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河野栄次氏
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梶井 このシリーズは農産物を供給しているJAグループへの提言や注文をしていただく企画だということですが、生活クラブ生協自身の理念やこれまでの取り組みを聞かせていただければ、おのずと提言になるかと思います。そこでまず生活クラブ生協の立ち上げから今日までの活動をお聞かせください。最初は、牛乳の共同購入からと伺いましたが、これはどういう理由なんでしょうか。
河野 昭和40年に牛乳が値上がりしたんですね。それに対して自分たちが何とか値上げを止めさせることはできないかと、ともかくみんなで牛乳を飲む運動をしようと考えたのが始まりです。それも直接生産者から供給してもらおうと、提携先は全酪連でした。一般牛乳はたしか18円だったと思いますが、私たちはそれを3円ほど下げて15円で共同購入したわけです。
この3円の安さが非常に多くの人たちの共感を呼んで会員が大勢増えました。そのときはまだ生協組織じゃなく、まさに集団飲用をして、その3円の値上げに対して異議申し立てをするという考え方だったわけです。
その結果、会員が大勢になったんですが、そうなると運動をやっているはずなのにあいつらは事業で儲けているんじゃないか、という話になったものですから、それで運動に参加する人たちが主人公の組織はないかと調べた結果、協同組合に出会ったわけです。こういう経過で3年後の昭和43年に協同組合にしました。
それから牛乳だけでなく組合員が期待した鮮度のいい鶏卵をぜひ供給しようということになったんですが、実はここで大変な失敗をしたんです。
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梶井功氏
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そのときの市場流通が10キロ単位で、われわれは全販連からその単位で共同購入したんですね。生産者団体だから鮮度は保証できると思っていました。ところが取り組んでみると、組合員から虫がわいているという話が出たんです。今でもよく覚えていますが、そんなことはないと私は見に行ったんですが、本当でした。
理由を調べたんですが、結局は産卵日が分らない状態だったんですね。つまり、産地からは大阪市場が高ければ大阪に行くし、東京が高ければ東京市場に行くというわけです。
こういう事故を起こしたものですから、卵の供給をやめるかどうか組合員集会を開きました。そうしたら優れた組合員がいまして、スーパーの裏に行って見てきてください、ケースからいいものだけパックに入れて売っているじゃないか、生活クラブはだまさないでケース単位で配るのだからそのほうがまだいい。問題は産卵日の分る卵をどうしたら扱えるかということだ、という意見が出たんです。
それから生産地と産直取引ができないかを検討をはじめてそのシステムをつくったんですね。
あのとき、もし組合員が生活クラブは所詮はだめだと否定すればこの生協は終わりだったわけですが、自分たちでいいものをつくろう、産直もやろうという声が上がった。それ以来、私がいつも言っているのは必ず素性を確かめることにしようということです。生産履歴ですね。最初からそういう考え方になったわけです。
まれな生協かもしれませんが、私から言わせればそれしか実力がなかったということです。他の生協は、店舗を作って鶏卵もパックで売っていますが、私たちはそんなことはできませんからケース単位で供給した。当然、ケースで供給すると一人には供給できませんから、必ず地域でグループを作ってもらい、そこで分けてもらうことにしたんです。つまり、卵の品質は組合員が自分で点検するということです。
梶井 生活クラブ生協は品物を売っているんじゃない、共同購入することによって組合員の消費生活のお手伝いしているんだという感覚なんですね。
河野 そうです。そこははっきりしていて、組合員自身がものを考えて自分の生活に必要なものを共同で手に入れる。つまり、道具としての生活クラブ生協、ですね。
それと、事故があっても私たちは事実を隠さず公開します。そしてそこから解決策も生まれてくるんですね。無添加ソーセージの供給に初めて取り組んだときにも、昔は冷蔵配送できなかったので品質事故を起こして、やはり防腐剤を使用しなければできないということになったんですが、これも組合員集会で話し合ったところ、いつか無添加ソーセージの供給ができればいいということになった。そして10年後に実現したんです。
問題を起こしてもそれを解決する方向で考えてきた。これが生活クラブ生協の原点ではないかと思っています。
当時、素性の確かなものを適正な価格で、というスローガンをつくったんです。ただ、他の生協は昭和40年代から50年代、よりよいものをより安く、と言っていました。
梶井 それはロッジデールの組合運営の原則と同じですね。組合の品物は素性のいいものを適正な価格で売ります、でした。安く売るということではないんですね。
河野 素性が確かなものというのは、たとえば、野菜でいえば無農薬、無化学肥料じゃなければだめだということではありません。
