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もりしま・まさる
昭和9年群馬県生まれ。32年東京大学工学部卒。38年東大農学系大学院修了、農学博士。39年農水省農業技術研究所研究員、53年北海道大学農学部助教授、56年東大農学部助教授、59年東大農学部教授、平成6年立正大教授。16年定年退職。現在(社)農協協会理事。著書に『日本のコメが消える』(東京新聞出版局)など。 |
去る4月5日、東京で「農業協同組合研究会」が設立された。当日は全国の各地から250人を超える人達が集まり、設立総会に引き続いて記念シンポジウムが行われた。
集まった人達の大半は農業者と農協の役職員だった。生協の関係者も大勢参加したし、もち論、研究者も多数集まり、熱心な討論が行われた。(詳細は別掲)ここでは、この熱気はどこからきたものか、を考えてみよう。
◆力になる理論がない
いま農村には、最近の農政はどこか根本的なところで間違っているのではないか、という疑念がある。しかし、それを的確に、また理論的に表明できない、といういらだちがある。「理論は力なり」というが、いまの農業理論は力になっていない。どうも納得できないのである。だから農協運動の原動力になる、しっかりした理論がほしい、という熱い期待がある
この研究会はこうした思いについて、現場の人達と研究者とが、いっしょになってより深く、根源的に考えよう、というものである。
近年、農協運動がやや停滞しているように思えるが、その根底には農業理論の貧困があるのではないか。研究会の発足を機会に、近年の農業理論の問題点について、新基本計画に関する議論を取り上げ、自戒を込めつつ、やや大胆に私見を述べてみよう。
◆2つに分かれた選別政策の評価
新基本計画では、農業者を選別して、選別した農業者だけを政策の対象にする、という考えがある。ここには兼業者や高齢者は裕福だ、とする考えがある。だから、彼らに対して税金を使って支援する必要はない、とする考えである。彼らを専業者と同等に扱うのは税金の「ばらまき」であって、それは、かえって不公平、不公正だ、というのである。
本当にそうだろうか。そうだ、と肯定する人は少ない。しかし、そうではない、と否定する多くの人たちからの的確な反論がなされていない。
兼業者や高齢者を裕福と考えるかどうか、という点で見方が分かれてしまう。それは見る人の哲学の違いだ、というのでは、議論は深められないし、そのような不毛な議論は、そこで打ち切られてしまう。議論を打開し再開するには、現場の実態をより深く見るしかないだろう。
◆2つに分かれた集落営農の評価
また、彼らが協同して営農すること、つまり集落営農は非効率だから良くない、という考えがある。協同して営農することの非効率は、かつての社会主義諸国の国営農場や集団農場で、すでに壮大な世界史的な実証を終えた。いまさら歴史の歯車を一世紀ほど戻して繰り返すのか、といって切って捨てる。
この意見は農協の存在理由を問うことにもなる。もしも、この意見を是認すれば、農協は単なる同業者組合になってしまう。「組合」とも言えなくなってしまう。
主義はともあれ、この点についての反論が的確になされていない。いきなり主義が出てきたのでは議論にならない。それでは議論は深められないし、それどころか議論はそこで打ち切られてしまう。議論を打開するには、そのような考えが農村の現場に何をもたらすか、を深く読み取るしかない。そこから議論を再開するしかない。そうしなければ、表皮的な浅薄な議論に終わってしまう。
◆経済の実態を無視した「米価理論」
「売れる米作り」というのも問題である。米が思うように売れないで、売れ残ってしまうのは「売れる米作り」をしていないからだ、というのである。この考えは、米価が下がるのは、高い米価で売れるような米を作らないからだ、という考えに続く。つまり、米価下落の原因は農業者の側にあって、それは農業者の努力が足りないからだ、というのである。
努力しさえすれば、問題はすべて解決する、つまり、問題の原因が農業者の努力不足にある、というのならば、農業政策はなくてもよい。農業理論も不要である。議論はそこでお終いになってしまう。まことに貧しい議論というしかない。
米価を下げれば需要が大幅に増える、というのも疑問がある。この根拠は、きわめてあやふやである。つまり、どこそこの米屋さんが売値をさげたところ、販売額が大幅に増えた、というのが唯一つの根拠らしいものである。
これも、努力すれば何事も解決できる、という考えである。つまり、米屋さんの努力しだいで、需要量も米価の水準も決まるという考えで、この考えは米価決定の実態と、その経済理論を全く無視したものである。経済理論といっても、それほど高度なものではない。市場全体の需給の状態で市場価格が決まる、というほどのものである。それさえも否定するのなら、議論は続けようがない。そこまで堕ちれば議論は打ち切るしかない。
ここで最も深刻な問題は、こうした考えに対して多くの農業研究者、ことに若い研究者が疑問を差し挟まないことである。ここに農業理論の貧困の真の原因がある。
問題の打開を図るには、なぜ売れ残るのか、なぜ米価が下がるのか、その実態を深く考察することから始めなければならない。
◆自給率向上策を示せ
最後に、もう一つ取り上げよう。それは食料自給率の問題である。新基本計画には自給率を向上させる施策がほとんどない。自給率向上の本筋は、食生活の改善でもないし、農産物輸出の振興でもない。国境措置をきちんと確立した上での、国内の麦・大豆作の振興であり、水田の畜産的利用の本格的な展開である。そのための「骨太な」「工程表」を、せめて長期的なものでもよいから示すべきだ、と考えるが、そうした考えは全くない。
自給率向上のためには、多額の予算が必要になるから出来ない、という俗吏的な答えしか戻ってこない。せめてその方向だけでも示すべきだと考えるが、その考えも全くない。
これでは、農村の現場は納得できないだろう。こうした議論の混迷を打開することが、焦眉の急務である。
新しい研究会に集まった多くの人たちが期待し熱望していることは、これらの点を現場の実態に即して、みんなで深く解明しよう、ということではないだろうか。
(農協協会 理事)
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「農業協同組合研究会」設立記念シンポジウム、4月5日東大・弥生講堂 |
(2005.4.22) |