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(たしろ よういち)
昭和18年千葉県生まれ。東京教育大学文学部卒業。経済学博士。昭和41年農林水産省入省、林野庁、農業総合研究所を経て昭和50年横浜国立大学助教授、昭和60年同大学教授、平成8年同大学経済学部長、大学院経済学研究科長、平成11年〜13年4月まで同大学大学院国際社会科学研究科長。主な著書に「日本に農業は生き残れるか」(大月書店)、「新版 農業問題入門」(大月書店)など。
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新ラウンドの交渉枠組み(モダリティ)の3月決定をめざして、ハービンソン農業交渉議長の第一次案が提起され、交渉は一挙に本格化しだした。
具体的な方式や数字が出されたことで、本来じっくり議論すべき農産物貿易の哲学論がふっとんでしまった感がある。各国の数字の背後にそれぞれの深遠な哲学があるのだとしても、それは新ラウンドの出発点の約束を無視するものであってはならない。
その約束とは、WTO農業協定第20条である。そこでは次期交渉は「助成および保護を実質的かつ漸進的に削減するという」「過程を継続するための交渉」であること、非貿易的関心事項、開発途上国に対する特別かつ異なる待遇等を考慮することが明記されている。この第20条に即して各提案を吟味してみよう。
まずアメリカの提案は、関税を一律25%未満に削減する、アクセス数量を20%拡大する、国内支持(AMS)を生産額の5%にまで削減するというものである。これでは「漸進的に削減」どころか「激減」であり、はなからのルール違反である。
関税を25%未満にしたら、日本には60キロ7000円台の輸入米が入ってくる。このような提案をみると、国際法を無視して何がなんてもイラクを先制攻撃しようとするアメリカの姿とだぶってしまう。第2の武器としての石油支配がその狙いだとすれば、農業交渉の提案は、さしずめ第3の武器としての食料の世界支配がその目的だろう。
それに対してEUの提案は、関税についてはUR方式を踏襲(最低15%、平均36%の引き下げ)、アクセスは現行水準、国内支持は55%削減であり、国内支持を除けば
「横ばい的」(関税については下げ率が横ばいであって、絶対水準は下がっていくわけだが)であり、「漸進的」の下限をとったといえる。
日本は独自提案を行なわず、このEU提案を支持する形をとったが、やはり自らの案を明示し、結果的にそれがEUと重なるようにすべきだった。ケアンズ・グループもアメリカと多くの点で一致しながらも、自らの案を提示している。EUは輸入国であると同時に輸出国でもあり、日本と同じ立場ではない。交渉は駆け引きであり、EUが自らの利害で妥協するようなことがあれば、日本は立場を失う。
さてモダリティの第一次案だが、いくつかの論評は、削減等の方式ではEU・日本の主張を、削減の数字ではアメリカ等の主張を取り入れたとしているが、果たしてそうか。
まず関税率については、関税率90%以上の品目については、平均60%、最低45%の引き下げを求めている(以下数字は5年間での削減等)。日本の米の関税を45%引き下げれば、60キロ1万7000円の輸入米が入ってくることになり、多くの国産米が価格競争の直撃を受ける。45%は日本の米を念頭においたものかと勘ぐりたくもなる数字である。そして関税率90%以上の小麦、脱脂粉乳、バター、澱粉等の関税が平均60%の引き下げとなれば、これらの輸入価格も国産以下になる。要するに日本については、UR以降に関税化した全品目について、事実上、関税による国境保護が無効になる数字である。
そもそもURの平均36%、最低15%の引き下げに対して、60%と45%という数字自体が決して「漸進的」ではない。
次にミニマム・アクセスについては、直近3年の国内消費量の10%以上、他の品目のそれを12%以上にすれば8%ですむというものだが、日本が米について8%をとったとしても、現在よりも割り増しになり、かつ他の品目を犠牲にしなければならない。もっとも関税が前述のように引き下げられたら、MAの如何にかかわらず輸入が急増してしまう。
国内助成については、「青の政策」を50%削減、「黄の政策」を60%削減する。60%はEU提案の55%に5ポイント上乗せしたものであり、わが国としてはクリアできる数字だという論評もあるが、それでよいのか。まずURの20%削減に対して55%削減は「漸進的」といえない。そして国内助成の大幅削減を認めることは、将来にわたる自給率向上政策の放棄を意味する。
そのほか、第一次案は、特別セーフガードは先進国について廃止、輸出制限等は現行以上に強化しないとする点で、わが国の主張を否定している。
他方で第一次案は、ほとんど全ての項目について、途上国に「特別かつ異なる待遇」を約束している。20条の考慮事項のうち、途上国への考慮は取り入れたが、非貿易的関心事項への考慮は事実上無視したということだ。オーストラリア貿易相は、「非貿易的関心事項の優先順位は低い」と勝手に決め付けているが、残念ながらその通りの案だといえる。
第一次案はアメリカ等とEU等の間の妥協を図り、その意味でバランスをとったようにみえるが、そもそもアメリカ等の極論との中間をとったところで、バランスはとれない。また第一次案は前述のように、それなりに途上国に厚く配慮しているが、関税等が引き下げられる点では変わりなく、本当に途上国のプラスになるのかは疑問だ。
この第一次案の提示により、今後の交渉は下げ幅をめぐる駆け引きのみ、ということになったら、新ラウンドもまたURを拡大しただけの結果に終わる。URは先進輸出大国、なかんずくアメリカの一人勝ちに終わった。世界の農産物貿易をめぐる不均衡は拡大するばかりであり、先進国においてもメガ・ファームによる家族経営の排除が進んでいる。
日本は基本哲学として「多様な農業の共存」を提起し、非貿易的関心事項に係わらせて農業の多面的機能や食料安全保障に配慮した一定の国境保護、国内助成の必要性を主張したが、基本的に輸入大国サイドからの哲学として、国際理解は得られていない。
求められているのは輸出国、輸入国の立場を止揚した基本哲学である。そこで「食料主権」を非貿易的関心事項の根底にすえたい。すなわち、輸出国、輸入国を問わず、またいかなる時を問わず、それぞれの国(地域)は領域内の人々の食料を確保する主権を有している。それ故に輸出国といえども食料不足時には輸出の禁止・制限をする主権をもつ代わりに、輸入国がそういう時に泣きをみないために自給率を高める主権もまた認めるべきという主張である。国家主権だから勝手なことを言ってよいとなれば無秩序に陥る。自由貿易と食料確保のための国家主権の折り合いをつけることが真の交渉課題なのである。
食料主権の確立には、世界の人々の目にみえるような自給率の向上努力が必要である。しかるに米政策改革大綱等で生産調整政策を廃止してしまうようでは、青の政策の削減にさえ反対できなくなる。基本哲学の練り直しとそれを支える政策実践が求められている。
同時に国家レベルの交渉には限界がある。今回の第一次提案が事実上新たに「途上国ボックス」を設けるに至ったのも、シアトル閣僚会議に対する途上国やNGOのアピールが大きく作用している。イラク先制攻撃に対する国際世論の高まりもアメリカの行動にかろうじてブレーキをかけている。国まかせにせず、市民社会レベルからの反撃が必要である。 (2003.2.26)
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