農業協同組合新聞 JACOM
   
農協時論
効率最優先の農政から脱却を
立正大学経済学部准教授 北原 克宣


◆効率が優先される社会

北原 克宣
きたはら・かつのぶ
昭和42年長野県生まれ。東京農業大学農学部農業経済学科卒業、北海道大学大学院農学研究科農業経済学専攻博士課程修了。秋田県立農業短期大学(現・秋田県立大学短期大学部)講師、助教授、立正大学助教授を経て、平成19年4月より現職。

 あるテレビの討論番組でのこと。この日の話題は、39%まで下がった日本の食料自給率をどうするか。番組内では、日本の農業をめぐる状況がほぼ正確に紹介され、様々な議論にも配慮しながら論点が手際よく紹介されたあと、日本の農業はどうあるべきか討論されていた。
 これまでも繰り返し取り上げられてきた話題であるが、この日も、自給率に囚われるべきではないとする論者は、市場原理による強い経営体の育成を謳い、自給率を重視する論者は、補助金による農業保護を主張するという構図は同じであった。
 さて番組では、途中、討論を見守っていた一般参加者に対して、「日本農業はコストをかけて維持すべきだと思いますか」との質問がなされた。“コストをかけて”という質問の仕方に意図的なものを感じながら観ていると、予想した通り、会場の女性から「私は会社員ですが、私の会社では日々、コスト削減のために努力しています。農家の方も保護してもらうことを考える前に、まず経営努力をすべきではないでしょうか」との発言があった。
 議論そのものの行方もさることながら、私はむしろ、このやりとりにあった「コスト」という言葉の使われ方に違和感を覚えざるを得なかった。私たちの社会は、いま「コスト=無駄」という図式を無批判に受け入れ、あまりにも効率だけを重視し過ぎてはいまいか。
 新年を迎え、私たちはあらためて日本の行く末を真剣に議論すべきときを迎えているように思う。

◆2008年の経済情勢をどう見るか

 時代の流れには、節目となる「画期」がつきものであるが、2007年は2つの意味において大きな画期となった。1つは、アメリカにおけるサブプライムローン問題であり、もう1つは、穀物の需給構造の変化である。
 サブプライムローン問題は、住宅価格の高騰とこれに連動した住宅ローン貸し付け、住宅ローンの証券化などが複雑に絡み合いながら展開しバブルを形成したことに直接の原因があった。しかし、より本質的には、アメリカの赤字体質が基軸通貨国特権のもとで隠蔽され、これによって生み出された過剰ドルが投機的取引に利用されることで、アメリカが見かけの繁栄を維持してきたことにそもそもの要因があった。
 したがって、サブプライムローン問題は、長期的には、基軸通貨ドルの信用を失墜させ、アメリカの経済構造の再編を促さずにはいないだろう。いずれにせよ、この事態が示しているのは、カジノ化した資本主義の行き過ぎに対する反動であったと言える。
 とはいえ、これまでの構造が短期間に大きく変わることは考えにくい。だとすれば、当面の問題として留意しなければならないのは、過剰マネーの流動化による経済の不安定化である。すでに、商品市場には多額のファンドマネーが流れ込み、原油は1バレル100ドル、金は1トロイオンス900ドルと空前の水準まで急騰させている。また、穀物価格の高騰は“agflation”という言葉も生み出している。こうした投機的取引が実体経済を左右する傾向が続くことになろう。
 もちろん、日本経済も例外ではなく、株価下落や原油価格高騰の影響が輸出産業に打撃を与え、実体経済に深刻な影響を与えることは間違いない。日本経済が「一流」かどうかは様々な見方があろうが、少なくとも、高騰する食料を外国に依存し続けることは、経済力の面からも難しくなりつつあることを十分に認識しておかなければならない。
 そして、2007年を画期とするもう1つの大きな理由が、穀物の需給構造の変化により穀物不足が顕在化したことである。この問題をもたらすきっかけとなったのは、アメリカを中心としたバイオエタノール生産の積極的推進であったが、もう1つの大きな要因はオーストラリアにおける2年連続での干ばつであった。ここに、新興国における需要の拡大や先述したサブプライムローン問題にともなうファンドマネーの流入が重なり、穀物価格が急騰する事態となったのである。
 これを受けて、ロシア、中国、ヨーロッパの各国では、生産調整の見直しや輸出制限措置の導入などを決めた。このような各国の迅速な対応は、自国の食料は自国で責任を持って賄うという世界の常識を示したものと言える。
 昨年から引き続き穀物市場で生じている事態は、過剰マネーによる経済の不安定化が農産物市場をも巻き込んだことを示しているが、それ以上に、穀物市場にはいつでも豊富な穀物があり、必要なときに必要なだけ調達できるという構造は過去のものになりつつあることを認識しておかねばならない。

◆国家戦略として農業政策示せ

 翻ってわが国では、昨年の米価下落が農家に大きな衝撃を与えた。政府は、緊急の政府米買い増しを行ったほか、品目横断的経営安定対策の見直しを検討したが、これらはあくまでも政策の一部手直し・修正であり、基本戦略の見直しではなかった。
 しかし、2007年を画期とする変化は、一時的な調整で対応できるような事態ではない。少なくとも、農産物については、世界市場の基調は“agflation”なのであり、穀物需給そのものが逼迫しているのである。国内において、世界市場の動向に反して米価が大幅に下落したとしても、米が過剰になった本質的な要因は、第二次世界大戦後、アメリカの余剰農産物を受け入れるなかで、国内に「過剰と不足の併存」状態が作り出されてきたからにほかならない。したがって、基本的には、日本の食料需給動向も世界市場と連動していることを忘れてはならないだろう。食料自給率を持ち出すまでもなく、米だけは過剰であったとしても、実質的には日本の食料は不足しているのである。
 このような状況であるからこそ、日本の農業政策に求められるのは、生産調整の単なる手直しではなく、食料生産全般にわたる国家戦略を明確に示すことであろう。
 従来の政策は、一方では、工業製品の輸出による貿易黒字の確保、他方では世界市場における余剰農産物の存在を前提条件として成り立つものであった。しかし、先に見た通り、世界情勢とその日本経済への影響は、もはやこの二つの前提条件を崩しつつあり、この事実を踏まえた農業政策への転換が求められているのである。
 1990年代以降、農業を含むあらゆる政策の基調が市場原理をより一層重視したものへと移行した。しかし、日本がお手本とするアメリカでは何が起こっているのか。堤未果氏は、近著『ルポ貧困大国アメリカ』(岩波新書)において、貧困ゆえの肥満、お金がなければ受けられない医療、軍隊に入るほか選択肢のない貧困層などの実態を克明に描き出した。この中に通底するのは、効率や利益を追い求める競争原理は、教育や医療にはなじまないという著者の思いである。この点からすれば、自然を相手にし、人命を支える食料生産を担う農業にも同じことが言えよう。
 行き過ぎた効率重視社会が、何をもたらしたのか。2007年の流行語大賞に「食品偽装」が入賞した事実を、私たちは重く受けとめなければならない。

(2008.2.7)


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