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シリーズ JAの現場から「JAのビジョン」づくりに向けた戦略を考える(6) |
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個々の販売組織で興味深いのは、営農部に属する営農販売課と生活部に属する産直事業課があること。産直事業課には、産直業務・業務需要・食材配達の3係がある。産直業務は1995年に始まったが、当初42名でスタートした産直部会員は今日358人になっている。食材配達は学校や病院の給食用食材を配達する仕事をし、業務需要は地元の飲食店等に対する販売業務を行う。 産直は、市内何十カ所かの団地の奥さん方との懇親会のなかで“スイカ大産地のなかにいるのに、私たちは地元のスイカが食べられない。何とかして”という要望に応じて始まり、学校、病院の食材調達も“「地元の食」を誰が担うのか、それは「地元JAの仕事だ」”というところから始まった。 06年度JA富里市の農産物販売取引実績は65億9525万円だが、60%が卸売市場への受託販売、40%が買取販売になっている。買取販売に当たっては、加工メーカー或いはインショップ各店舗等と事前に品質、引取価格を交渉、それを前提に買取価格をJA会員に提示、それに応じ、かつ品質を揃えるための技術指導を受け入れる生産者を組織して出荷している。 受託販売の手数料は米、麦、落花生の2.53%から野菜、畜産物0.89%の間にあり、全買取販売物平均1.71%になっているが、買取販売は企業取引3.68%、インショップ3.0%、生協取引0.95%、平均2.67%になっている。リスクを背負っての買取販売であり、かつそれなりの販路開拓、技術指導のコストが全部かかっているだけに、“3%では不満、5%はほしい”という。 “中食・外食がいずれ家庭調理の場を奪う時代が来る”と読んでいるJA富里市は、加工を重視、市、市商工会と一緒に「ふるさと産品育成協議会」を立ち上げている。 りんご共販率は95%に強い販売力と徹底した営農指導 07年7月決定の「経営・振興3か年計画」(07〜09年度)の表紙には“故郷を守る”と大書されている。相馬村の消滅に加えて、JAまでたとえばJA弘前市など他JAと合併するようなことになっては、“故郷を守”れなくなると、このJAの組合員は判断しているのである。 正組合員数は585人、準組合員を加えても944人の組合員数でしかない。文字通りの小組合である。が、小組合であっても弱小組合ではない。準組合員359人は“JA施設を利用する”準組合員120名と“ローン借入”準組合員239人で構成されているが、前者はJA相馬村にリンゴを出荷している地区外他JAの組合員であり、JA相馬村の指導に従ってリンゴづくりをしている準組合員である。 JA相馬村のリンゴ共販率は95%に達する。驚異的高さといっていいだろう。1975年ごろまではよくて50%だった。共販推進の努力が90年代に入る頃には80%近くまで共販率を高めたが、決定的だったのは、91年の台風19号被害対策でみせたJA相馬村役職員の被害による収入減を極力小さくしようとしてとった適確な行動だった。 それが組合員の信頼を厚くし、95%にまで共販率を高めることになったのである。 高い共販率は、もちろん強い販売力があってこそ維持されるが、JA相馬村のリンゴ販売の強味は、収穫される3か月前から、どういう規格のリンゴが、何時、どれくらいJAに入るかを把握していることである。営農指導の裏付けがあってであることは、いうまでもない。規格別数量に応じ、卸、スーパーと予約販売しているが、販売の決定権を職員に持たせているのも特筆すべきことだろう。 JA相馬村のリンゴのブランド名は「飛馬」だが、“ヒウマ”と呼ぶ。 現在の自己資本比率41.6%(06年度)も立派なものだが、これを50%に引き上げることを当面の目標にしている。“遠く古里を離れた地元出身者に、定期を通じて古里を応援してもらおう”(07・8・1付日本農業新聞)ということで、県外に住む旧相馬村出身者向け「ふるさと定期貯金」を07・8・1から販売している。 