農業協同組合新聞 JACOM
 
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シリーズ みちのくを生きる女性たち 第6回
聞いて、つなげて、成り立たせる年
簾内敬司

浅野ミヤさん


浅野ミヤさん
浅野(アサノ)ミヤさん 1944年生まれ、59歳


 「どんなに書いて下さいってお願いしても書き渋っていた人が、やっと書いてくれて、その後ずっと後年になってから、あのとき自分の生活記録を書いておいてよかった、と言ってくれた時なんかは嬉しかったですね」
 ものを書く人たちではない「普通」の人たち。家庭や職場や地域で、普段着のままの生活者として生きて、働いて、暮らしている人たち。その目立たぬ暮らしのなかのひとコマひとコマにこそ、生活記録を綴ることの意味があった。
 だが、近年、家庭も職場も地域も、没個性になった。現状をありのままに記録するだけでいいとは言っても、言葉が時代の変化についていけない。記録する意味がなし崩しに淘汰されてしまったのではないか。時代変化の激しさや、画一的な社会状況の訪れによって。浅野ミヤさんはここ10年ほど、いやもっと前から、そんなことを感じていたと言う。
 ある生活記録サークルの雑誌が、いま第49号の原稿を募集している。特集予定は「村の昭和・私の昭和」、そして「食糧・農業・農村」。
 生活現場からの丹精をこめた記録を心がけて、年1回の発行をまもってきた。来年の50号で〈第1次終刊〉が決まっている。1957(昭和32)年に創刊号が出てから、来年で47年になる。雑誌の名前は「秋田のこだま」。ミヤさんは1990年の38号から発行元を引き受け、編集作業に取り組んできた。
 秋田県山本郡二ツ井町の定時制高校の教師と卒業生たちに端を発し、県北地域一円に根を張っていたサークルだった。「岩手の保健」の大牟羅良や「岩手県農村文化懇談会」の石川武男らの影響もあった。
 この地域で「秋田のこだま」の名を不朽にしたのは、『戦没農民兵士の手紙』(1961年、岩手県農村文化懇談会編、岩波新書)の蒐集活動だ。葉書224通、手紙5通、日記2冊を集めた。めざましい活動だった。
 60年代を境に、それまで活況を呈していた地域の生活記録運動やサークル活動の波が引いていき、消えていった。「こだま」はしぶとく生き残った。
 ミヤさんは66年に参加した。能代の労働基準監督署に勤める22歳。生家は青果小売業。6人きょうだいの4番目の次女。すでに姉が「こだま」に参加して、ガリを切り、雑誌づくりをしていた。そんな姉や、労働組合運動の話をする次兄の影響もあった。
 「労演」「労音」「うたごえ」など、連日出歩くようになった。親の意見には、「古い、封建的」と何度言い返したか知れない。特に父親との対立は、冷淡になるほど激しく、深くなっていった。
 サークル発足当初から中心的メンバーである畠山政治氏は言う。
 「ミヤさんの原稿集めの視点や感性は、きわ立っている。ミヤさんならでは、というものが確立されている」
 ミヤさん自身は「畠山さんの助手でいいと思っていた」が、結局は、ミヤさんのもとに発行元が自然にころがり込んできた。それを黙って引き受ける器量もまた、あった。
 ミヤさんは地域のさまざまな集まりに顔を出す。その場で「読んでみませんか」と雑誌を手渡しで売りつつ、同時に生活記録の新しい書き手を探す。そうしたなま身の動き方や接し方でなければ、なま身の声もまた、探り当てることなど、できない。ミヤさんの雑誌づくりの原則だ。
 日本海の海べりの街である能代市は、「風の松原」という長大な海岸砂防林で名高い。「21世紀に残したい日本の自然百選」の1つだ。2年前、「風の松原に守られる人びとの会」が組織された。110人ほどのボランティア会員を擁する。その仕掛人の1人がミヤさんだった。強烈な思いがあった。
 ミヤさんの父親仁三郎さんは、平成2年に亡くなった。享年82歳。ミヤさんは生前の父親とは折り合いがつかず、ろくに口もきかなかった。だが、貧しい漁師の家に生まれ育った仁三郎さんは、「風の松原」に愛着を抱いていた。松原の落とし子のようだった。そう思うと、自分もまたそのようではなかったかとミヤさんは思い当たった。
 少女時代は「風の松原」で遊んだ。嫁いで、いま住んでいるところには、かつての営林署の苗圃があった。膨大量の松の幼樹を育て、植林して、松原をつくった人びとが、老いたりとはいえ、まだ生きていた。
 ミヤさんは父親と娘の自分が、「風の松原」によってつながっているのを感じた。生涯のテーマだと思った。仁三郎さんの死の翌年から、ミヤさんは地元の古老たちを訪ね歩き、「風の松原」の聞き書きを開始した。
 古老たちの話は「秋田のこだま」に発表した。松原の植林作業の古い写真を探し出すと、写真展も開催した。そうして4年前、「秋田のこだま」叢書として『私たちの風の松原物語―語りつぐ能代海岸砂防林の近代―』をまとめた。
 聞いて、つなげて、成り立たせる。それが「こだま方式」だとミヤさんは言う。その具体的成果でもあった本書の一節に、ミヤさんは次のように書いた。
 「いくら反抗しても交わり合わなくても、父と娘は後谷地の松林の同じ道を歩き続けた仲間だったのだ」
 かつて砂にまぶれて働いた人びとの、埋もれていた「声なき労働歌」の発掘作業だった。この地域を生きたある一家の、父と娘の合作とも言うべき見事な生活記録でもあった。

(2003.10.27)



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