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農協時論 |
実質的輸出補助にどう対応するか WTO交渉決裂と今後に向けて 東京大学農学生命科学研究科教授 鈴木宣弘 |
今回、合意に失敗した大きな要因として、米国が農業の国内補助金の削減で譲歩しなかったことが挙げられている。ブラジルをはじめ各国が米国の農業補助金を厳しく攻撃したのは、それが実質的輸出補助金であることに根ざしている。それは国際市場における米国農産物の競争力を不当に高め、ブラジル等の他の輸出国に著しい損害を与えている。また、EUからみると、EUの輸出補助金は全廃の対象になっているのに、米国は実質的輸出補助金を国内政策として維持できるというのでは納得できないのも確かである。しかし、実は、米国だけでなく、各国は隠れた輸出補助金をふんだんに使用している。輸出補助金の全廃に合意したといいながら、廃止対象になる補助金は「氷山の一角」であるといっても過言ではないのが実態だ。したがって、そのような状態で、市場アクセスの議論だけを進めて、我が国が譲歩してしまったら、開放された輸入国市場に「隠れた」輸出補助金で歪曲された安価な農産物がなだれ込むという不公平な状況が生じかねない。「輸出補助金が野放しである以上関税削減は受け入れられない」というのは妥当な主張であり、今後とも、この姿勢を堅持すべきであろう。我々は、この「隠れた」輸出補助金の実態をよく理解しておく必要がある。 ◆米国の穀物等への国内補助金 法律論の限界 図に示したように、通常の(=全廃対象の)輸出補助金は、ある農産物を国内では100円/kgで100kg販売するが、輸出向けは安くして50円/kgで100kg販売する場合、輸出向けについても生産者に100円が入るように、差額の50円×100kg=5000円(図の矩形A)を、政府(納税者)が生産者または輸出業者に支払うものである。これによって、国内・輸出販売を併せた生産者の総収入は、100円×200kg=20000円となる。 ◆カナダの用途別乳価制度はクロ判定 カナダの酪農への輸出補助金は、輸出向けの販売用途を特定して、国内販売より安い支払い乳価を設定するものである。図でみると、通常の輸出補助金のような矩形Aの金額は支払われない。しかし、独占的な販売機関の存在を背景に、国内向け用途の価格を100円ではなく、150円までつり上げることによって、国内消費者から矩形Cの部分を受け取り、生産者には、国内販売と輸出の代金をプールして平均価格100円を支払うのである。広範囲でのプール価格制度がなくても、各生産者が販売枠(クオータ)を持ち、国内販売と輸出販売の両方を行っている場合には同様である。こうして、やはり国内・輸出販売を併せた生産者の総収入は、100円×200kg=20000円となる。通常の輸出補助金のように矩形Aを政府(納税者)が負担する代わりに、それと同面積の矩形Cを消費者に負担してもらうこと(消費者への隠れた課税)によって、生産者の総収入は同様に確保される。同額の補助を納税者が負担するか消費者が負担するかの違いなので、カナダ酪農の輸出用途の特別乳価制度は、消費者負担型輸出補助金と呼べる。これは、輸出向けが特定されているため、WTOのパネル裁定で輸出補助金と認定された。 ◆カナダと類似していても米国の乳価制度はクロにならない 米国の酪農には、飲用向けを高くし加工向けを低くする、カナダと類似の用途別乳価制度があるが、異なるのは、カナダは加工原料乳のうち輸出向け用途を特定しているが、米国ではそのような特定された輸出向け用途は設けられていない点である。このため、低く設定された加工向けのうち一部が輸出に回っているにもかかわらず、米国の穀物等への実質的輸出補助金と同様、輸出補助金には分類されないのである。 ◆データ提出を拒否して抵抗する豪州 カナダのような国内と輸出との価格差別でなく、豪州やNZのような輸出市場間の価格差別のケースは、図で、「国内」と「輸出」を「外国1」と「外国2」と読み替えるとわかりやすい。例えば、日本で高く売り、中国で安く売るというのは、日本の消費者が輸出補助金を支払っていることになる。これも消費者負担型輸出補助金だが、豪州は、独占輸出機関である豪州小麦ボード(AWB)等のデータ提出を拒み、図でいう矩形Cの部分の「輸出補助金相当額」(ESE)の計算を阻止しようとしている。世界で最も競争力があり、農業保護が少ないといわれる豪州でさえ、このような補助金を使っており、しかも、他の国々には保護削減を厳しく求める一方で、自らの補助金については、データの提供さえ拒否して抵抗しているのが実態である。 ◆EUの砂糖 EUの砂糖制度は、従来は、カナダの用途別乳価制度とほぼ同様のシステムであったため、パネルで輸出補助金と裁定された。その後、EUは、国内価格を引き上げるのではなく、その部分を直接支払いに置き換えつつある。つまり、図でみると、販売価格は、国内も輸出も、米国のように50円に統一されるが、国内向けについては、財政からB+Cを補填するのである。これは、消費者負担ではないものの、やはり国内・輸出販売を併せた生産者の総収入は、100円×200kg=20000円となり、CがAを埋め合わせる構造には変わりがない。 ◆最近の注目すべき動きと今後の交渉に向けて すでに述べたように、WTOのパネル裁定で、カナダの生乳の用途別価格設定制度に続いてEUの砂糖制度も実質的輸出補助金に認定され、米国の農業政策の根幹をなす不足払い等が他の輸出国に深刻な損害を与えたことが認定されたことの意味は大きい。我が国としても、「隠れた」輸出補助金が輸出補助金として認定されるべきものであることを理論的に明確にし、かつそれを輸出補助金相当額として実証的に明示することによって、こうしたパネル裁定をWTO交渉本体の「あらゆる形態の」輸出補助金の定義に早急に反映させていく努力が不可欠であろう。カナダの用途別乳価設定制度が実質的輸出補助金に認定された以上、豪州・NZ型の小麦・乳製品等の輸出先別の価格差別も、米国の用途別乳価制度も対象とされるべきであるし、多くの砂糖輸出国にも類似の形態が疑われる。EUの砂糖制度が実質的輸出補助金に認定されたことは、豪州やタイの砂糖制度における直接支払いも同等の制度として疑われる。米国の農業政策の根幹をなす不足払い等が他の輸出国に深刻な損害を与えたことが認定されたことは、当該制度が実質的輸出補助金であることを認めたことと同等である。こうしたパネル裁定の実績がWTO交渉における「あらゆる形態の」輸出補助金の範囲の特定に反映されない以上、市場アクセス(関税削減や低関税枠の拡大)の議論も進められないのである。 |
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(2006.10.25) |
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