◆最終とりまとめに向け重大な危機感で取り組む
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とよだ・はかる 大正15年栃木県生まれ。県立真岡中学(旧制)卒。昭和37年真岡市山前農協組合長、平成元年真岡市農協代表理事組合長、10年はが野農協代表理事組合長、13年同農協会長。昭和57年県中央会会長。平成12年全共連栃木県本部運営委員会会長、13年全農栃木県本部運営委員会会長。全農・全共連経営管理委員。元全中会長(平成6年〜8年) |
梶井 生産調整研究会の「中間とりまとめ」について各県とも組織討議を行ったと思いますが、どういう点が問題としてクローズアップされたのか、そして、現場では米政策の改革はどのような方向で進むべきと考えられているのか、まずそれぞれお話いただけますか。
豊田 私は、もっとも基本的な問題として、研究会に出席している方から実はこれは「中間とりまとめ」ではなくて、「中間報告」なのだと伺いました。 しかし、中間であれ、“とりまとめ”という形で報道されたことから、しかるべき地位にある人たちがその内容をさまざまなところで解説し、なかには基本方向は決まった、これは委員全員の賛成をいただいており微動だにしない、という表現をされた方もいると聞いています。
その基本方向とは、国の責任、役割を大幅に後退させるということではないかと、あの報告から明らかに読みとれます。
自己責任という表現があったり、あるいはメリット措置も継続はさせるが、それも当面の間、と言っているわけですね。つまり、報告書では米政策から国が手を引くという姿勢が一貫しているのではないか。そして、市場原理に任せることが“あるべき姿”ということでしょう。国は役割なり責任の大部分を放棄する、こういう意図が見える。それがいちばん大きな問題だと思っています。
本来、今の法律に基づいて国が米政策に責任を持ち役割を果たす、それがあって、そのうえで生産調整をどうするのかとかメリット対策をどうするか、ということでないと成り立つ話じゃないんですね。
その方向を変えさせなければいけないと思いますが、今までの経過を考えてみると、最終的なとりまとめに向けては、よほどの危機感をもってあたらないと押し切られてしまうのではないか。栃木県ではそういう問題意識を持って組織討議を行い、さらに消費者250人に集まっていただき計1000人の集会も行ったところです。私は今回の問題については、重大な危機感を持って取り組む必要があると痛切に思っています。
◆現状認識を無視した改革案は無謀な提案
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たねいち・かずまさ 昭和16年青森県生まれ。県立三本木農業高校卒。昭和54年県農協青年部協議会委員長。62年三沢市農協代表理事組合長(平成13年おいらせ農協会長理事)。平成8年県農協4連会長、12年全共連県本部運営委員会会長。13年全農県本部運営委員会会長、県信連経営管理委員会会長、14年全農経営管理委員会副会長。 |
種市 「中間とりまとめ」が示している方向は、言ってみれば生産者に対して、“作るだけつくって余ったら自分で処理しなさい”、こんな感じではないかと思っています。
しかし、こんなことではまさに食糧法がうたっている安定供給ができるのか。私はできるものではないと思います。政府が食糧法をつくって米の安定供給をめざし、しかも基本法に即して自給率の向上もめざしているなか、この基本方向に進むと生産現場がどうなるのかを考えれば、明らかにこの方向で目標が実現できるものではないと私は思わざるを得ません。
たとえば、価格がともなえば、米の需要はどんどん増えるんだというわけですが、まともには考えれられない価格を想定をしているとしか思えない。
私はもっと現状認識があっていいと思いますね。現状、問題点、課題がどうなっているのか、それを無視して改革案として出すのは非常に無謀だという気がします。研究会の経過をみると、いきなりあるべき姿を議論したようで、現状認識をせず、あるべき姿を議論をしたこと自体、やはり政府は初めから逃げようとしている、そんな姿勢を感じます。
本当は、もっと現状認識をきちんとして何が課題なのか、そこを議論することによってこそ、明日の米政策が見えてくるんだと思うんです。
