―日本にも迫られる欧米中心からの転換―
◆「中国発デフレ」から「中国特需」へ
|
ごみ ひさよし
1945年3月長野県生まれ。1973年東京大学大学院経済学研究科単位取得満期退学、立正大学経済学部に勤務。1980年より立正大学経済学部教授、中国華東師範大学国際商学院客員教授。博士(経済学)
中国を基軸とするアジアの新産業革命とそれを基盤とする産業構造・金融市場構造の研究と留学生の教育にあたっている。2000年以降の中国経済の展開についての近刊を批評社から予定。著書『グローバルキャピタリズムとアジア資本主義』(批評社)
|
中国製品輸出が世界にデフレを輸出すると言う「中国発デフレ」は1年前までのことで、中国の素材・電子部品などの輸入増が「中国特需」と評価され、中国経済ハードランディングの世界経済への影響が懸念されている。中国輸出増による製品価格低落と急激な輸入増による原材料価格の上昇の並存である。先端のITから自動車まで含んで加工組立産業の巨大な集積空間となった中国は、1990年代のIT革命以来展開する世界的な産業ネットワークシステムとアウトソーシングの行方、ひいては21世紀の世界産業動向を左右する存在となった。
「中国特需」は、高速道路総延長が2002年末2万5100kmと前年比5700kmの増加に代表される活発なインフラ投資や設備投資、住宅投資の結果である。
中国は、2003年の輸入総額で日本を上回った。物流は、世界でもっと発展力を持つ中国巨大市場(12.8億人の中国と比較すれば、4.5億人のヨーロッパも2.8億人のアメリカも小さな市場に過ぎない)の影響力拡大をもっとも端的に表現する。輸入急増による世界市場の素材価格と海運価格などの大幅な上昇(中国の2003年の鉄鉱石輸入年間増加分輸送だけで8万トン以上の大型貨物船新規供給量をそっくり吸収)は、中国市場の物的規模の巨大さと、それがGDP(都市部でも月800元で基本的な生活ができる国内物価水準と世界市場貿易関連商品の物価水準はまだ大きく乖離)では測れないことを示す。
◆中国経済発展の動力は中国市場の過当競争
中国市場の急展開の動力は、戦後日本経済の高度成長時代にあった「川鉄の敷地にぺんぺん草を生やしてやる」式な政府の統制を撥ね退けて行われており、日本企業をかつてしごき上げた(多くの現役世代にとっては過去の)ものとまったく同質な企業集団間および地域経済間の過当競争である。この企業間の過当競争――中国国内市場のシェア分割をめぐる設備投資合戦――こそが、中国市場資本主義の健全性と発展の活力を担保している。
したがって、「中国発デフレ」は、過当競争による価格競争の結果であるとともに、1990年代初頭の企業会計制度改革以来の中国企業改革(国有企業の株式会社化による法人化・民営化)およびそれと表裏一体をなす金融改革(中央銀行と商業銀行との分離と国有企業に対する不良債権の整理)の結果である。中国の産業構造は、1990年代に日本と対照的に現代ディジタル産業に適合するネットワークシステムへと変化を遂げた。
◆中国・アジア資本主義の台頭と欧米資本主義時代の終焉
中国には膨大な生産設備が集積中である。中国鉄鋼・アルミ・セメント産業の固定資産投資は、2003年それぞれ前年度比96.6%、92.9%、121.9%と増加し、世界消費量に占める比率をそれぞれ27%、19%、40%とした。鉄鋼生産では、新日鉄の年間生産量相当の約3000万トンづつ鉄鋼生産が増加し、2003年に前年比21%増の2億2012万トンとなった。2004年に世界の鉄鋼生産量の約4分の1を生産する中国に、日本・韓国・台湾――中国の沿海部鉄鋼業と同質の臨海型で鉄鉱石は同じ豪州やブラジルから輸入している――を合わせれば、世界の半分近くの鉄鋼生産設備が中国周辺に集積する。石油精製・石油化学産業の中国本土への設備建設も進行している。
現代の先端産業であるIT産業の中国への急速な集積は、1990年代後半以降とりわけ2000年以降進んだ。これらは、先進国産業の中国本土・アジアへのオフショア化(米・欧・日にとっての産業空洞化)の進行を意味する。
こうした中国産業のネットワーク的集積は、1965年以後の日本経済と同じく国内で休戦が成立すれば、世界市場に対する輸出力へと転化し、世界市場の編成を変える(最大の被害者はEU?)現実の動力となる。したがって、1990年代以降のIT産業のグローバルネットワーク化は、アメリカ資本主義時代を終わらせ、総じて19世紀のパクスブリタニカ以来の欧米資本主義時代を終わらせ、中国・アジア資本主義時代を登場させている。
◆不良債権処理が示す中国経済の開放性と国家の弱さ
巨大化した中国市場経済は、市場経済の現実に追いつく法的制度的再編の仕上げを行わなければ、もう一段階の飛躍ができない。
日本で強調されている中国金融改革の遅れの中心は、積極的かつ大規模に多面的事業活動を展開してきた地方と地方所在国有商業銀行支店の関係の整理(日本でいえば第三セクター不良債権と地方銀行の金融危機との関係)にあり、弱体な北京政府(実体は地方利害の連合体)にとって容易な事業ではない。世界的な華僑資金に対して早くから開放されている上に国際収支黒字国である中国は、強硬な金融引締めを実現できないし、もし引き締めても部分的にバブルとなっている住宅・不動産部門にしか効果がない。
