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農協時論

小泉流「構造改革」の本質
−−痛みに耐えた結果はどうなるか

北海道大学大学院農学研究科教授 三島徳三
 

三島徳三氏
(みしま とくぞう)昭和18年東京都生まれ。昭和43年北海道大学大学院博士課程中退、酪農学園大学、北海道大学農学部助手、助教授を経て、平成5年から教授。専門は農業市場学。日本農業経済学会・日本農業市場学会副会長。主な著書は、『農政転換と価格・所得政策』(筑波書房刊、編著)、『農業経済学への招待』(日本経済評論社刊、編著)など。
 9月10日付けの本紙で、2人の方(茨城大学・安藤光義氏、立正大学・五味久壽氏)から拙著『規制緩和と農業・食料市場』(日本経済評論社刊)に対する懇切丁寧な書評をいただいた。書評 両人から出された問題については、本来、逐一回答すべきところだが、ここでは紙面の制約もあり、書評であまり触れてもらえなかった――しかし、私としてはもっとも主張したかった――農業における「構造改革」(規制緩和・市場原理導入が主要な手段)の本質とその背景について時論風に述べることによって、間接的な回答としたい。
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 拙著が印刷に入ってまもなく、「聖域なき構造改革」「改革なくして成長なし」と断定的に主張する小泉純一郎を首班とする新内閣が生まれた。森内閣のもとで暗い気分に陥っていた国民は、勇壮に「改革」を語る新首相に熱狂的な支持を与えた。それは、「ミラクル・アゲイン」をぶち上げ、首位のヤクルトを猛追した巨人軍の長嶋茂雄監督に対するファン心理に似ていなくはない。
 小泉首相は長嶋茂雄と同じく、パフォーマンスが得意である。首相指名後まもなく、両国国技館で開催されていた大相撲夏場所千秋楽の表彰式に出向き、優勝力士の貴乃花に総理大臣杯を渡した折りに、「痛みに耐えてよく頑張った」と激励の言葉を与えた。貴乃花は14日目の取組で膝に重大な損傷を負ったにもかかわらず、千秋楽に無理を押して出場し、優勝決定戦で武蔵丸を破って優勝したのである。小泉首相の言葉に多くの国民は感動を共にした。だが、これは「構造改革にともなう痛み」を国民に甘受させるための、計算されたパフォーマンスであった。

「改革プログラム」の進行で一層深刻化する不況と失業

 6月末にいわゆる「骨太の方針」が閣議決定され、小泉首相の言う「構造改革」の中身が次第に明らかになってきた。第1に3年以内の不良債権処理、第2に財政改革、第3に特殊法人改革、「改革プログラム」はこの後も続いているが、その多くは国民に痛みを強いるものとなっている。とくに、不良債権の最終処理を早期に行う結果、中小企業の大量倒産と失業者のいっそうの増大が避けられず、不況がますます深刻化することが予想される。また、財政改革では社会福祉関係の予算が大きく削られ、医療費・健康保険料などの国民負担が膨れ上がる。
 「いま痛みに耐えれば、必ず明るい未来が開ける」と言われれば、苦境にある国民の大部分はそうなのかと思う。だが、経済の行く末を示す株価は急落し、小泉首相に任せて本当に大丈夫なのだろうかという疑念は、冷静な国民の中に確実に広がりつつある。
 「痛みに耐えて頑張った」貴乃花は、膝の故障が悪化し、その後2場所連続休場した。その結果、一人横綱の大相撲の人気は下落した。貴乃花が「痛みに耐えて頑張った」ことによって、その力士生命が危うくなっただけでなく、日本相撲協会は営業上、決定的なダメージをこうむったのである。