◆米は国民の主食、生産は国の責任で計画的に
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ひろせ・たけぞう 昭和6年滋賀県生まれ。県立草津高校卒。平成6年近江八幡農協専務。平成7年グリーン近江農協代表理事組合長。12年滋賀県農協中央会副会長、県厚生連代表理事副会長、全共連滋賀県本部運営委員会副会長。13年全農滋賀県本部運営委員会副会長。14年県中央会会長、県厚生連代表理事会長、全農・全共連県本部運営委員会会長。 |
廣瀬 この研究会は、米の生産調整に関する研究会ということでしたから、生産調整をしてもなおかつ米が過剰になる、米価が上がらない、では、一体どうしたらいいかを考えて、それなら生産調整方式をネガ配分からポジ配分に変えていこう、そうしたことをおもに議論するために立ち上げるはずだった。
ところが、そういう議論だけじゃだめだ、米生産の構造改革もしなければ日本農業の根本的な問題も解決できない、と、だんだん論議が奥深くなってきたというのが実態です。
研究会の構成は、生産者側委員が7名で、それ以外の方が14名で、消費者、マスコミ、行政、産業界の方などいろいろおられますが、研究会に参加して米や農業に対する見方が本当に幅広いなと感じました。われわれが生産現場で考えていることと非常に乖離していることもありました。
とくに産業界の方は生産調整に今まで5兆7000億円費やしながら、農家自身に誰のために生産調整をやっているんだという意識がある、一体JAは現場でどういう教え方をしているのか、といった極端な指摘をする人もいました。
研究会は現地検討会も開き生産者の声を聞きましたが、生産調整は国の責任で計画的にやらなきゃならないという意見が大多数でしたよ。それをあえて無視して、政府はもう役割は果たす必要がないとか、米の生産、流通はもう他の農産物と同じように自由にしてはどうか、という意見がありましたが、それは一部の委員の意見です。
われわれは消費者に主食を安定的に供給する供給責任があり、年間コンスタントに供給しているのがJAが扱う計画流通米であって、計画外米とか未検査米はとにかく高く売り抜ければいいという考えなのだから、それは安定供給にならないとさんざん主張してきました。
そのほか、稲経はもう廃止だというのもある委員から出た意見であって、決して生産者側がそれに同調したとか、賛成したとか、ということはないんです。
滋賀県の組織討議でも、やはり米というものは国民の主食である、だから、国が責任を果たしてくれというのが第一の要望になっています。
梶井 「中間とりまとめ」は、米は主食ではなくなったという考え方に立っている。そこが私は問題だと思っています。
廣瀬 われわれ生産者はそれは違う、その認識をまずはっきりとしないと将来の日本の農業生産はあり得ないと主張したわけです。これからも自給率を上げていこうというのに、そんな意識ではだめだと徹底的に主張するつもりです。
◆食料の安定供給が基本
輸入に頼る政策は危険
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かじい・いそし 大正15年新潟県生まれ。昭和25年東京大学農学部卒。39年鹿児島大学農学部助教授、42年同大学教授、46年東京農工大学教授、平成2年定年退官、7年東京農工大学学長。14年東京農工大名誉教授。著書に『梶井功著作集』(筑波書房)など。 |
梶井 種市会長がご指摘されたように現実の検討からまず始めるべきではないかと思いますね。
たとえば、研究会では、米を買うのとカップラーメンを買うのと、もうあまり変わりがない、つまり、米も選択されるべき食品のひとつでしかなくなった、消費者に主食という感覚がすでにないということが盛んに言われている。
しかし、平成12年の食料需給表でみると、米は供給ベースのカロリーで24%を占める。4分の1は単品の米なんですね。消費ベースのほうの国民栄養調査でみると、カロリーの29%は米から摂取している。そういう現実をふまえて議論してもらいたいと思うんですね。それを抜きにしてもうスーパーの買い物風景をみればカップラーメンも米も区別がないんだという感覚で捉えるということでは困ると思うんです。
