農業協同組合新聞 JACOM
   
解説記事
来年は何としても棚田で米を作りたい
現地ルポ 長岡・山古志地区(新潟県)



 昨年10月23日に最大震度7を記録した新潟県中越地震。長岡市、小千谷市、川口町などが大きな被害を受け、農地の崩壊によって米の作付けができなかった地域もある。復興に向けた事業が進んでいるが、暮らしと営農がもとに戻るまでにはまだまだ時間がかかるという。
 被災から1年が過ぎた10月末、旧山古志村とJA越後ながおかを訪ねた。

◆谷に響く重機の音

 旧山古志村への通行許可証を受け取った長岡市内の出張所で村のロードマップをもらった。そこには美しい棚田の写真が載っている。しかし、現地では今年ほとんどの世帯で作付けができず寂しい風景が広がっていた。それどころか倒壊した家屋や、見ただけでもとても住めそうにない傾いた住宅も多い。崖が崩れ土に埋まってしまった道路がようやく復旧した箇所もある。
 ダンプカーがひっきりなしに行き交い、住宅の取り壊しを行う重機の音が谷に響き渡っていた。
 長岡市の旧山古志村の住民は約2200人。5月に避難勧告が解除されたが戻ったのは27世帯、50人ほどだという。もっともここで生活している人はまだほとんどおらず、長岡市内の仮設住宅との二重生活を強いられている。
 工事関係者のほかに住民の姿はあまり見かけないが、竹沢地区で錦鯉の池の修復と田んぼの草取りをしていた夫婦がいた。
 「雪が来る前に草刈りをと思って。放っておけば田んぼがだめになってしまいますから」。話を聞かせてくれたのは星野信子さん。5月に夫婦で戻ったが、自宅は冬の間に天井が雪で痛み雨漏りが激しくてとても住める状態ではなかった。外からは住めるように見えてもあちこちに被害を受けている住宅がほとんどではないかという。
 今も5日に1回は長岡市街地の仮設住宅に戻っている。
 山古志地区に戻ってから夫婦で水路を直した。このままでは棚田も養鯉池も荒れてしまうと「自分たちで山を守る」ことにしたのだという。田んぼの面積は5反ほど。
 「来年は息子のためにもきちんと稲を作りたい。そう夫婦で考えたんです」。
 星野さんが息子のためにも、というのは、昨年暮れ、息子の恵治さんを亡くしたからだ。享年32歳。村役場(当時)で水道の復旧を一人で担当していた。地震で壊れた水道設備の点検を被災直後から担当し、集落の住宅はもちろん山のなかの施設の見回りなど日夜かけずり回っていたという。疲れがたまっていたのか、と星野さん。夜遅く現場からの帰宅途中、運転中の事故で亡くなったという。養鯉は恵治さんの楽しみだった。池を復活させ養鯉を再開することも息子さんのためと思っている。
 恵治さんのような将来この地域のリーダーとなるべき青年を失ったことはここの人たちにとっても打撃だろう。
 「ここは本当においしい米が獲れるんですよ」。米の話になったとき、ようやく信子さんから笑みがもれた。

住宅や斜面、道路などの工事が続く山古志地区 住宅や斜面、道路などの工事が続く山古志地区
住宅や斜面、道路などの工事が続く山古志地区

◆組合員への訪問を重視

 山古志地区の住民たちは被災後、全村民が長岡市内へと避難した。ヘリコプターで搬送される村の人々の映像はまだ記憶に新しい。住民たちはまさにとるものもとりあえず避難を余儀なくされたため、通帳も印鑑も自宅に置いたままという人も多かった。
 「しかし、山古志支店の職員が村の農協組合員の顔を覚えていて、希望者には通帳も印鑑もなくても貯金払い戻しの便宜をはかった。組合員をよく知っているからできた仕事だと思います」とJA越後ながおか企画課の五十嵐課長は話す。
 山古志地区をはじめとした多くの住民が仮設住宅で暮らし始めるとJAは、毎月の広報誌配付などでその組合員に顔が知られた職員が定期的に訪問することにし、生活の相談に乗るなどの活動を始めた。復興にまだ時間がかかると見込まれるなか現在も重要な活動にしている。

◆とも補償で米づくりを維持

 地震発生後は、「まさに天変地異という衝撃。外では電柱が倒れ瓦が飛んでいて、なにか強烈な力で地域が壊されたように思いました」という。
 翌日早朝からまずは支店などJAの施設の被害状況の把握に職員があたり、業務が可能かどうかを点検していった。停電が続いた支店では発電機も稼働させたという。
 その後、組合員宅の被害状況の点検に全職員が回った。共済の査定は先になっても「組合員の気持ちはわれわれに、早く顔を出してほしい、ではないかと。文書も用意して避難していて不在の場合にも、JA職員ができるだけ早急に訪問することを伝えた」。
 雪が積もり出すまであまり時間がないという思いもあったが、一方で余震も続き思うように巡回できないこともしばしばだったという。
 一方、営農にかかわる農地の被害状況も行政とともにJAが点検し復旧に必要な事業費を確定している。地震による液状化現象で歪んでしまった田んぼがいたるところにあった。しかし旧山古志村など山間部の農地は被害の調査も不可能だった。
 結局、17年産の米の作付け面積は夏の水害もあったことから300ヘクタールで不可能になった。ただ、地域の人々は米づくりに意欲が高いし、生活も支えている。そこで、とも補償を活用して地域内で被害を受けなかった農家に米づくりを委託することになった。JAが委託する農家と受託側との調整を繰り返して、米生産量の維持を図った。地域内だけで調整ができない場合は隣接JAとの間で地域間調整も行ったという。
 18年産の米づくりに向けて平場の田んぼは復旧の見通しが立った。しかし、山間部の農地復興はこれから集中的に作業が行われるためまだ先になる。旧山古志村では一部で集落自体の移転も予定されている。
 10月末、JAはながおか農業祭りを市内で開いた。毎年行っているいわば地域あげての収穫祭だ。今年は震災関係の展示コーナーも設けた。「がんばろう長岡・山古志!」をキャッチフレーズに、山古志の闘牛も連れてきた。
 「全国からの復興支援に感謝し、長岡の農産物は立ち直ります、とわれわれ自身が意志表示をした。まだまだ時間はかかりますが気持ちは前向きでなければなりません」。
 震災後、一年を経過したが、今後とも復興に向けたJAの役割が期待される。

(2005.11.30)


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