実体的根拠を持つ地方インフラ建設と関連素材産業の設備投資は、金利に対して鈍感である。経済拡張の中で優良企業と駄目企業に両極分解した国有企業処理の課題を進めることは、停滞中の日本の不良債権処理より容易であろう。
◆地方インフラ建設の必要性と地方経済の自立性
中国の地方インフラ建設が発展する根本は、地域産業集積内部のネットワーク作りの必要性にある。中国の国家財政規模は、2002年の財政収入1兆8904億元(GDP比18.0%)、財政支出2兆2053億元、国債発行に依存する財政赤字額3150億元(GDP比3.0%)と「小さな政府」で、1989年以来ほぼ中央3割地方7割の財政支出比率であり中央に金はない。
農業関係支出は、1998年大水害の年を例外に1995年以来財政支出の8%前後に止まり、高度成長時代の日本と異なって国が地方の農業予算を増やし農業機械化を促進する余裕はない。中国農業社会は、人口高度密集地域が平坦地に同心円状に広がり昔から商業適合的なネットワーク型社会であり、隣接地域の経済発展の真似をしないでは済まない。地方が自立的に動く結果として中国経済は発展している。
中国国家の表層の弱体化は、地方の自立性を高める。中国の強みは、現代の労働集約的IT産業にも適応できる読み書きと計算の能力を普遍的に有する安価な労働力を、科挙以来の画一的なしかし厳しい(理科系向きの?)教育体制の歴史的成果として、大量に持つことにある。
現代IT産業は、いわゆる「知識集約」産業ではなく、繊維・雑貨製造よりも忍耐と注意深さの必要なきつい「労働集約」産業である。そうした労働に耐えうる人材は、日本や韓国(両国とも理科系は出世できない)ではもはや失われており、中国でも沿海部都市の一人っ子世代では耐えられない。こうした労働力は、今の中国でも内陸部の農村にしかなく、現代IT産業はそこへ向かう。
◆日本産業が迫られる中国・アジアオフショア・ネットワークへの参加
日本産業が中国・アジアオフショアネットワークから現在外れているのは、欧米市場との関係が深かったためである。日本は人民元切上げを要求し、円・ドル相場を大量介入で押し下げ、純利益1兆円の8割を米国市場で稼ぐトヨタも中国市場進出を渋った。だが、日本IT産業はすでに二流となり、自動車産業もトヨタとホンダ(2004年に現代自動車に販売台数で抜かれる)が、近く日本の自動車生産量を抜いてアメリカの市場規模に迫る世界自動車産業の決戦場・中国市場で第一汽車等の中国国営企業との蛸足的合弁に依存するようでは危うい。
日本産業は、中国に生産量で追い抜かれる「チャイナクロス」を経験した。中国・アジアネットワークシステムに参加し特化した役割を果たし、中国市場に進出し中国化し中国企業となって生き残ると同時に企業が自己変革することは、欧米先進国にも共通する21世紀世界市場企業の基準だが、日本企業革命のスピードは遅い。
日本企業と日本社会は、無原則な金融財政政策に期待するだけで、産業構造の革命とそれに対応する企業革命を怠ってきたが、コスト高の日本産業は中国特需にいつまでも依存できない。結局、内弁慶の日本企業は、労働力の質からいって、中国・アジア産業ネットワークへの参加を強制されるが、そこで果たして生き残れるか。
◆ネットワーク・オフショア資本主義と基軸通貨なき時代の登場
欧米資本主義時代が終わり、アジアの国際通貨問題は、元・ドル・円の為替相場リンク体制で、円・ドル問題ではない。ドルが下がって困るのは、アメリカ市場中心に稼ぐ日本だけで、ドルは世界市場的基軸為替としての実質を失った。
1990年代のアメリカ産業の中国・アジアへの生産拠点移動・オフショア化の結果、ドルが裸で中国・アジアと結びつく米中相互依存経済関係となった。アメリカIT製品も新築住宅も、柱以外は中国製品(中国が天然林保護と退耕還林を進めているため、その原料は不法伐採されたシベリアや東南アジアの天然林木)になり、米国小売業売上高の約8%を占めるウォルマートの中国商品調達額が年間約150億ドルと対中貿易赤字の10%強を占め、ドル下落が輸出を増加させる構造では既になく、人民元切上げ要求は実は大統領選挙対策である。
世界は、先進国産業のアジアへのオフショア化(米・欧・日にとっての産業空洞化)を通して、基軸為替の不在の時代に入った。人民元は、アジアの地域的基軸為替の役割を与えられ、1997年のアジア金融危機までドルにペッグしていた東南アジア諸国の金融政策は、中国に連動を開始した。
日本の対中輸出は急増し、円がドル買いによる9000億ドル近くの外貨準備(死に金とドル下落リスク)を抱えて人民元とドルの間を動揺しても、誰も本気で相手にしない。日本の客観的条件に対する日本の自己認識の遅れは、現実の危険を招いている。
◆アジアネットワークの基軸中国の自己認識の遅れ
中国の中央官僚行政機構は、これまた科挙以来の悪癖である公式論と上からだけ問題を見る発想法に縛られ、自分の経済的役割、中国経済の世界市場的地位を、自覚していない。
中国の農業研究者も例外でなく、中国農業を、多様性を持つ地域の具体的特徴に即して論じていない。中国・欧米のともに周辺部分にいる日本は、「超大国」を超える普遍性を持つ巨大中国の全体認識を、客観的に突き放して意味解析して行くべきであろう。 (2004.6.3) |