種市 当たり前のことが当たり前でなくなっているんですね。だから、米が主食ではないんだという言い方をする。しかも、そのことを政府がそう言っていると受け止められるから困るんです。もしそういう傾向があるとすれば、政府はやはり日本の食文化というものを元に戻していくという姿勢がないとおかしくなっていくのではないか。そこを軌道修正していく必要が政府の役割でもあると思います。
豊田 食管法から新食糧法になって、自由化、民間流通という方向になりました。それは法律で決めたことです。それに加えて新しい基本法をつくったわけですね。基本法のなかでは食料の安定供給を大きな柱として明確に示しているわけです。
それを否定するという考え方をもし政府の関係者が言っているとするならこれはおかしい。食料自給率45%にしましょうということを決めたのですから。
廣瀬 今は豊作続きで順調に生産されてますが、しかし、農産物というのはあくまでも天候次第ですからね、いつ不作になるか分かりません。それを考えれば先進国が自給率を高くしているのは当然の理だと思います。ところが、日本は大量に輸入している。しかも、米国とカナダ、オーストラリアの3か国から米や麦を入れて安心、安定だと言っていますが、こんなものは危ない輸入です。一旦止められたら、日本の食料は一体どうなるのか。
国民に安定的に国内の安全な農産物を供給するという責任をJAグループは果たしているわけですから、国もそれにしっかり応えて政策を立ててもらわないと。それには消費者だけでなく生産者にも軸足を置いた中立的な政策を立てて、需給計画をしっかり立て生産者にはこれだけ生産してくださいと示す。消費者には国内でこれだけ穫れるから安心しておいしく食べてくださいよ、というやはり国家の責任を果たしてもらいたいですね。
梶井 農水省が公表している「食と農の再生プラン」の工程表のなかには、自給率の向上は一言も出てきませんね。
豊田 今でも世界全体では食料が足りないうえに、環境が悪くなって農地が減り水が不足し、さらに温暖化など、いろんなことで食料生産の条件が悪くなる。一方で人口は増える。人口、食料、エネルギー問題を抜きにしての目先の考え方ではいけません。国家100年の大計を立てる政治家、役所のみなさんがそういう視点を忘れられたのでは困ると思います。
種市 やはり人口問題であるとか、環境問題であるとか、農地の問題について将来を見据えた立場で考えるべきだと思うんですね。今まではあちこち絆創膏を貼ってなんとかしのいできたという感じですが、これでは毎年、同じことを議論しなければならないですよ。
今年は1年もかけて議論するというのですから、やはり将来を見据え問題を整理して、日本の食料の安定供給を考えないと、生産者も消費者も大変になると思います。
◆自給率低下で良いのか
経済界との相互理解を
梶井 基本法の19条には、不測の事態のときにも国民に必要な食料を安定的に供給するということを明記しているわけですね。この問題を考えるとき、いちばん大事なのは、将来にわたってどれだけの農業資源を保全していかなければならないのかということです。まずは人の問題であり、農地の問題です。これをどれだけ確保していかなかければならないかです。とくに日本の農地のなかでは水田がいちばんいい食料生産資源です。将来とも水田をどれだけ確保していくのかという基本がまず立てられていて、米政策が始まると思うんです。
しかし、現状では主食としての需要はこれだけしかないから今は米づくりにはこれだけの水田を使う、そして、残りは水田を保全しながら米以外の作物をつくるのにあてる。これは国の政策でなければ決められない。そこを逃げてしまうのでは、米政策の立てようがないはずです。
豊田 われわれに対してしっかり対案を考えろといいますが、それは国が責任を持つという前提がしっかりしていなければできません。
廣瀬 研究会で、生産者側の意見とすべてが相反するかといえばそうでもありません。一定の理解をしてもらっている部分もあると思います。
ただ、やはり安ければいいという考え方が先行している嫌いはあるんじゃないかと思います。そこはやはり農業の多面的な機能も評価してもらわないと。産業界の製品と同じ論議では論外になると思うんですよ。
