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シリーズ 「再生21」への挑戦―コープこうべ 今野 聰 元(財)協同組合経営研究所研究員 |
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◆100年に向けた挑戦
だからスーパーなど県内小売業との競合条件は、ことのほか厳しい。スーパーは多くの場合全国または県域をまたがってチェーンを結成(店舗連鎖)しているからである。昨年までは長い間、ダイエーが好敵手であった。これからも日本の代表的小売業との凌ぎ合いは続く。だからコープこうべは全国の生協店舗の連帯に問題提起してきた。これからもするであろう。単一生協としては、その事業競争力と源泉はなにか、その興味は尽きない。多くの関連本もある。 念のため、コープこうべ生協『二〇〇一事業報告書』末尾資料を開く。そこに「日本のおもな購買生協」の2000年度順位(日本生協連調査)がある。単純で誤解を招きやすいが、これからの論考の参考のために、上位2位〜10位を供給高(億円単位)だけを転記する。 (2)コープさっぽろ1477。(3)コープとうきょう1346。(4)コープかながわ1298。(5)さいたまコープ1024。(6)みやぎ989。(7)ちばコープ701。(8)京都629。(9)トヨタ622。(10)エフコープ565。 もうひとつ初めに触れておく。日本中どこの生協でも、自らの歴史と存立理念を鮮明にしている。このことは農協以上である。とりわけ大正デモクラシー時代の創立以来80年、創業者・賀川豊彦に代表される「愛と協同」思想はこの生協に血肉化しているといって良い。これも比較になるが東京都に1919(大正8)年創立の家庭購買組合があった。これは1951(昭和26)年消滅だから、戦中に活動していた。そのことは産業組合誌にも記録がある。初代理事長が吉野作造で大正デモクラシーの旗手。本人はクリスチャンであった。しかしこの生協のどこにも「愛と協同」という看板もモットーもなかった。この生協の伝統を引き継がなかったからか、現在、都内にある代表的地域生協にも、同様にない。 1960年代は全国各地農協店舗がコープこうべにお世話になった。農協店舗事業に大きなロマンをもらった。販売事業でも同様、多くの取引関係があった。そんな縁で、私は1970年代の初期の全農直販事業で、この生協と係わった。第一に販売相手先としてであった。だが、時代の背景もあって、一挙に協同組合間提携課題に入ることになった。そのことは本稿の最後に触れる。最近コープこうべを取材する機会があった。そこには厳しい「再生21」という挑戦テーマがあった。創立百年に向かって日々挑戦する姿でもある。以下この生協の現状と歴史を紹介・検討して、これからの展望を提起してみよう。 ◆厳しい経営 現状と「再生21」 2002年7月現在の最新データがある。やや細かい数字だが、検討の前提として挙げておこう。
95年震災の翌年をピークに、毎年100〜200億円の供給高減である。平均的年間供給高地域生協が一つづつ消えた計算になる。このことはここ数年間、生協の各種全国集会でコープこうべ報告として、聴いてきた。その上でなおすさまじい数年であったと思う。だから自己改革の一歩猶予もならぬことを実感した。そこで今年、2002年度方針の基調「再生21」を引用しよう。 |