農業協同組合新聞 JACOM
   

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シリーズ・農地の産廃投棄問題を考える

宝の森、命の農地を守れ! 地域住民の力実る産廃問題
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 本紙は昨年、「日本一のニンニク産地が日本一のゴミ捨て場になった」と題したレポートを掲載した(15年7月14日号)。にんにくの産地、青森県田子町から岩手県にかけての山林と農地がわが国最大の82万立方メートルもの産業廃棄物で埋められた事件の現場レポートで住民組織が廃棄物の全量撤去を求めて運動していることを伝えた。
 一方、昨年の同じころには和歌山県の熊野地方の森が廃処理業者に売却されるという話が持ちあがっていた。和歌山のこの問題は住民の運動の結果、無事に保全されることになった。
 今回は昨年、和歌山県で起きたこの問題について作家の宇江敏勝さんに寄稿してもらうとともに、青森県の産廃問題のその後について紹介する。

熊野古道の環境保全を願って 和歌山県・中辺路町からの報告 作家 宇江敏勝氏

宇江敏勝氏
宇江敏勝氏

 ここは熊野古道(和歌山県中辺路【なかへち】町)のそばの小高い丘の上である。ほんの数ヵ月前に騒動のもととなった大畑山が数百メートル向こうの下方に見える。ひとすじの谷川(日置川【ひきがわ】支流)が蛇行し、まわりは杉と檜の植林で青黒い。また山にかくれて直接は眼に入らないものの、5、600メートル北寄りの盆地には古くからの熊野詣の宿所である近露【ちかつゆ】の里がある。その大畑山が大阪市内の産業廃棄物処理業者に売られようとしていたのだ。
 大畑山は中辺路町内の近野【ちかの】振興会が所有していた。振興会は近野地区に在籍する約300戸を会員とする教育社団法人である。1500余ヘクタールの森林を経営し、そこからの収益を医療補助や奨学金など住民の社会福祉に役立てるほか、学校を建てたり道路をつくるなど町の行政にも負担金を出してきた。

◆木材価格の低迷で借入金ふくらむ

 いっぽう広大な森林の人工造林や林道建設の資金をまかなうために、金融機関からの借入金を受けた。もちろん木材を売って返済するという計算に立ってのことで、20数年前には元利総額で5億円近くもあったという。その後に木材が期待した値段で売れなくなると、社会福祉事業などは極力きりつめて、借入金の返済につとめてきた。
 一昨年度も木材と小学校跡地を売却した代金6384万円(以下端数は切捨て)をそっくり返済にあてている。それでも平成15年3月の時点で、借入元金7795万円のほか、約定利息(平均年利息3.5パーセント)1231万円と、遅延損害金(利息14パーセント)8510万円、および手数料など合計1億7544万円があり、平成15年6月までに支払わねばならなかった。

◆世界文化遺産として登録が有力視

 振興会の理事会ではたびたび討議し、賛否両論はあるものの、大畑山のうち40ヘクタールを1億8000万円で産廃業者に売ることにした。それは5月24日の会員総会で最終決定の見込みとなり、いっぽう業者は焼却炉と埋立処分場をつくる事前調査申請書を県へ提出した。
 驚いたのは地元住民だけではない。県も町も敏感に反応した。なにしろ文化庁から「歴史の道」に指定されている熊野古道のすぐそばである。さらにユネスコの世界文化遺産として、平成16年度の登録が有力視されている。産廃処理場がつくられたならば、景観破壊やイメージ低下の損失ははかり知れない。もちろん住民におよぼす健康被害も重大、そこで中辺路町は大畑山全体約72ヘクタールを1億円で買って「町民の森」として保存したい、と振興会へ申し入れた。
 だが、1億円では借入金の金額は払いきれない。残金については山林の差押えか、あるいは会員が何十万円かずつ払うことになるかも、とふれまわる推進派の理事もいるという。どうしても業者に売りたいらしいのだ。
 24日の総会へ向けて、住民の反対運動がおきた。13日には会員の3分の1、約100名の有志が集まり、地元診療所の医師の話も聞いて「熊野古道付近に産廃処理場をつくらせない会」を設立し、10人の世話人も選んだ。代表の私を含めて住民運動などは経験のない連中ばかりである。

