■子どもと女性に元気を与える
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いしだ・まさと 昭和39年飯山市常盤農協入所、飯山市農協生活課長、生活部長、生産部長を経て、62年参事、平成3年いいやまみゆき農協参事、専務理事を経て、10年代表理事副組合長、11年北信州みゆき農協代表理事組合長、13年長野県農協中央会理事、信連・厚生連経営管理委員、全農長野県本部・全共連長野県本部運営委員。 |
森澤 JA北信州みゆきは、「JAの元気が地域の元気」をモットーにJAが地域をリードするという理念のもとに多様な活動に取り組んでおられます。地域と密接に連携した協同活動の原点をふまえた取り組みとして、今や全国のJAの牽引的な役割も発揮していると思います。こうしたJAの姿を築くまでに組合長としてもっとも心がけてきたことからお聞かせください。
石田 今、農業も農村も元気を失ってきています。その原因はなんだろう、どうしたら元気が出てくるのか、ここに一つの視点を置きながらこれからの農協運動をどうつくるべきかを考えてきました。また、私の農協運動の持論は、「足で稼いで心でつなげ」ということです。立派な座右の銘ではありませんが、これを自分にいつも言い聞かせながら農協運動を起こしてきたつもりです。
農村の元気ということでいえば子どもは元気なのかどうか。真っ黒に日焼けしていつも服が泥につかっていて、そしていつも笑い声が甲高く出る、これが農村の子どもなんですよね。おかあちゃんたちだって、畑の帰りにちょっと立ち止まってみんなで集まって話し合う、これも農村の姿だと私は思う。お年寄りのずっとがんばってきたんだからやはりいつも笑顔がある。こんな農村に何がなんでももういちどつくり直してしていかなければいけないというのが思いだった。
そこで農協としてどんな役割を果たさなければならないのかを考えて具体化したのが、たとえば子どもたちを対象にしたJA小学校「あぐりスクール」です。
子どもたちにはすごく変わりましたね。それまで親も地域の大人も見えなかっただけで、勉強していればいいというような育て方のなかでかなりストレスを感じていたんだと思います。子どもたちは実に順応性がある。一年間のあぐりスクールを卒業すると、本当に子どもたちに元気さを感じるんですよ。
同時に自然の力とはすごいものですね。癒す力、いろいろ教えてくれる自然の力、こうした自然に恵まれていることに農村社会が気づかないで子どもを育ててきたのではないか、「あぐりスクール」は早くそれを取り戻して元気な子どもを育てようということなんです。
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もりさわ・しげお 昭和24年生まれ。茨城大学農学部畜産学科・農学研究科卒。昭和49年JA全中入会、水田農業課長、人事課長、広報課長、総合企画部次長を経て、平成10年組織対策部長、12年組織経営対策部長、13年監査部長、14年JA全国監査機構・全国監査部長、営農地域振興部長。 |
それから、家庭のなかでもおかあちゃんが元気にならないと子どもが元気にならないんですよ。おかあちゃんが病気になると子どもも一緒に病気になってしまう。そういうことにならないように母親たちに時代を十分に知ってもらって女性として何をやるべきか、どう責任を果たすか学ぼうということから始めたのが3年前に立ち上げた「JA女性大学」です。
参加するのは20代から40代の母親たちですから、まだ小さな子どもを抱えている。だから女性大学を開設したからどんどん参加して勉強しようといってもだめですから、十分に安心して勉強できるように女性大学がある日は農協独自の保育園を開くことにしました。
先日、2年間の勉強を終えた女性たちにしっかりと卒業証書を手渡しました。みんな感想文を書いてくれましたが、この機会に農業、農村、集落で果たす女性としての役割も分かってきたという声も聞かれ、私としてはよかったなと思っていて、「女性たちが農業の元気、農村の元気を」つくる源のひとつになっているんじゃないかと考えています。 森澤 あぐりスクールなど年間を通して学習の場を運営している例はほとんどありませんね。職員にも変化が起きていますか。
石田 講師を職員が務めますから、それは責任重大です。子どもにきちんと教えるとなると自分もしっかり勉強する。テキストに「ちゃぐりん」を使う時間もあります。じっくり読み込むし、うまく説明するために自分なりに他の資料などを調べて準備していますよ。つまり、教育することで自分も教育される。これも新しい意味が出てきたと思っています。
■心でつないだ成果が農業を復興させた
森澤 農協というのは人の組織であるわけですから、まさに人の組織であるがゆえに、農協として人に元気を持ってもらおうではないかと子どもと女性に対して多様な取り組みを展開しているわけですね。それによって農業も農村も元気になる。つまり人の元気と農業、農村の元気というのが車の両輪のようにお互いが回っていくような取り組みだと思います。
そこで今度は農業の元気という面での取り組みをお聞きしたいのですが、豪雪地帯であり中山間地域も抱えているなかでとくに力を入れてきた点は何でしょうか。
石田 私たちの農協はけっして大きな農協ではないのですが、やはり基盤は農業なんです。ですからこの地域としてできる農業の基盤づくりをしっかりしていこうと、5年間かけて日本一のグリーンアスパラ産地をつくろうとしてきました。それは豪雪を逆手にとって日本一の産地づくりをしようということでした。