梶井 生産調整を、生産者が行っている価格維持のための生産カルテルだと考えているから、問題が混乱してしまうんです。
廣瀬 おっしゃるとおりですね。研究会では米の価格はあくまでも実勢であって、そういうカルテルを結ぶような過剰米対策は論外だという主張もありました。消費拡大についても、生産者自身が産業として行えばいい、国に頼るからおかしい、という極端な考え方もあるようです。
ただ、われわれ生産者側、JAグループと経済界とはもっともっとお互いに理解し合うようなコミュニケーションが必要だと思います。
豊田 それは大きな課題でしょうね。われわれと対立するものではないんですね。まさに共生です。消費者と生産者が対立する構図は間違いで、農家だって消費者ですからね。牛乳、乳製品をつくっていない生産者は買って食べるわけですから。
消費者と生産者は区別できず、まさに共生そのものだと思います。実際はそうではないのに、対立の構図がつくられているのが問題なんです。
廣瀬 これは私個人の考えですが、経済界の人たちとJAの指導者がお互いに話し合って、日本の農業について理解してもらうことが必要だと思います。
端的に言いますと、日本は工業立国としてやはり輸出しなくてはならない、その見返りに買うとすれば農産物しかないという考え方がまだあります。しかし、それでは食料は外国に頼って自給率はどんどん下がるが、それでも仕方がないという話につながっていくと思いますが、それでいいのかということです。
◆生産調整は法律事項
政府、実行責任を放棄
梶井 ところで、水田農業者は構造改革が特に遅れていると問題にされていますが、高能率の生産単位をどうつくるかが問題であって、その点では大規模な法人だけじゃなくて、たとえば集落営農であっても効率的であればいい。何も法人経営に集中しなくてはいけないということではないと私は思うんですが、この点はどうでしょう。
豊田 北海道で17ヘクタールを経営している農家の生産費が60キロ1万2000円だと聞きました。コストの引き下げ努力はしますが、個人で大型機械を導入すればまさに機械化貧乏になるなど限度がありますから、そこで集落営農が大きな役割を果たすと思います。
その場合の集落営農の構成は、担い手が中心ですが、草刈りや水管理などはみんなでやると。それが本来の望ましい姿ではないかと思うんですね。
梶井 ご指摘されたような数字は農水省の生産費調査で明らかになっている。ですからまさに現実を見つめてみるなかで、担い手はどう考えるべきかを議論すべきだと思います。
豊田 肝心なところが曖昧になっている感じです。だから架空論になってしまう。飼料用米の需要はあるといっても1俵1000円程度、ホールクロップサイレージでも助成金があるから10アール7万円になるという話ですからね。
種市 そこまで価格が下がればとても後継者ができるような話ではないはずなんです。
廣瀬 現実をふまえるということであれば、生産調整については国がガイドラインを決めて各県別に割り当てているわけですが、17県が未達成です。そこにミニマム・アクセス米などが入ってきて101万ヘクタールの生産調整しても米価はなおかつ下がるということでしょう。そこで生産調整に取り組まない農家があるということです。
ところが、こういう現実を前に国としてはもうやりきれないから、生産者側がやりなさいということが国の考えにあるんじゃないか。研究会の委員の間からも、強制するから未実施が出るのであって、それはもう生産者の自主性に任せてはどうか、という意見が出た。では、自主性に任せたとして、生産調整をしなければ一体どうなるのかということを考えなくてはなりません。
梶井 生産調整を実施しながら、なぜ生産調整に参加しない人が出てくるのか、なぜ、計画外流通米が増えてしまったのか、本来はそこを詰めなくてはいけないはずなんです。
豊田 生産調整に参加しない人のほうが現実的にメリットが多いということだと思いますね。生産調整に参加することが損をしているという現実があります。
梶井 そういう現実にしてしまった原因はどこにあるのか。たとえば食糧法を制定したときには、計画流通米が90%を占めるということだった。そして計画外流通米というのは例外的であって、しかも食糧事務所に届けなければならないことにし、無届けならば科料が課せられることにしたわけです。しかし、これだけ計画外流通米が増えたのに科料に処せられた例はないという。
