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(たかはし・まさお) 1932年生まれ。東京大学農学部農業経済学科卒業。東京大学助手、農林水産省農業研究センター研究室長、日本大学生物資源科学部教授をへて現職。地域農業論、食品経済学、フードシステム論を専攻。前日本フードシステム学会会長。BSE問題調査検討委員会委員長。近著に『フードシステムと食品流通』(農林統計協会)など。
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21世紀元年であった昨年、新世紀を予言するような象徴的な事件が立て続けに起きた。9月10日、農林水産省は、わが国においてBSEに感染した疑いのある牛が確認されたと発表し、その後の牛肉消費や畜産業界のパニックの発端になった。翌11日には、ニューヨークのあの巨大な世界貿易センタービルが一瞬のうちに崩壊する同時多発テロが起きて世界を震撼させた。
前者は、わが国において手薄だった「食品安全行政」を全ての政策に優先させ、農林行政も「消費者に軸足を」移すべく大きく軌道修正するように、21世紀の国の行政施策や消費者行動の枠組みを決定づけることとなった。後者は、ソ連崩壊後の対立構造が、宗教問題をからめた南北問題を基軸に激しく動くという、これまた21世紀の世界政治の枠組みを明確にした。
筆者は、昨年11月から前者に深く関わることになった。農林水産大臣と厚生労働大臣の私的諮問機関「BSE問題に関する調査検討委員会」の委員長に指名され、11回、延べ30時間の検討の末、4月2日に「検討委員会報告」を取りまとめ、両大臣に答申した。10人の中立委員の公開と主導による検討とそれを取りまとめた「報告」は、この種の委員会にしてはユニークなものであり、また、政府にとって厳しい内容であったことから、マスコミだけでなく、多くの国民の関心と評価をえたものとなった。
これに対する政府の対応も早く、4月5日には「食品安全行政に関する関係閣僚会議」が発足、4回の会議のすえ、6月11日には、内閣府に食品リスク評価を行う「食品安全委員会(仮称)」を設置すること、ならびに消費者の保護を基本とした「食品安全基本法(仮称)」を来年初頭の通常国会に提出し、4月には発足させることとした。
その内容は、われわれが「報告」で提起した方向とほぼ一致するものとして評価できるが、問題は組織や制度が新たにできたとして、それを運用する人や仕組みがどうなるか気になるところである。その新しい革袋は立派であるが、それに入れる酒が古びたものであるか、それとも、全国の消費者が期待する“新しい酒”であるか、それによって全てが決まる。
◆BSE問題に派生して消費者を
欺いた食品表示の擬装問題
BSE問題を契機に消費者の食品の安全性や表示問題への関心は飛躍的に高まった。匿名による内部告発や、取引先からの不正事件に対する告発が今年になって日常的に起きてきている。それが発端で、業界大手の雪印食品が解散に追い込まれたり、相互信頼関係の上に成り立っていた農協と生協との間でも輸入肉を国産銘柄肉と偽装して取引きしているような事例が表にでてきた。全農の子会社でもそのような擬装事件で逮捕者がでるという事態まで展開した。
しかも、それらの擬装は、今に始まったものでなく、10数年前から秘密裏に行われていたものであることが明らかになって、消費者からの食品メーカー、農協に対する信頼は地に落ちたとさえいえる。
われわれ「BSE問題調査検討委員会」では、そこでの諮問事項の関係から専らBSE問題に対する政策対応を検証しながら、国のとるべき食品安全政策のあり方を論じてきた。しかし、問題にすべきは、国の政策対応だけでなく、食品企業も、また農協までもが食品をめぐって消費者を欺き、自らの立場の保全だけを考えていたことである。
◆一連の不祥事件の背後にある
構造問題とそれへの対応
このような事態や事件が続発する背景について、筆者らは、当事者(社)の不正もさることながら、そこにはわが国現代の食環境をめぐる構造的問題もあると考えている。それは、今日、「食」と「農」との距離が大きくかけ離れ、その間に多くの業者が介在するようになったこと、しかも、その間に大きなブラックボックスが形成されるというようになったことによる。その昔、といってもそれ程遠くない高度経済成長の前までは「食」と「農」は隣り合わせにいて、互いに顔が見える立場にあった。その折には、このような問題が構造的に起きることはなかった。それが、現在、スーパーの棚や、外食企業で出されるメニューだけしか消費者には目に入らず、それから先は大きなバリアの陰に隠されて見えなくなってしまったのである。
この「食」と「農」との距離の拡大を、どうにか縮めようとする動きが2つある。その1つは、生産者と消費者が互いに顔が見える「産直」を大幅に採り入れようという動きである。しかし、そこでも現実に種々の擬装事件が起き、必ずしも信頼できるものではなくなった。
第2の動きは、その「食」と「農」の物理的な距離そのものを時代の所産として受け入れ、その食をめぐる長い道のりを「情報」でつなぎ、消費者にもそのブラックボックスの中身が分かるようにすることである。そのことに関連して、われわれは「川上」の農水産業から「川中」の食品製造業、食品卸売業、「川下」の食品小売業、外食産業、それが最終消費される「食生活」までの一連の流れを1つのシステムとしてトータルに理解し、それを構成する主体間の関係を明らかにしようと「フードシステム」という概念を提起し、それを理論的・実証的に明らかにしようとするフードシステム学なるものを提唱している。その具体的対応が、BSE問題を契機に注目されるようになったトレーサビリティである。
トレーサビリティとは、食品の単なる履歴遡及という技法ではなく、「食」と「農」との距離の拡大という現代的「食」環境に対応し、両者の距離を縮めることを通じて食料問題に接近しようとする新しいパラダイム「フードシステム論」にもとづくものであり、農業者、農協マン、食品産業者、消費者、それに関わる農政担当者、食品安全政策担当者、栄養学者などがこぞってそのフードシステムを理解し、それぞれの立場からそれへ接近することを通じて、初めて問題解決に近づけるものと考えている。
BSE問題から始まった食品の安全性への不安、ならびに食品表示における擬装問題にもとづく政府、食品企業、農協に対する消費者の不信感を拭い去る道は、JAS法や食品衛生法の規制や罰則を厳しくしたり、食品表示110番のような内部告発を奨励するだけでなく、農水産業者から食品製造業者、食品流通業者、外食産業者、それに消費者が、それぞれの立場からフードシステム全体を見通し、フードシステム構成員としての責任を果たすという意識と行動を共有することにあるように思う。
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