私たちの地域では春になるとわずか20日間で2メートル、3メートルも積もった雪がいっきに消えていきますが、そのとき自然の養分を吸った雪融け水が畑のなかにどんどん浸透していくわけです。そして一挙に温度が上昇する。まさに大地を溶かすというような光景のなかで、一斉にアスパラが芽を出すんです。そうすると雪の水を吸っているだけに一晩でもすばらしい成長をしますから、どこよりも味のおいしい、柔らかいアスパラになる。「これだ、ということで取り組んだわけです」。
今、見渡す限りのアスパラ畑が広がっていますが、もしアスパラに取り組まず、他の作物だけだったなら、ほんとんど産地としては崩壊していたと思いますね。農協の事業としては育苗施設を作り、苗代も助成するというかたちで普及を図った成果でもあると思います。
それから冬季の産業を作り出そうと、「きのこ産業」づくりにも取り組みました。今、きのこの総合産地と言っていますが、エノキ、シメジ、なめこなどすべてのきのこを作っているこれも日本一の産地だと思っています。
もちろんきのこはこれから中国産との競争にさらされますが、安心・安全を提供していけるきのことして販売していく方針です。アスパラは年間20億円、きのこは80億円という規模ですが、ここまでになりました。
その根本は、先人のみなさんが苦労してつくった田畑を「農業事情が悪いからといって、荒らしていいのか、何が何でも責任を持って作って次の子どもに渡すという責任があるんだ」ということですね。これを放棄したら責任をまっとうできなかったことになるわけです。その責任は生産者、組合員だけでなく農協にもあるということです。
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それから今、いちばん課題になっているのは水田農業ですが、これはまさに日本農業をどう守るかということを考えることだと思います。そのなかで今、私たちの地域では集落営農を立ち上げています。基本的には家族農業が大事なわけですが、高齢化がどんどん進んでもう家族だけでは作れなくなる。一方、個人がそれぞれ何百万円もする農業機械を導入して農業をやっていくといっても、今の米の価格では経営的にはとても成り立ちません。
そこで農協としては集落営農をしっかり組み立てようと、田圃はみんな農協に一旦預けてもらい、農協が責任をもって管理して担い手に生産してもらうという水田農業をめざしました。もちろん理解を得るのは苦労しましたが、100ヘクタールをまとめ、それを利用するという成果が目に見えてくると、ほかの集落でもこれが将来の水田農業の姿かという理解につながってあちこちに集落営農をつくろうという動きが出てきました。これがあれば、いろいろな問題があっても先人がつくってくれた大切な田畑を組合員と農協が一体となって守っていける。
なによりも若者の就農率が上がりました。今までは村の外に仕事を求めて出ていっていまい過疎を招いていたわけですが農村に元気が出てきた。これが最大の成果です。
■運動の視点忘れずに経済事業改革を
森澤 さて今度の大会では経済事業改革が課題となっていますが、どうお考えですか。
石田 経済事業ということだけにとらわれては改革はできないと思いますよ。農協運動とは心で結びつく運動でそれがあれば強い。運動は止まってしまったら運動ではありませんから、新たな運動を起こすことによってそこから経済事業も生まれてくる。そう捉えるべきだと思います。
今年のスローガンは「あふれる熱き心で志をもち勇気をもって使命を果たして日本一の地域づくりに挑戦しよう」です。農協というのは組合員にいつも顔が見えていなくてはいけない。農協運動の旗は周囲の風でひるがえるのではなく、自らが絶えず振ってたなびかせていなくてはならないということです。
森澤 石田組合長は趣味などはありますか。
石田 協同組合運動と農業です(笑)。それは冗談としても若いころからマラソンと登山をやってきました。足なら負けねえぞ、と思っています。足で稼いで心でつなぐというものそういう体験から思いついたものです。
森澤 どうもありがとうございました。
(インタビューを終えて)
このインタビューのあった日の夕方、都内の飯山市東京事務所で、再度、石田組合長にお会いする機会があった。全国で初の立ち上げとなった「飯山市ふるさと回帰支援センター」が、政府・JA・マスコミ関係者等を招いた意見交換会の場である。飯山市の方からは市長、JA関係者が上京していたが、石田組合長はここでも「地域の熱き思い」を語っていた。
JA北信州みゆきは、長野県の豪雪地帯にあって、いわば相当な条件不利地域も管内に抱えているが、それを逆手に農業振興や地域振興に先進的な活動を次々と展開し全国をリードしている。こうした活動の礎として、石田組合長は「地域の“人”を元気にすること、それが農業・農村・JAの元気につながる」との信念をもっている。子ども達を対象とした「あぐりスクール」や女性を対象とした「JA女性大学校」もそうした考えから生まれた。
今日、JA運営を取り巻く環境変化の中で、JA改革やJA運動の結集軸を何に求めるか悩んでいる組合長さん方に、原点に立って地域をリードしている石田組合長のJA運動に対する信念と実践は多いに参考になると思う。
石田組合長はJA運動40年以上の経験と実績をおもちであり、「足で稼いで心をつなげ」をモットーに、獅子奮迅の活動をされている。マラソンや登山が趣味とお聞きしたが、元気の源泉はこのあたりにあるのかも知れない。(森澤) |
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