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かじい・いそし 大正15年新潟県生まれ。昭和25年東京大学農学部卒。昭和39年鹿児島大学農学部助教授、昭和42年同大学教授、昭和46年東京農工大学教授、平成2年定年退官、7年東京農工大学学長。14年東京農工大名誉教授。主な著書に『梶井功著作集』(筑波書房)、『新農業基本法と日本農業』(家の光協会)など。
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“16年度までに生産調整の配分を廃止”“目標年次を明確にして生産調整の配分を廃止”という食糧庁の米政策「改革の方向とステップ」なるものを見せられて、私は唖然とした。目標年次としては平成19年が示されたというから、これはあと2〜5年で政府は米の生産調整からは手を引くことを意味しているのだろう。それでいいのか。以下、生産調整は、誰のための、何を目的とした政策か、どういうことが議論されるべきか、を論じておきたい。
ちょっと長いが、水田利用再編政策実施初年度にあたる1978年度の転作目標面積・予約限度数量の都道府県別配分発表にあたっての鈴木善幸農相談話を引用する。こうである。
“政府は、将来にわたり国民食糧の安定的供給を確保するため、国内生産体制を整備、国内で生産可能な農産物については極力これを国内でまかなうような総合的な食糧自給力を強化することを基本に総合食糧政策を実施してきたところである。
しかるに、最近の米の需給の推移をみると・・・・再び生産調整開始時期の昭和45年、46年当時のような事態を招きかねず、事態の推移如何によっては食糧管理制度の存立自体が危殆に瀕する恐れなしとしない。総合食糧政策は、本来、需要面においては我が国の国内資源に適合した国内自給型食生活への誘導を図るとともに、供給面において自給力向上の主力となる作目に思い切って重点を傾斜する農政の展開を意図するものである。したがって、今日の事態は、単に米の減産を目的とする後向きの緊急避難的なものでなく、総合食糧政策の基本的考え方に立脚して国内資源に依存する食生活への誘導を図りつつ、自給力向上の主力となる作物を中心に農業生産の再編成を図ることを通じてこそ克服されるべきものと考える”。
◆米政策の改革を論じた
政府文書に“自給”の言葉なし
生産調整は“自給率向上の主力となる作物を中心に農業生産の再編成を図る”総合食糧政策の一環だったのである。当時は食糧管理制度下にあった。食糧法になって、生産調整の政策的意味は変わったのだろうか。“自給力向上”を必要とはしなくなったのだろうか。
食糧庁案は、生産調整は米価維持のための生産カルテルであり、本来それは生産者・生産者団体が主体的に行うべきものであって、政策はその”自主的な努力を支援すること”でいいのだという考え方である。だから“効率的かつ安定的な経営体が、市場を通して需要を感じ取り「売れる米づくり」を行う”ようになれば、生産調整から政府は手を引いていいのだというのである。
そこには“自給力向上”を政策課題にしなければならないという認識はサラサラない。米政策改革を論じた最近の政府文書には、“自給”の言葉すら出てこない。
1974年、世界的に穀物需給が逼迫し、世界食糧会議が開かれるという状況のなかで、75年、三木内閣は国民食糧会議を開催、日本での対策を論議、同会議は“食糧自給力の向上”を重要政策とすべきことを三木首相に報告した。鈴木農相談話は、むろんこうした背景のもとに出されたものである。
その背景は、今日も変わっていない。変わっていないどころか、先進国中最低といっていい低自給率の現状からいって緊要性は更に増しているというべきだろう。
だからこそ、農業基本法に替わった食料・農業・農村基本法では、その第2条を“食料の安定供給の確保”とし、その第2項で食料安定供給は“国内の農業生産の増大を図ることを基本”とすべきことを規定し、さらに第4項で“凶作、輸入の途絶等の不測の要因により国内における需給が相当の期間著しくひっ迫し、又はひっ迫するおそれがある場合においても、国民生活の安定及び国民経済の円滑な運営に著しい支障を生じないよう、供給の確保が図られなければならない”ことを規定しているのである。こういう規定は、旧農業基本法にはなかった規定である。それだけ食料自給が重要政策課題になったということなのだが、食糧法を所管しているはずの食糧庁が、食料供給政策の要である米政策をたてるのに、こうした重要規定を無視しているのは一体どういうことなのであろうか。更にいえば、現行基本法では、“施策の総合的かつ計画的な推進を図るため、食料・農業・農村基本計画”を定めることになっているが、その基本計画は“食料自給率の目標は、その向上を図ることを旨とし”て定めることになっており、いま生きている基本計画では、計画樹立時40%だったカロリー自給率を、2010年までに45%に引き上げることを目標にしている。この目標実現のために“農業施策”は“総合的かつ計画的”に“推進”されているはずなのである。
“効率的かつ安定的な経営体”による「売れる米づくり」が、非効率的な水田を潰してしまうことは必然といってよい。経営者の自主的判断にまかせての農地利用では“不測の事態”に備えるための農地の確保は不可能になろう。
不測の事態に備えるには、どれだけの耕地を確保しておかなければならないか、どうやって確保するのか、は個別農業経営者の判断にまかせられる問題ではなく、国が責任をもって決定すべき政策課題である。そのなかで水田がどういう位置を占めるのか、生産調整政策はまずこの問題として考えるべきなのである。
◆不測の事態に備える政策
けして生産カルテルではない
日本の耕地の中で生産力が高いのはいうまでもなく水田である。いま実行しているはずの基本計画は、2010年の農地面積を470万ヘクタールとして立てられているが、2001年の農地面積は479万ヘクタール、けい畔を除くと464万ヘクタールで、すでに470万ヘクタールを割っている。不測の事態に備えるためには、もはや耕地は全体として減らせないという段階にきているのであるが、けい畔こみ262万ヘクタール、本地面積247万ヘクタールの水田はとくにそうだといわなければならない。
もちろんその水田すべてに稲をつくったのでは過剰になってしまう。といって輸出補助金つきで輸出することはWTO下にあってはできないし、財政的にもその力はない。国内需要充足に必要な生産に稲作付は限定しなければならないが、稲不作付の水田も水田としての機能は保持してもらわなければならない。生産調整が政策議題として登場してくる所以である。
不測の事態のもとでも“国民生活の安定”のために“供給の確保”を図る大目的が生産調整政策にはある。国民の食生活の安定のための保険といってもいい。それへの財政負担はその保険料支払いと位置づけられて然るべきなのである。価格維持のための生産カルテルなどと考えるべきではない。
米の需給調整だけが問題であり、食料の安定供給政策など考えなくていいのだとするなら、コスト高の劣等地を切り捨てることですむ。しかし、不測の事態への備えを考えれば、棚田も山にしてしまうことはできないのである。まずはこの点をしっかり認識するところから、米政策改革は始めなければならない。
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