◆大塚久雄再読
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北原 克宣(きたはら かつのぶ)
昭和42年長野県生まれ。東京農業大学農学部農業経済学科卒業、北海道大学大学院農学研究科農業経済学専攻博士課程修了。秋田県立農業短期大学(現・秋田県立大学短期大学部)講師、助教授を経て、平成16年4月より現職。主な著書は、共著『現代資本主義と農業再編の課題』(御茶の水書房、1999年)、共著『農村社会史』(農林統計協会、2005年)など。 |
さいきん大塚久雄氏の著作を読み直す機会があった。氏は、封建制から資本主義への移行の論理を中産的生産者層の産業資本家への転化によって説いた経済史家であり、その理論は「大塚史学」と称せられ一世を風靡した。近年の経済史学界では、必ずしも主流ではなくなったようではあるが、あらためて読み直してみると、氏の著作には今日的問題に通ずる指摘も多いことに気づく。
なかんずく、『国民経済』(講談社学術文庫、1994年。原本は弘文堂より1965年に出版)は、国民経済のあり方を歴史的視角から問い直した著作として示唆に富む。この中で氏は、『ロビンソン・クルーソウ漂流記』で知られるダニエル・デフォウの『イギリス経済の構想』(1728年)という著作を素材として、17世紀における世界最大の貿易国オランダの衰退とイギリス経済の発展を対比して描き出している。そこで強調されるのは、イギリス型の経済構造は、毛織物工業に典型的に見出されるように自国で生産した羊毛の加工および輸出を通じて繁栄を実現していくという再生産構造を作り上げたのに対し、オランダ型は、南欧と北欧間を行き来する貿易品の国際的中継市場として発展したがゆえに、自らは輸出産業としての生産部門を持たない脆弱な再生産構造となっていたということである。この相違こそが、産業革命期における両国の盛衰を左右したと捉えているのである。
いまから200年以上前の封建制から資本主義への移行期の話をそのまま現在に当てはめるつもりは毛頭ないが、国民経済がどのような構造になっているかということは、一国の行く末を左右する問題であることを私たちはあらためて認識する必要があろう。 ◆日本経済の到達点をどうみるか
このような観点からみると、戦後日本経済は、農業を衰退させながら重化学工業の発展を実現するという極めていびつな構造であったと言える。このような構造は、戦後、民主化過程を経て形成され、高度経済成長期に完成されたものであったが、これは冷戦体制下におけるアメリカの世界戦略と一体となって構築されてきたものであることを忘れてはならない。すなわち、アメリカの核の傘下に入れてもらう見返りに、鉄鋼製品を輸出し農産物を輸入するという相互補完的関係である。
しかし、このような構造は、低賃金労働力の確保やそれに依拠した重化学工業の構築という点では大きな役割を果たしたかも知れないが、農業所得による家計費充足率の低下や過疎化、地域経済の衰退などと表裏一体をなし多くの矛盾を抱え込むことにもなった。この矛盾が顕在化するのを避けるため、食管制度による米価の引き上げ、地方への工場移転や大規模公共事業などによる就業先の確保が不可欠であった。食管制度と公共事業が社会不安を取り除く一種の社会保障として機能したのである。
こうして維持されてきた見せかけの均衡も、冷戦体制下での核軍拡競争がアメリカに双子の赤字をもたらし、日本経済との補完的役割を担うだけの体力がなくなると限界に達する。そして、1990年代以降、とりわけ小泉内閣が誕生して以来、「構造改革」が声高に叫ばれることになるのも、IT革命が国境を越える資本の移動を可能にし、グローバリゼーションを促進したからである。国民国家は厳然として存在しており、この意味で国民経済の枠組みも依然として意味を有しているにもかかわらず、資本にとっての関心は、もはや国民経済ではなく自由な活動と利潤が保証される場の確保に移行したのである。したがって、「構造改革」の名のもとに進められた政策は、市場原理に絶対的信頼を置く新自由主義的改革であり、資本・商品・労働力の移動を妨げていると見なされるものは全て「規制」と捉えられ、ことごとく撤廃し「小さな政府」を目指すというものであった。郵政民営化、国立大学・試験研究機関の独立行政法人化、市町村合併等々、いずれもこの路線に沿った政策であった。一言で表現すれば、「グローバル化対応型国家」への再編である。
◆いま農業政策に求められるもの
とはいえ、農業を犠牲にして工業の発展を促進するという国民経済のかたちが変わったわけではない。農政についてみれば、「食糧法」(1995年)、「食料・農業・農村基本法」(1999年)、そして今話題となっている経営所得安定対策など、一連の制度変更は国境措置の撤廃を前提として、市場原理を全面的に導入していく「グローバル化対応型農政」の展開であるが、これはあくまでも従来の構造の延長線上に展開されているに過ぎない。こうした中、農村現場では、目下、来年度から実施される経営所得安定対策に向けて集落営農の組織化や法人経営の設立に奔走している。しかし、農政の目指す担い手像が「農業版ホリエモン」の育成に思えてならず、危惧を抱くのは私だけだろうか。
いずれにせよ、こうした議論を主導しているのが、農村現場ではなく、農業とはまったく無縁の財界側であることにも注意を払う必要があろう。グローバリゼーションへの順応が、最終的に誰に利益をもたらすのかを如実に示しているからである。そして、一応の目途のついた担い手対策に代わり、次の標的として槍玉に挙げられているのが総合農協の解体と農地制度改革であるのも偶然ではない。いずれも、戦後農政の柱であった政策であり、これらの制度変更はまさに「戦後農政の総決算」(田代洋一氏)であると同時に、「グローバル化対応型農政」への総仕上げなのである。
しかし、あらためて想起されなければならないのは、すでに限界に達していたのは、戦後、農業を犠牲にすることで新鋭重化学工業を確立し、日本経済全体の高度成長を実現するという国民経済そのものであった。したがって、いま本当に問われるべきは、いかに農業を発展させながら工業との応答的な関係を構築し、真の豊かさを実感できる国民経済と地域経済の発展を実現していくかということであり、それには国境措置を含む農業保護政策が不可欠なのである。グローバリゼーションへの対応や東アジア共同体構想は、これを前提として検討されるべきであろう。
村薫氏は、小説『新リア王』(新潮社、2005年)において、青森を地盤とする保守系大物政治家・福澤榮に漁業政策の失敗を語らせている。曰く「国際的な資源管理の時代はある日突然始まったのではないし、世界一の水産国としてもっと早くに水産業の将来図を描けなかった政治の無策は否定の余地もない」(上巻、397頁)と。主人公がこのように吐露するのは、「同じ敗北でも漁業分野は、農産物の輸入自由化による農政の混迷とは比べものにならない完敗の歴史であった。・・・・・自国の漁業を守れなかった漁業交渉の敗北の歴史は・・・・間違いなく痛恨の記憶の最たるものでもあった」(同、393頁)との苦い思いからである。歴史は繰り返されてはならない。
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