったのをぶら下げておいて順番に切って食べるという。
中央からエライ人が来た時のもてなしもこれが最高という。
牛はインド系の小型のやせた牛を放牧するのであるから肉はずいぶんと固いと云うことである。
以前、日本の牛肉に近い肉へと配合飼料で仕上げ太らせたが、パラグアイの人達には柔らかくて匂いがダメで旨くないという評価でこの肥育方法は不評であったという。
パラグアイの「食」と「農」の距離は裏庭から台所まですぐ隣りのままである。
1986年5月、ローマのスペイン広場の「ローマの休日」で一躍有名になった噴水近くの一等地にマクドナルドが店を出すことへの反対運動から始まった「スローフード」運動は、イタリア伝統の材料と食文化を大切にしようという大きな運動となり各国でスローフード協会の支部が出来、世界的な運動へと環が広がっている。
◆流通のコスト
「食」と「農」の距離が遠くなったということは、それだけ中間コストが増えたということでもある。「豊かさ」、「便利さ」を鳴り物入りで宣伝し、「高付加価値化」という名のもとに経済の発展という理屈を付けて「食」と「農」の距離を遠くした結果でもある。
生産者の手取りを増やし、消費者も安い価格で買えるようにするためには無駄な中間経費を減らすことである。パラグアイの食文化までは無理としても、生産者、消費者の立場からの見直しが必要な段階である。
例を挙げれば、現在の野菜、果実の圃場からエンド・ユーザーまでの全部のコストをいっぺん洗い直して、どうしても必要なものと高度成長、補助金のあった時代の延長で続けているが、工夫をすれば削れるものとを見直すことが求められている。
農協の事業改革も、遠くなった両者の距離近づけること、中間のコストを下げることに真剣に取り組むことが必要であろう。(原田 康)
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