役職員全員が目標見定め農産物の販売増加めざす 合併初年度の94年は損失処理後欠損金7億7200万円という赤字スタートだった。 経常利益、当期剰余金とも黒字になるのは5年後の99年だったが、その経営好転を支えたのは、都市近郊型JAにふさわしいといえるが、信用事業の伸びと支店統合リストラ策だった。8農協合併時35支店1出張所だった事業体制は04年10支店20支所になり、合併時665名を数えた職員数は、06年357名にまで減じていた。 が、07年の合併で職員数は一挙に600名に増えた。経営管理委員会体制下で、これからどうなるかが問題である。 その第1歩は、役職員全員がこれからの目標をしっかり見定めることからだ、ということでJA新ふくしまで初めての“農業振興役職員大会”がもたれ、その大会で06年78.6億円の販売額を09年に100億円に増加させる目標がたてられた。 販売農産物の主軸は、もも、なしを中心に06年45.6億円の販売額の果実だが、これからはリンゴ、おうとうの増産が計画されている。 果実に続くのが野菜(06年8.3億円)、花き(06年7.6億円)だが、一番高い伸びの期待は花き(中心は小菊)にかけられている。 米(06年4.4億円)はこれまで系統出荷中心だったが、これからは4割は自主販売を目指すことにしている。学校給食はすでに100%地元産米を供給している。 JAの購買事業はこのところ生産資材についてホームセンターなどとの競争が問題になっているが、JA新ふくしまの場合、ホームセンターの価格と横ならびになるように、手数料率を物によって変えている。従来価格より7〜8%下げて市価並みにしたことで、単価は安くなったが取扱量が10%も上がった物もある。 “市況にあわせた価格設定をして、そのなかで農協への結集度合いをどこまで確保できるか、が勝負”だが、“単協としてやれる資材価格引下げには限界がある。全農の原価を含めての情報公開が、組合員の結集を強化していく上で必要だ”と専務は強調していた。 厳しい農家経済立て直しでJA営農指導の強化へ JAの貯貸率は、一般的には30%を超えない。2000年以降を総合農協統計表から拾うと、00年30.6%、01年29.7%、02年28.8%、03年28.2%、04年29.4%となっている。が、JA大潟村の貯貸率は一頃は80〜90%の高さだった。低くなった近年でもこの平均の2倍の60%にもなっている。JA貯貸率の低さは、JAの信用事業能力の低さを示すものとして時に問題にされるところだが、JA大潟村のこの高さは、このJAの信用事業能力の高さを示すというよりは、日本水田農村のモデル農村としてつくられたはずであるにもかかわらず、経営維持のためにJAの営農貸付に依存せざるを得なかった“モデル”農村の苦悩を示すとすべき、と思われる。 その苦悩は、水田として15ha配分されるはずが、5haを畑とし、田畑複合を強要されたとき(1975年)から始まる。地目は水田でありながら、転作としてではなく、畑作を強要されたのである。畑作だからということで転作奨励金はつかなかった。 水田利用再編対策第1期開始(1978年)とともに5haの畑作にプラスして、10haの水田にも転作は割当てられ、第2期対策(1981年)で転作はさらに強化される。転作拒否が全国的にもこの頃から増えるが、大潟村でいわゆる“順守派”と“ヤミ米派”への入植農家の分裂がいわれるのがこの頃からである。 入植開始以降、今日までの40年間に、589戸が入植したが、うち49戸が離農し、その農地730haを含めて1220haの農地が売買されたが、経済的苦境に立たされた者の多くは“順守派”だった。今、3000万円以上の負債を背負っている農家が、ここで2割はいるという。 いずれは農地売却で負債整理せざるを得ない者が出てくるが、急激な農地売却が地価の低落をもたらすのを防ぐのもJA営農指導の重要な役割になっている。 |
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(2007.12.13) |
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