つまり、政府は法律どおりにやっていない。法律をつくっていながら行政責任として逃げたわけです。
米の生産調整は、昭和1970年に始まったときから食糧法ができるまでは閣議了解でやってきた。日本は予算単年度主義ですから何年にもなる事業については、法律に基づく計画が必要で、たとえば、土地改良長期計画というものがあるから、10年かかる事業にも予算をこれだけ出しますよということができるわけです。
生産調整についていえば、食糧法によってはじめて法律事項になった。政府が需給計画をつくり、そのなかに生産調整をどの規模で行うかを決めることになっている。これは政府が立てる計画なんです。
それなのに政府が実行する責任を放棄し、農協がしかるべくやってくれよと、逃げたわけです。そういう問題がもともとあるわけです。
種市 つまり、この間、どんどん国の役割、責任が後退していったということですよね。
だから、なぜこうなったのか、そこを検証する必要があると思うんです。そこをきちっとしないと前に進まないと思うんです。
梶井 結果としての事実だけをずらっと並べているだけです。その事実をもたらした原因は何なのか、直さなければいけないポイントは何なのか、と検証していかなくてはならないと思いますね。
◆売れる米づくり体系を農協が細かく示して
梶井 「中間とりまとめ」のなかでは、系統の共販事業についてもかなり厳しい指摘がありますが、たしかに今までのような事業方式そのままというわけにはいかないという面もあると思います。
共販の場合、私はいちばん問題なのは最終価格がなるべく早く生産者に伝わっていくことが大事だと思います。これからの事業としてもう少し考え直さなくてはいけないという点をお話いただけますか。
豊田 安定供給ということからすれば、大宗は委託販売、共同計算という方法を守らないでどういう方法があるのかです。個々ばらばらで早く売り抜けようということであれば、それが値段を下げることになる。個々人が販売するということでうまくいくはずがないんですね。系統共販と共同計算、これは基本として守るべきです。
ただ、こだわり米とか、低農薬、有機米などはそれなりの付加価値があるものとして他の米とは一緒にしないという別立ての販売をすることが必要でしょう。しかし、これだって年間安定供給でないといけない。年間平均して有利な販売をするとなれば、やはりわれわれがまとまってやる必要がある思います。
ですから、全体の価格水準を下げない、採算がとれるところで維持する。生産費を償わない水準で米づくりをしろといっても、1年、2年がまんしろというなら別だが、米価が7〜8000円にでもなれば、多くの人は自分が食べる分しか作らないでしょう。安定供給のことなど考えない。基本的にはそういうことだと思うんですね。
廣瀬 安定供給と安定価格ですね。一定の範囲内で価格も乱高下しないということは国民のどの方にでも買ってもらえる安定した価格ということです。そうすることがわれわれの使命でもあるんです。
そこで今の委託方式は決して悪くないと思いますが、生産者に情報をきめこまかくどのように知らせて、売れる米づくりをどうしてもらうか、が課題です。ここがこれまでの反省点だと思います。
今までは農協が一定の生産マニュアルを示していましたが、これからはもっときめ細かく農協が各生産者に売れる米づくりはこういうものだと営農体系を示すことが大事だと思います。
それからコストの低減ですが、カントリー・エレベーターなど立派な施設をつくっているんですから、それを各JAがもっともっと活用したり、育苗センターを導入するなどコストを下げる努力をしなければならない。そしてそのなかで顔の見える生産にもっていく。カントリー・エレベーターを利用してもそれができると思うんです。付加価値をつけた米をそれぞれが供給していけば、計画外流通米に負けない計画流通米ができるんじゃないかと思います。
種市 しばらく前まで私はカントリー・エレベーターを活用してトレーサビリティの確立に取り組むことはむずかしいと思っていました。しかし、集落で平均化されて生産され、しかも生産履歴も把握するということなら、これは大きなことですね。逆に集落営農の強みといいますか、それを築き上げることが大事だと思いますね。
