農業協同組合新聞 JACOM
   

シリーズ 財界の農業政策を斬る(4)

いま問われる農政改革の試金石
村田 武 九州大学農学研究院教授

◆農業に「構造改革」を要求
村田 武氏
むらた・たけし
 昭和17年福岡県生まれ。京都大学経済学部卒業。44年同大学院経済学研究科博士課程中退、同年大阪外国語大学(ドイツ語学科)助手、講師、助教授を経て、56年金沢大学経済学部助教授、61年同大学教授、平成10年九州大学農学部教授、12年より同大学大学院農学研究院教授。経済学博士。
 主著に『問われるガット農産物自由貿易』(編集、筑波書房、1995年)、『世界貿易と農業政策』(ミネルヴァ書房、1996年)、『農政転換と価格・所得政策』(共著、筑波書房、2000年)、『中国黒龍江省のコメ輸出戦略』(監修、家の光協会、2001年)。

 いま「基本計画」の見直しに当たって財界が提言する「農政改革」は、新自由主義を基礎にアメリカ的価値観を世界に押しつけるグローバリズムに対応した市場原理主義的経済社会の実現と国家の経済財政政策の「改革」をめざす「小泉構造改革」を後押しするものであろう。「提言」の基礎的考えを理解するには、1993(平成5)年に成立した細川連立内閣のもとでの首相私的諮問機関経済改革研究会(座長は平岩外四郎経団連会長)の報告「平岩レポート」(同年12月最終報告)に始まって、規制緩和、社会的規制の見直し、参入規制の緩和、「事前規制から事後チェックへ」を柱とする構造改革の大きな動きをふまえる必要があろう。今回の財界の農政改革提言が、そのような流れのなかにあるものであるだけに、「食料・農業・農村基本計画の見直し」のための議論を付託された農水省「食料・農業・農村政策審議会企画部会」の部会長と、財界の農政改革提言である日本経済調査協議会提言『農政の抜本改革:基本指針と具体像』(本年5月)をとりまとめた同協議会の調査専門委員会(瀬戸委員会)の主査が同一人物、しかも大学教授であることに、同業者の一人である私は唖然としている。 

◆食料自給率引上げは国民的願望

 BSE(牛海綿状脳症)の発生、急増した中国産輸入野菜の残留農薬禍等々、近年のわが国食料の安全性をめぐる問題の重大な社会問題化は、WTO(世界貿易機関)下の自由貿易体制に組み込まれ、急増する輸入農産物の価格破壊による深刻な農家の経営危機・後継者難とあいまって、心ある国民の大多数をして、国内農業の回復による食料の安定供給、したがって食料自給率の引上げ以外に「食の安心」は確保できないことを痛感させてきたのではなかったか。
 J・R・シンプソン教授(龍谷大学)の、「自給率40%ではなく、海外への食料依存度60%というのが正しい」という指摘(同氏著『これでいいのか日本の食料』、家の光協会、2002年刊)が国民の幅広い共感を得ている。また、食とエネルギーの「自給権」を放棄して「食の安全」は望めるはずがないし、同時に穀物を輸入することは貴重な水を世界から奪うことであり、「穀物自給」は国際貢献だという考えも国民的合意であろう(内橋克人『<節度の経済学>の時代―市場競争至上主義を超えて』参照、朝日新聞社、2003年)。
 私は、WTO体制に対応したわが国の農政転換の性急な市場原理主義への傾斜を何とか押しとどめたいと考えている。そこで、「食料・農業・農村基本計画」(平成12年策定)が、「基本的には、食料として国民に供給される熱量の5割以上を国内生産で賄うことを目標とすることが適当である」が、「実現可能性」などを考慮して、10年後の「総合食料自給率(供給熱量)目標を45%に設定する」としたことを良しとしたい。もし現行農政ではその目標達成に不十分であるとするなら、私は、この食料自給率問題、自給率数値目標にいかなる態度をとるかが、目下の農政改革をめぐる試金石だと考える。

