農協の経済事業改革は、農協自らが取り組むべき焦眉の課題だが、
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たしろ・よういち 昭和18年千葉県生まれ。東京教育大学文学部卒業。経済学博士。昭和41年農林水産省入省、林野庁、農業総合研究所を経て昭和50年横浜国立大学助教授、昭和60年同大学教授、平成8年同大学経済学部長、大学院経済学研究科長、平成11年〜13年4月まで同大学大学院国際社会科学研究科長。主な著書に「日本に農業は生き残れるか」(大月書店)、「新版 農業問題入門」(大月書店)など。 |
今回の「改革」論議は、そのような内在的必然性もさることながら、経済財政諮問会議、総合規制改革会議といった、財界・官邸に直結する新興権力のストレートな要求と、それを受けた農水省の農協のあり方研究会報告がフレームを決めているのが、最大の特徴である。
こういうなかで、優良事例なるものをひっさげて、財界や官邸といっしょになって農協に「改革」の説教を垂れることほど滑稽の極みはない。農協「改革」の全体構図が経済事業改革にどんな影や歪みを落とすのかを冷静に見透し、それでよいのかを根本的に問い掛ける必要がある。
◆財界要求のポイント
経済財政諮問会議の要求のポイントは、資本がスムーズに農村進出を果たせるよう農協と他業者とのイコールフッティングを確保すること、そのために独禁法の適用除外を外すことである。それに対して総合規制改革会議は、どうすればイコールフッティングを実現できるかを指南し、信用・共済事業の分離、区分経理の徹底と部門別経営収支の確立を掲げる。
これらの財界要求の多くは、員外利用規制の強化、准組合員制度の見直し等も加えて、規制強化に他ならない。特に一般企業においても金融と保険の兼営化が認められ、金融への進出が進んでいる今日、農協だけ分離させるのは規制強化以外のなにものでもない。財界は自らには規制緩和、農協には規制強化を求める身勝手極まるものといえる。
◆独禁法適用除外と全農の弱体化
そもそも、独禁法適用除外を外せば協同組合の扱いではなくなるし、信用共済事業を分離したら総合農協の経営はなりたたない。
そこで農水省はこれらのストレートな財界要求は断った。そこまではできないという農業保護と、そこまでやられたら農政のイニシアチブを奪われるという官益、省益確保の両面がそこにはあろう。問題はそのリアクションである。すなわち要求を断った代償としての妥協を強いられた農水省が、今度は農協に対して「改革」の実行を迫るという構図である。学校に呼び出されて絞られた親が、今度は家に帰って子供をしかりつけるようなものである。
独禁法問題については、あり方研究会での発言でも、公取委は、少なくとも連合会については系統利用率が高い場合には独禁法違反という認識を堅持しているようである。これは協同組合の二次組織、系統共販そのものの否定だが、それを断ったリアクションが、独禁法適用除外外しを避けるために全農の弱体化を図る方向に作用したとみる。報告書は 「全農の改革は『農協改革の試金石』」と位置付け、単協の直接取引の促進、全農の代金決済業務等への特化を強調している。このような連合会機能や系統共販の弱体化、全農事業の子会社化等がほんとうに経済事業改革になるのか。
◆信用共済分離と部門別収支
もう1つのリアクションは、信用・共済事業の分離を断ったことによるものである。その代わりに報告書は、信用・共済事業の収益がなくても成り立つ経済事業の確立(規制改革会議の「信用・共済事業がない状態でも経営が成り立ち」の鸚鵡返し)、そのため部門別収支を明確にし、赤字部門については廃止・事業譲渡・民間委託・分社化を図るとしている。それを受けて農協系統は自主ルールをつくり、生活関連事業にはとりわけ厳しい基準を適用し、赤字が続けば切り捨てを図るとしている。これでは裏側から信用共済事業の分離をするに等しい。
このような総合農協の弱体化・否定を導く事業分離の理論的支柱は、いうまでもなく部門別収支計算の徹底である。そのための共通経費の部門別配賦の技術論に問題が矮小化しているが、そもそも事業収益をあげるにあたっての部門間の相乗効果が無視され、それとの関連で共通経費の分割が本来的に困難なことが無視される。当面は農協法37条の履行ということだが、その真の狙いが独立採算制の強制、赤字部門の切り捨て、総合農協の否定にあることはいうまでもない。技術的に費用の部門分割や部門別収支の計算が可能か否かといった問題ではないことを肝に銘じるべきである。
◆農政代行業務目的の農協「改革」
では農水省は財界対応に明け暮れたのかといえば、農政独自の「改革」理由もあった。
農政は今回の米政策「改革」により、戦前来の食管制度をテコとする農協との一体的関係を清算できるようになった。そこでこれからは農協に行政代行業務をやらせないことを宣言したわけだが、実は行政ならぬ農政の代行業務の必要性は強まっている。
すなわち第1に、農地流動化、担い手育成、生産調整などいずれも農政は手詰まりで、農協、なかんずく営農指導部門にやらせるしかない。そこで「営農指導単独での収支を考える必要はない」としつつも、肝心の経済事業が赤字では、「信用・共済事業の収益を農業振興に回せな」くなるではないか。
第2に、農政は価格政策から撤退したものの、代わりになる経営安定対策は遅れ、農産物価格の下落を座視するばかりである。このような減収減益をせめて減収増益に転じるには生産資材価格の引き下げ、とくにプロ農家へのディスカウントしかない。
このような農政代行業務の押しつけのためにも、農政にとって経済事業「改革」が必至というわけだが、これまた経済事業「改革」に大きな歪みをもたらすものである。
農協が農政から自立し、農政運動にきちんと取り組むことなしに、経済事業「改革」の断行だけを叫んでも無理なことがわかる。
◆真の課題は現代組織への脱皮
経済事業は流通協同組合の事業の本命であり、その「改革」は組合員組織も含め農協の総体に及ぶはずである。
大会議案は、大会決議がJA段階まで浸透せず、JAグループ一体として取り組めなかったことを嘆いている。そして「組合員の負託に応える」「組合員の声を聴く」を強調している。あり方研究会報告は組合員、なかんずく担い手経営への「メリット還元」を連発している。
いずれも農協経営が組合員・消費者から一方的に「負託」を受け、一方的にメリットを供与する片方向的・請負的・恩恵的な関係として捉えられている。要するに自らを経営・事業と組織・運動との矛盾的統合体と捉える立場ではなく、たんなる経営・事業優先であり、かつ階層的な巨大組織における上意下達関係として捉えられている。
しかし、今日のグローバリゼーションがもたらしつつあるものは、「ばらける時代」、すなわち「まとまっていたものがばらばらになる」時代である。それは同時に組合員農家にも個人性の強まりをもたらす。階層別代議制で意思結集を図る巨大組織は、このような新しい時代に対応できず、ネットワークをコーディネートする組織への転換、そこでの双方向的なコミュニケーションの創造、代議制民主主義から参加型民主主義への転換を強く求められている。日本の農協組織はその最たるものといってよかろう。「組合員の声を聴く」という文言にそのかすかな自覚は感じられるが、双方向的なコミュニケーションへの志向にはほど遠い。
生協も含めた協同組合が当面する事業構造改革とは、このような現代組織への自己脱皮を図り、マンモス組織としてのサバイバルを追求することである。
(2003.9.1)