◆若者が農業に行く環境を所得安定対策の確立で
梶井 さっきちょっと話が出ましたが、担い手対策についてはどうお考えですか。
豊田 今日お話した前提がきちんと整理されないと、現状のままでは担い手の育成というのは非常に困難だと思います。先の方向が見えないわけですから。
ただ、具体的には、集落営農が基本だと思います。この考え方で注文したいのは、100%参加しなければ、集落営農ではないということは非現実的だということです。7割、8割が参加し、ブロックローテーションができるという条件が満たされれば集落営農として認めるということでなければいかんと思う。できるだけ参加してもらう工夫、努力は必要ですが、集落全員、100%参加が条件ということでは進みません。そして、集落営農ということで、コストの引き下げをはかる、機械の共同利用や先ほど話題にしたカントリーエレベーターの利用などでですね。それを積み重ねないと消費者にも理解されないと思います。
廣瀬 担い手対策といっても、夢と実りがないと。今のままで構造改革と言っても、では、規模拡大して実りがあるかと言えば、それはない。規模拡大すればするほど赤字になりますから。そういう意味では経営所得安定対策をきちんと打ち出してもらうこと、それと日本のあるべき農業の姿を出して、若者が農業に行くような環境をつくっていかないと。
種市 まさにそれが前提だということなんですよ。
◆協同組合原則を大事に安心・安全な食料供給を
梶井 最後にJAグループ全体に呼びかけたいことを一言ずつお願いします。
豊田 基本は協同組合運動を忘れないことだと思います。経済効率至上主義ということではないんだと。われわれ農家にも強い人はいますが、大資本にくらべれば弱小なんです。世の中は、弱肉強食の風潮ですが、われわれは協同組合運動を忘れてはいけません。しかも、農業者だけが集まっているわけじゃなくて、消費者との共生も掲げているわけです。共生と協同組合運動ですね。
それから現場をしっかり見ることです。主人公は組合員なんですから。そういう心の問題が基本だと思いますね。
廣瀬 たしかに改革は必要ですが、やはり協同組合の原則は大事にして日本農業の活性化、とくに穀物自給率の引き上げが大事です。これはJAグループがなんとしても、基本法どおりに実行していくと、そして消費者に安定的に供給するということだと思います。
種市 農協運動というのは、目先だけを考えるということではないと思います。今日、議論したような日本の自給率の問題や安定供給の課題などをどう実現するかです。私たちも協同組合運動の種を播いてそれを育てていかなくてはなりません。
それから、安心、安全な食料供給対策も課題です。私は、JAのマークが安全のマークだと言えるような取り組みをしなければならないと思っているんです。
梶井 どうもありがとうございました。
座談会を終えて
“アグリビジネスとの競争条件の確立”――これはつい先頃、農水大臣が経済財政諮問会議に提出・説明した文書のなかの「『食』と『農』の再生に向けた農協の構造改革を促す」というページにあった文書である。
この文書を見たとき、とっさに“全日本商権擁護連盟”という名前が私の頭に浮かんだ。戦前の反産運動(=反農協運動)の中核組織の名前である。冒頭の一句は、今や時代が変わり、農政が反農協運動支持にまわろうとしていることを示すのだろうか。
国民への食料の安定供給は、農政の最大の責務のはずだが、生産調整研究会「中間取りまとめ」の方向がそれから逃げようとしていることに、3会長とも非常な危惧を示された。当然である。最大の責務から逃げようとしていることと冒頭の一句はむろんつながっている。そういう「構造改革」にさせてはならないこと、いうまでもない。
“基本は協同組合運動を忘れないこと・・・・で、主人公は組合員なんですから、そういう心の問題が基本”(豊田氏)、“協同組合運動の原則は大事にして・・・・JAグループはなんとしても、基本法どおりに実行していく”(廣瀬氏)、“農協運動というのは目先だけ考えるということではいけない”(種市氏)という3会長の発言を“農協の構造改革”をいう人たちも、よくよく考えてほしい。(梶井)
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