景気回復を図るカギは個人消費の増大策の実施

 話を「構造改革」に戻す。拙著の表紙のカバーには「構造改革の本質を突く」との宣伝文句が書かれている。「構造改革」は小泉首相が初めて言い出したものではない。「構造改革」の思想的源流は、1970年代に先進国の財政危機の中で生まれた新自由主義である。日本では80年代の臨調・行革路線、93年の細川内閣に始まる規制緩和政策、97年の橋本首相による「六大改革」方針等となって展開された。しかし、自民党の過半数割れの下で生まれた小渕・森の両内閣は、橋本首相による「財政構造改革」路線を中断し、「景気対策」と「金融不安解消」を名目に、再び財政拡大路線に転じた。国債は天文学的に膨張した。その結果、99年度予算では歳入の47%(2000年度は42%)が公債金という異常事態になった。小泉首相でなくても、「財政構造改革」は待ったなしの事態になっていたのである。
 問題は財政構造改革のやり方である。小泉流「改革」は、歳出面では「民間でできるものは民間に任せる」として、福祉・教育・農林漁業・中小企業など民生予算をバッサリ切り捨てる、いわゆる「小さな政府」論に立っている。また、歳入面では、税金の所得累進性を緩和し、間接税を含め多くの国民から税金を徴収しようとする。消費税の大幅引き上げも必要となる(竹中経済・財政担当大臣は著書の中で消費税の27%への引き上げを主張している)。これは国民に痛みを与える「財政構造改革」である。
 国民の立場からすれば、資本主義国第2位の防衛費や浪費的な公共事業費などを削減すれば財政危機打開につながるのではないかと考えるのだが、小泉内閣にはこうした姿勢はない。防衛費にあっては、アメリカの「同時多発テロ」への報復支援を理由に、さらに膨張しそうな勢いである。国内総支出の六割を占める個人消費を高め、これを軸に景気の回復を図る。こうした構造改革こそ、国民が求めていることではないのか。

「農家の総撤退」が始まろうとしているなかでの政策

 それでは、農業の「構造改革」はどうなるのか。前述のように、わが国の「構造改革」は新自由主義的政策の下で80年代初頭から始まり、橋本「六大改革」の表明で全貌をあらわにした。その基調は市場原理と競争原理の徹底であり、その観点から経済的規制、社会的規制を問わず、民間の自由な活動の制約になる規制はすべて撤廃ないし緩和の対象となる。農業では橋本「改革」以前から、すでに規制緩和政策を展開してきた。その象徴的施策は、93年12月のウルグアイ・ラウンド農業合意受け入れと1年後の新食糧法の制定(食管法の廃止)である。農業の場合、ウルグアイ・ラウンドという外圧があったため、新自由主義的政策の展開が橋本「改革」に先んじたのである。
 新食糧法下の米政策と農産物価格形成への市場原理導入によって、農業所得は軒並みダウンしている。農業の保護政策はとっくの昔になくなり、身を削っての競争、いや農家の総撤退が始まろうとしている。そうした中で、小泉流「改革」は、日本農業をどこにもっていこうとするのか。
 武部農林水産大臣の私案では、「農業経営安定対策」(所得補てん対策)の対象を主業農家・法人・生産組織を中心とした40万戸程度にしぼろうとしている。その結果、80万戸近い自給的農家はもとより、約180万戸の販売農家(準主業農家、副業的農家)が対策の対象から外される。「改革の痛み」は主にこれらの層に負ってもらうというのである。
 「聖域なき構造改革」は単に財政危機に対する対応だけではない。グローバリゼーションという、アメリカが主導する国際通商政策への対応でもある。多国籍巨大企業を先頭とする資本の活動領域から、国境という人為的限界をなくそうとするのがグローバリゼーションである。これを「もはや後戻りすることができない」(安藤氏)と言ってしまうことは、人類をアメリカや多国籍企業と心中させることになりはしないか。
 WTO体制の発足から6年が経過した現在、グローバリゼーションの弊害は世界各地で噴出している。マレーシアなど国際投機資本に痛めつけられた国では、外国資本の規制に動いている。EU諸国では地産地消への意識がつよく、これを崩すものへの規制は国民のコンセンサスになっている。農業・農村の多面的機能に対する評価も、世界経済が停滞期に入るに応じて高まってきている。もとより情報通信技術などグローバリゼーションの進歩的側面は利用すべきである。だが、市場開放や規制緩和への批判について、これらを「一国鎖国主義」などと揶揄することは、世界の伏流を見失うことになるであろう。時代を透視する科学的態度が研究者に求められているのである。

 


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