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(かわい かずしげ)
昭和7年神奈川県生まれ。昭和27年東北大学経済学部卒。全国農業会議所を経て、45年東北大学農学研究所、63年同大農学部教授、平成8年同定年退官。現在、食糧・農業を考える宮城県各界連絡会代表世話人、みやぎ・環境とくらし・ネットワーク(MELON)理事。主な著書は『危機における日本農政の展開』(大月書店)、『日本の米』(新日本出版)、『恐るべき輸入米戦略』(合同出版社)など。 |
近年、環境保全型農業という言葉に陽が当たっている。消費者も農民も、そして研究者も、何も疑問を抱かずにそれを使っている。しかし、私は、何か割り切れないものを感じ続けている。
環境保全型農業という言葉、あるいは政策は、農薬や化学肥料を沢山使う農業を方向転換して、環境にやさしい農業に切り換えようという考えがキッカケになったことは世間で知られていることである。そのこと自体、私は何も疑問を差し挟むものではない。
日本で、農薬・化学肥料を沢山使う農業に疑問を抱き、それを何とかして農業本来の技術を取り戻せないか、ということから「日本有機農業究会」が一楽氏を中心に発足したのが1971年だった。この研究会では、いわゆる有機栽培方法を農業技術としてどう作り上げるか、言い換えれば、近代化農業の道をまっしぐらに進んできた日本農業が、地力を低下させ、水を汚染し、農民の体を蝕み、という事態を生み出したことに対する警告の意味を持っていた。それが今から30年も前に行われていたことに、一楽氏らの先見性を見いだすことができる。
一楽氏らの提起は、難しく言えば「日本農法革命」の提起と言えよう。しかし、当時は、農林省も消費者も農民も研究者もそれに極めて冷淡・無視の態度であった。恐らく、それを受け入れれば、農業の近代化が遅れるという危惧があったのであろう。
◆環境保全型農業では生産性の低下は常識
農水省の公式の文書で「環境保全型農業」の言葉が現れるのは1991年の『農業白書』においてである。それは「農業の生産性向上と環境保全との調和のとれた環境保全型農業を確立することが重要」というものである。生産性向上と環境保全農業とが調和をとれると本気で考えたとすれば、それは行政の姿勢を疑われても止むを得ないだろう。
何故なら、環境保全農業(有機農業)は、手間と時間がかかる、いわば効率性の低い生産にならざるを得ないから、生産性向上(労働生産性向上)は低下するのが常識だからである。
この時期に農水省が何故環境保全型農業の言葉を使いはじめたのか、探って見る価値がありそうだ。
◆国際的課題を国内では論点すりかえて
当時すでに、特に消費者から、農薬と化学肥料の多投に疑問・危険を感じはじめたこと、それが世論に高まり始めたこと、これらが直接のキッカケであったと思われる。
しかし、問題はもっと深いところにあったと見ることができる。
国連のFAO(食料・農業機構)が、1980年代にすでに「持続的農業の発展」(Deveropment of Sustainable Agriculture)の方向を出し、88年にそれの定義をまとめている。それによると、「持続的農業は、環境の特徴を維持、向上し、また天然資源を保全しつつ、人類の変換する諸要求を満たすために、資源管理への周到な配慮の下に行う農業(「国際農業研究協議グループ」の「技術諮問委員会」)と定義づけている。
そして、次のような詳細で具体的な内容を整理している。
「持続性の決定要因」=生産体系の基盤を構築する生物的(遺伝資源、育種、病害虫総合防除)要因、物理的(土砂、水、大気、有害物質、エネルギー)要因、社会経済的(農業政策、生産基盤、農民組織、制度普及、研修)要因。
「持続性」の研究戦略=本来的な生産性増強への努力、資源管理への留意。
「持続性研究の最重要課題」=食糧や衣料について急増しつつある諸問題を包括する開発途上国の要望にこたえるものでなければならない。
「持続的農業と資材投入」=持続的農業という概念は、有機農業や低投入農業のような栽培方法による代替技術と同等ではない。総合的に管理された作付け体系では、現行の単作体系の場合よりも、単位生産当たりの化学肥料・農薬・抗生物質の使用料の軽減を達成する場合が多い。このことは経済的にも生態的にも大きな利点を有している。
「持続性の脅威に対する認識」=人口圧、国際貿易制度の変化、農業集約度の変化などの結果として、今後の十年間においてこの脅威は緊急性を促すと考えている。
国連FAOのこの提起には次の特徴がある。(1)持続的農業は、生物的・物理的・社会経済的の総合的要因で成り立つ、(2)地球的規模で食糧生産の方法を切り換える必要がある、そしてそれは緊急性を伴う。(3)持続的農業は単なる栽培方法の変化ではない。
◆英雄視では解決しない地球規模の農法の転換
ところで、1991年に、国際農業経済学会日本大会が東京、京都、仙台、札幌などで開かれたが、その時の共通テーマが「持続的農業の発展」であった。恐らく、国際学会の役員達が国連FAOの提起を積極的に受け止めたのであろう。私はそのテーマに新鮮さを覚えた。これをキッカケに日本でも「持続的農業の発展」という理念が広がる兆候が見えた。
ところが、である。その年の農業白書で初めて「環境保全型農業」が提唱された。私は、直観的に農水省が問題をスリカエタと思った。
国連FAOの提起は、今の世界の農業のあり方を「革命」とも言える大転換を図ることを提起し、日本でもその考えが普及の兆候が見えたため、急いで方向転換のシグナルを発したのではないか?国連の理念に沿えば、日本も生物的・物理的・社会経済的な総合的施策を講じなければならない。しかし、それは、規制緩和・小さい政府の実現に竿をさすことになる。
そこで、世論に沿う形で、農業が環境を壊している、だから、環境に優しい農業を!の世論を広げ、農民と消費者を仲良く、という舞台装置を作る。
農民には、有機農業を推奨するが、それで背負う農民の負担には政府は目を頗る。消費者はその舞台装置に気づかずに環境保全型農業に取り組む農民を“英雄視”して、その農民の負担には関心が向かない。
農水省から見れば、メデタシ、メデタシなのであろうが、環境保全型農業に取り組む農民は汗を流すだけで、その汗に対する社会的な代償は何も手にしていない。
◆美名に惑わされずに農民への補償こそ
国連が言う社会経済的要因に農業政策がある。この内容はさまざまであろうが、日本では、有機農業(環境保全型農業)に取り組む農民にはその生産物に代償を給付することを具体的に実施することが、問題をスリカエた政府のせめてもの罪償いではないか?それは、農産物の最低価格保証政策の実施以外にない。
WTO農業協定でそれを禁止している、と政府は言うであろうが、EUもUSAも最低価格支持の一線は崩していない。
「環境保全型農業」の美名に惑わされずに、農業が持続的に発展する道筋を、今、築かなければ、取り返しのつかないことになろう。
目指すのは「農業保全型環境づくり」である。
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