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(さとう さとる)1949年生まれ。北海道大学大学院博士課程単位取得。農林省農事試験場、農林水産省農業研究センター主任研究官、東北農業試験場研究室長、秋田県立農業短期大学教授を経て99年4月より現職。近著に「大潟村の新しい水田農法」(共著)、「ファーミングシステム研究」(同)など。
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私の属する秋田県立大学は創立3年の若く小さな大学であるが、昨年2001年11月に、建学以来初めて『持続的農業への道』をテーマに国際シンポジウムを開いた(近々出版の予定)。基調講演者の1人のオランダ・ワーゲニンゲン大学のニールス・ローリング教授は、『普及科学』(1988)、『持続的農業の促進』(1998)などの著書を持つ対話式学習に基づく技術革新へのアプローチの世界的権威の1人であるが、縦横に語ってくれた中で次の3つがとくに私の印象に残った。
1つは、近年のグローバリズムの中で農業・農村が「うまくいっている」国はほとんどないという点。2つは、私たちはいま、地下水汚染や生態系多様性の喪失、食品品質問題、大気汚染の問題など、私たち自身の自己制御の欠如が問題となる政治の時代に生きているという指摘であり、お互いの違いに堪えて討論を通じて合意を見いだす討論民主主義が重要で、協調した行動をとることによって問題解決を図っていくしかないという点。3つは、世界各地の新たなアプローチを探索し、様々な試みを彼なりに吟味した結果、結局のところ「農業者たち自身によるエンパワーメント(力づけ)」が最も肝心で、関係者はそれを促進(facilitate)するしかないという確信を表明した点であった。
教授の話に触発され、農業者たち自身が力を付けるには、いま、何が重要なのか、最近実施している農業者たちの地域づくりの調査を通じて私なりに考えたことを何点か述べてみよう。
◆農業者たちの生きる場としての集落・地域
農村現場では、いま、農業に力を入れている人ほど苦しんでいる。WTO協定を機に、わが国がMA米を受け入れる一方、価格政策を廃止し、市場原理を徹底させてきたからであり、食糧法以来の一連の規制緩和施策が規模拡大を図る認定農業者や農業を主業とする農家を直撃したからである。しかし、彼らの多くは、農業経営を防衛して成長を図ることも、他方で集落コミュニティを住み良い「共生」できるものに作っていくことも、ともに放棄してしまっているようには、私には見えない。
最近、集落=抵抗勢力というステレオタイプの図式を掲げ、その悪しき幣を乗り越えれば自由な農業経営の発展があり得るかのような言説に接する機会があった。だが、これは、曲解に基づいて経営発展抑制の真の原因を免罪する類の話に他ならない。たしかに農政は、米の生産調整・転作問題などで集落を政策貫徹の手段として徹底的に利用してきたし、昨今の政策文書では殊更に集落・地域を単位とした構造改革を強調している。
だが、それ以前に集落・地域は、農業者たちが生産し、非農業者たちも含めて生活する場である。そこで中心的に農業に打ち込んでいる人たちは、一方で営農継続が難しくなった人たちの農作業を受託したり借地したりしながら、他方では非農家を含む集落の住環境の改善に中心的な役割を果たそうとしている場合が少なくない。そうであるならば、集落=抵抗勢力とどこかで聞いたような話を作り上げる前に、私たちは、彼らがいま集落や地域で何にいかに取り組んでいるのか、そこから素直に学ぶことが必要ではないだろうか。
◆活力ある集落・地域で観察される現象
秋田県など東北地域の水田作中心地帯で、周辺から活力がある、あるいは最近活力が出てきたと捉えられている集落や地域を訪ねてみると、そこには、なかなか面白い動きが観察される。紙幅の制約からその具体的な姿を詳しく述べる暇はないが、彼ら彼女らは、この期に及んでなお意外と冷静で建設的であるというのが私の率直な感想であり、私はそこに確かな希望の芽が存在すると考えている。
断片的ながら補足すると、あるところでは首都圏の消費者との直接販売形態など必死に対応・対抗方法を模索しつつ、かつ地域でも新住民を含めた地域住民などへ直売体制を整備し、また地元食材を学校給食に取り上げてもらうなど販売の多チャネル化と地産地消の幅を拡大しようとしている。またあるところでは、徹底した情報公開をカギに消費国民との間に信頼の橋を架けることこそ農業生産の持続性の確立の必須要件だという信念から、持続的農業生産・消費の新たなビジネス・モデルを構築しようとしている。さらにあるところでは、農業内の組織化を図った余力をかって、新住民を含めたむら祭りと御輿担ぎの復活を成し遂げ、農を基盤とした住み良い、面白い農村づくりをしようとしている。
それらは、今日、新自由主義的な考えが求めるグローバル・スタンダードに沿った産業化モデルに立って集落や地域のしがらみをうち捨てていこうとする動きとは全く異質で、それぞれの地域の個性を基盤に苛烈きわまりない現代日本の中で必死に生き抜こうとする群像の農業・農村版とでもいうべきであろう。
◆「対抗力」の形成に通底するもの
それらの事例に通底する特徴をあえて挙げるとすれば、次の3点が指摘できる。
第1の特徴は、グローバリゼーション=産業化モデルに対する、様々な形での組織化による対抗力(countervailing power)の形成という点である。東北平場などでは、数ヘクタールから10数ヘクタールの家族労作的な「中規模複合経営群」がほぼ中核をなすことが多い。が、現代的な特徴をあえて付け加えるとすれば、彼らを中心に寄り集まって規模の経済としての対抗力を創り出すだけでなく、年齢層や職業などを超えたタテ・ヨコの諸組織、多くの場合、ルースなネットワーク型の諸組織を作りだし、新たな知識の共有や関係性の再形成を進めるという組織化だという点である。
第2の特徴は、その知識経営の主体であるタテ・ヨコの諸組織は、単に受け身的な存在ではなく、実質的に企画・立案・マネージメント・交渉決定ならびに後進の教育育成などの諸機能を持っているという点である。その呼称は、研究会や部会支部など様々だが、その関わり方は、販売は農協に任せて生産者は生産に集中するといった単純な役割分担組織ではない。諸組織の中心者たちは、特定作目の生産から販売までのプロダクト・マネージメント全体に関わり、時に農協等の担当者をしのぐ知識と判断力を持つ。あえて言えば「知識経営としての組織化」こそ今日的特徴と言ってよい。
第3の特徴は、彼らの行動原理は古い「固まりとしてのむら」に埋もれたそれではすでになく、しかも「自立」した個人個人の都市型社会のそれでもないという点である。集落・農村は、農業という土地生産に基礎づけられ、それを生産・生活手段とする場所なのであり、その場所その場所の特色に応じて相互扶助を意識した農業者・非農業者の交流、関係性の再形成がある。そういう意味で、筆者はあえてこれらを「自律協同型の農村社会の形成に向かう歴史運動」なのではないかと捉えたい。そのような視点から今日の農村に通底する動きを捉えていくことが重要ではないかと、いま、痛切に思うのである。
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