◆産廃には売らないの声実る

 さっそく署名活動、3日間で住民の8割にのぼる554人に名前を書いてもらって、県知事と町長に申請書を渡し、振興会には山林を売らないように申し入れた。歩調を合わせて下流の漁業組合や自然保護団体なども声をあげてくれた。
 ビラも戸毎に2回入れた。はじめは借入金をなくするには産廃に売るのも仕方ないと言っていた人々も考えを変えて、私たちに向ける眼が輝いてきた。手応えはじゅうぶん、念のため当日は欠席するという会員の委任状(議決権がある)も数十通あずかった。
 新聞やテレビも取材に来た。とくに田辺市の地元紙『紀伊民報』はいろんな角度から毎日のようにキャンペーン記事を書いて、住民の関心を大いに高めてくれた。
 24日の総会当日は、農協女性会の数十人が「産廃には売らないで」と書いた鉢巻をしめ、幟を立てて入口付近でビラを配ってくれた。
 そして午後1時からの総会、冒頭に理事会長は、大畑山は町に売る、産廃には売りません、とこれまでの方針とは大転換の発言をして、会場を唖然とさせた。あまりの反対運動のもりあがりに、ついに観念したのである。付帯して、「振興会の財産は産廃業者などへはいっさい売らない」旨の決議も満場一致の拍手でもって採択された。
 総会が終わり、私はポンコツの軽トラックで家路についた。近露の里では、緑の山々に囲まれた盆地の真ん中を川が流れ、川にまじわるように熊野古道が通っている。こんなに静かで美しい里を産廃などに汚されないで本当によかった、とふかい安堵感がこみあげてくる。これからは世界遺産の里としていっそう輝くのだと、誇らしい気持ちでもあった。

◆産廃問題は地元の行政が責任をもって

 その後、振興会では大畑山を中辺路町へ売却するとともに、金融機関と交渉して約8500万円の遅延損害金の免除を条件に、借入元金と約定利息の完納をはたした。
 なお、業者はその後も近隣の町村で土地の取得に奔走しているが、地元住民のガードは固くてどこも成功していない。
 それにしても産業と生活の廃棄物処分はさけて通ることのできない問題である。現在はほとんど他府県の処分場へおくっているものだが、ついては地元の行政が責任をもって関与すべきだとして、和歌山県南部の市町村のあいだで「紀南地域廃棄物処理促進協議会」を設立、対応を急いでいるのもわれわれの運動の成果といえようか。


10年かけて現状復帰 地域の農業振興策づくりが課題―青森・岩手の産廃問題、その後

「田子の声100人委員会」の中村忠充会長
「田子の声100人委員会」の中村忠充会長
 青森・岩手両県にまたがる森に不法投棄された産廃の量は82万立方メートル。このうち青森県田子町側には67万立方メートルが埋められている。面積では11ヘクタールに及ぶとされる。
 不法投棄された産廃の出所は、摘発された業者が埼玉県の業者だったことが示しているように、運び込まれたゴミの大半は都会から。9割が関東からだった。
 住民組織「田子の声100人委員会」の中村忠充会長は「これは社会の構造的な問題。都会のゴミは地方に押しつければいいというエゴではないか」と昨年の取材時に強調していた(検証・時の話題「ルポ 産廃投棄 青森・田子町」参照)。
 ただし、ここまで問題が大きくなったのは、田子町に農地を持つ産廃処理業者、三栄化学工業の経営者が自らの故郷を食い物にしていることに、農地の転用許可権限を持つ県行政が早くから対応できなかったことが原因だ。中村さんたちも町も、県が責任を認め、まず現場からダイオキシンなどの有害物質が漏れないよう廃棄物を囲い込み、さらに全量を撤去するよう求めていた。
昨年、知事就任後の7月6日、現場を視察した三村申吾知事(写真右)
昨年、知事就任後の7月6日、現場を視察した三村申吾知事(写真右)
 昨年6月に当選した三村伸吾知事はレポートした時点では対応を明確にしていなかったが、8月に「全量撤去」方針を打ち出す。そして昨年11月、今後10年かけて現状復帰する基本計画を示した。
 「行動すれば山が動く、が私たちのキャッチフレーズです。ようやく山が動き出したなという感じです」と中村会長は話す。
 今、現場では一部の区画で産廃を覆うキャッピング作業が始まりいずれ全体にひろげる。また、現場からの浸出水の処理施設の工事も始まる。浸出水処理施設は17年度初めに試運転を始める予定だが、稼働までの間は仮設浄化プラントを設置する。
 産廃の撤去にあたっては、まず18年度までに現場から汚染された水が漏れないよう周囲に壁を完成させたあと、19年度から本格的な撤去を開始。完了は平成24年度としている。また、汚染土壌についても掘削して分析したうえで撤去することになった。
 中村さんは、「全量撤去の実現に向けてねばり強く交渉してきた結果。手応えを感じている」という。
 ただし、積み残された問題もある。
 ひとつは撤去工事期間中の風評被害対策と人体被害対策。工事によって危険な産廃が山から積み出されるため、地元住民が安心して暮らせる対策が必要だ。
 もうひとつは地域振興対策だという。
 「10年後の自然環境の再生と同時に、地域の農業、文化など幅広い視野で対策を立てることを住民は求めている」と中村さん。
 知事は2月中に基金の創設も含めた地域振興対策を打ち出すことを先月表明した。
 「この町の中核はやはり農業。私も土や水を守ることにこだわってきた。将来も農業に夢が感じられるよう若い農業者の考えを尊重して農業振興を図るべきだと思っています」。
 10年後をひとつの目標に再生への歩みが始まっている。 (2003.2.13)


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