私たちは、農薬についてはどんな性質で何のために散布するのか、それは残留性があるのかないのか、きちんと公開してくれればいいという考え方なんです。農薬を使用してはいけないというのではなく、公開することが前提だということですね。
みんなよく無農薬、無化学肥料というけれども、いくらそう言っても24時間、365日、農家につき合うことはできませんね。ですから、農家自身が生産行程を公開してわれわれに対して約束してほしいということです。
有機農業でなければだめだということではなく、有機農業をめざしはしますが、そういう方向にゆっくり地域社会全体が変わっていくやり方をしたいと考えてきました。
梶井 今、聞かせていただいた活動を続けてきた生活クラブ生協にとっては、このところの食品偽装事件の続発は非常に腹立たしい思いでしょうね。
河野 腹立たしいといえばそのとおりですが、それ以上に私はこういう問題が起きる構造になっていると見ているんです。
この構造はすでに10年前から続いていて、業界そのものの体質になっているということです。どういうことかといえば、飽食の時代になって過剰生産、過当競争になったということです。その結果、マーケットをどう確保するのか、過当競争のなかで一人勝ちしたいというのでありとあらゆることをやることになるわけです。それは輸入の増大ももたらした。
一連の問題は、内部告発で発覚しましたね。右肩上がりでマーケットが拡大しているときは、多少おかしなことをやっても、まあいいだろうということで済んだ。10年前に内部告発はこれほどありましたか。しかし、今は市場が飽和状態になって過当競争で激しくなっているから、告発というかたちで表に出てきた。
私からすればそれだけのことであって、ずっと前から似たようなことはあったじゃないかといいたいですね。つまり、構造がもたらしたものであって、日ハムや全農チキンフーズだけが問題だと全然思っていません。
見方を変えれば、この10年間に生産主導ではなく流通主導になったということです。今は価格破壊だということで、流通業界は生産を無視して要求してくる。
今回、BSE問題で牛肉消費が落ちたとき鶏肉や豚肉に消費が替わりました。しかし、考えてみると直ちに豚肉や鶏肉が供給できるはずがありません。鶏肉なら卵がふ化するのに21日、食肉にするまでに54日ほどかかります。つまり、75日ないと鶏肉は食べられない。
にもかかわらずマーケットは、直ちにこの質のものを持ってこい、です。それに対応しないとそのメーカーは売り場を失ってしまう。結果的に無理して対応するから、偽装はこうした構造がもたらしたものだと思うんです。
梶井 工業生産のメカニズムを農業におしつけてしまった。農業生産の特性としてはそれはできないんだといえなくなったわけですね。
河野 これは20年前から農業、農協界の人に言ってきていることですが、なぜ、日本の食料を失ってきたのかといえば、農業の生産時間と生産空間の概念を言わなかったことではないか。
たとえば、牛であれば、お腹のなかに10か月、食肉にするのに20か月ですね。しかし、1頭からは1頭しか生まれませんから、もうワンサイクル必要になるから、どうみたって60か月経って初めて牛肉は食べられるわけです。
それから、牧草だけで飼えば1ヘクタールで2頭しか飼えない。こういう生産空間についても言わなかったわけです。安全性やおいしさについては言ってきましたが、生産時間と生産空間という概念は言わなかった。
農業は工業製品と同じ論理ではできないということをもっと主張すべきだと思いますね。
梶井 最後にJAグループにこれから求められることをお聞かせ下さい。
河野 協同組合は、人々が自発的な意思に基づいて集まって、生活をよくするための道具としての協同組合であるはずです。しかし、それがいつのまにかおカミにお願いするという体質になった。今、それがだめになって初めてマーケットを見るようになったということじゃないかと思いますが、実際は、食料生産というのは食べている人のほうを向いて考えることがもっとも大切だと思います。そこを考えていただきたいですね。
梶井 ありがとうございました。
インタビューを終えて
「ロッチデールの先駆者たち」の著者ホリヨークは、ロッチデール公正開拓者組合が実践のよりどころにしていた組合運営の諸原則を14項目にまとめたが、その(2)、(3)、(4)は次のようになっていた。
(2)可能なかぎり純粋な食料品を供給する
(3)目方や分量をごまかさない
(4)市価で販売し、商人と競争しない
“他の生協は昭和40年代から50年代、よりよいものをより安く、と言って”いた時代に、生活クラブ生協は、“素性の確かなものを適正な価格で、というスローガンをつくった”という。そして、自分たちの仲間だけでそうしようというのではなく、“そういう方向にゆっくり地域社会全体が変わっていくやり方をしたい”という。これはロッチデールそのものといっていいのではないか。その組合からの“いつの間にかおカミにお願いする体質になった”という忠言を、JAは謙虚に聞く必要があろう。 (梶井)
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