◆経済同友会は自給率数値目標に反対

 この間の財界の農政改革提言は、この食料自給率についての国民的願望に応えるものでないことに、私は怒りを禁じ得ない。
 本年3月に発表された(社)経済同友会の提言『農業の将来を切り拓く−イノベーションによる産業化への道』は、この点では論外である。「構造改革を実現せずに自給改善を図るのは困難であり、現段階で食料自給率の数値目標を掲げるべきではない」と「基本計画」の根幹を切って捨て、「構造改革によって強い農業を確立することこそが、持続性のある食料自給の改善策である」という。しかし、構造改革がわが国農業の縮小再編ではなく、国内生産の拡大につながるという根拠はまったく示されてはいない。
 (社)日本経済調査協議会の提言『農政の抜本改革:基本指針と具体像』(以下では、もっぱらこの日経調提言を検討するので、単に「提言」とする)は、経済同友会提言のように食料自給率数値目標設定への反対を明言してはいない。しかし、結局は、食の安定供給の問題を危機管理対策としての食料安全保障政策にすり替え、内閣官房主導を提案するにとどまる。

◆「提言」が抱える矛盾―「改革心のある農業者」に期待するが

 「提言」では、「食料安全保障を支える食料自給力」という概念が登場する。「食料自給力のために農業経営があるのではない。逆である。農業経営が消費者に支えられ、情熱を注ぐにたるものであるからこそ、人と土地と水が確保され、その結果として食料の自給力も確保されるのである」という。ここで提言がいうところの農業経営とは、提言が提案する「新たな担い手経営支援策」の対象として絞り込まれた「改革心のある農業者」のことである。
 したがって、問題は、日本農業において、そのような「改革心のある農業者」だけで人と土地と水が、つまり「食料の自給力」なるものの確保、国内農業の拡大が可能かということである。この点で、「提言」は大きな矛盾にはまり込んでいる。
 第一は、日本農業の「水田アジアの農業」としての特徴に関わる。
 「提言」がWTOさらにFTA締結の動きにみられる「グローバル化」時代にふさわしい「アジアの世紀に生きる日本の農業」と将来の「共通農業政策のアジア版」構想を大胆に披瀝していることは問うまい。問題は、目下のWTO農業交渉やFTA交渉などの「国際規律の形成プロセス」に対するわが国の要求や提案に、「アジアとりわけ東アジアの水田地域に固有の要素」を反映させるべきだとしていることに関わる。この考えは、すでにわが国政府の農業交渉における「各国農業の共存」提案や、NGOの国際的共同運動のスローガンとしての「食料主権論」で主張されてきた議論であって、「提言」の専売特許でも何でもない。
 「提言」では、食料自給率の水準という点で先進国のなかで例外的な存在である日本は、水田農業をバックボーンに持ちながら先進国の仲間入りを果たした最初の国であるという歴史的事実と関わって、「中長期的な視野に立つとき、成長を続ける水田アジアの国々は、食料自給率の低下のみならず、高所得下の零細農耕というわが国農業と同じ構造問題にいずれも直面する可能性が高いのである」とし、「農業政策の国際規律に水田アジアに固有の特質を反映させることは、わが国の個別利害を超えた意味合いを持つと言わなければならない」という。国際規律のあり方についてはそのとおりだと考える。

◆「構造改革」農政では日本農業に展望は開けない

 それでは問いたい。そのような「水田アジア農業」のわが国の農政転換が、なにゆえに欧米型の構造政策、しかも欧米にはない中小農民排除のデカップリング型担い手経営支援策でなければならないのか(なお、「提言」が条件不利地域対策に関して、EUのそれは小農民を助成対象から排除しているとしているのは誤解である)。
 「提言」の期待する「改革心のある農業者」だけでは人と土地と水を守りきれないのが「水田アジア」の基本的特徴ではないのか。この問題を完全には無視できない「提言」は、「ターゲットを絞った政策が、政策の対象となる農業者とそのほかの農家の間に無用の軋轢を生むことのないように配慮する必要がある」、「しかしながら政策の対象外となった農家に対して、軋轢を回避するという理由から無定見な慰撫策を講じるようなことがあってはならない」と、老婆心からか、はたまた動揺する農政当局への叱咤激励か、そもそも排除の論理では農業改革は進まないのが「水田アジア」であることを知らないわけではないことを、「提言」ははからずも吐露しているのである。「担い手経営の支援策の対象とならないからといって、もちろんその農家の存在が否定されるわけではない。…健全な農村コミュニティは担い手農業者のみによって維持されるわけではない」などと、したり顔でそれこそ「慰撫」するのなら、「支援の対象を日本農業の牽引車に集中しよう」などという農政改革が、「水田アジア」の農村にとって非現実的かつ破壊的政策であることを自覚すべきである。  (2004.7.28)


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