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中島紀一 なかじま きいち 茨城大学農学部教授 1947年埼玉県生まれ、茨城県八郷町在住。東京教育大学農学部卒、東京教育大学農学部助手、筑波大学農林学系助手、鯉淵学園教授を経て2001年から茨城大学農学部教授、03年から日本有機農業学会会長。専門は総合農学、農業技術論、農業戦略論。
主な共著書:「安全な食・豊かな食への展望を探る−−食と農のよい関係をつくりたい」(芽ばえ社)、「有機農業−−21世紀の課題と可能性」(コモンズ)、「生協青果物事業の革新的再構築への提言」(コープ出版)、「有機米づくり」(家の光協会)。 |
◆財界農政提言の意図−グローバル経済の推進
基本計画見直し論議に照準を合わせて財界からの農政提言が相次いでいる。内容は文書によって多少の違いはあるが、おおよその論旨は構造政策の断行によって国際競争力の強化を図れという点で共通している。ここでは経済同友会の提言「農業の将来を拓く構造改革の加速−イノベーションによる産業化への道−」(2004年3月・以下「同友会提言」と略)をとりあげ、その意図するところ、提言論理の枠組、結論の妥当性などについて検証してみたい。
「同友会提言」の狙いは冒頭と末尾に端的に述べられている。
「わが国は、WTO交渉や、近年、積極的に推進しているFTA交渉においても、農業問題が障害となり交渉の主導権を握れずにいる。」
「わが国が、持続的な経済発展を遂げていくためにも自由貿易体制を積極的に推進していかなければならない。農業構造改革の遅れによって、国益を損ないグローバル社会において孤立するようなことを招いてはならない。農業の体質強化は、市場開放に対する最善の防御であり、また開かれた国際市場に向けた飛躍を可能にするものである。」
「我々は、経済のグローバリゼーションを推進するために、現在中断しているWTOのドーハ・ラウンド交渉を早期に再開し、所期のスケジュールでの合意をめざした関係国の努力を要請したい。」
要するにその趣旨は、WTO=グローバル経済の推進がもっとも大切であり、この提言は農業問題をその障害にしないためのものだということなのだろう。だが、グローバル経済のいっそうの推進は日本農業に壊滅的な打撃を与えるだろうというのが世論の常識である。そこで、農業構造改革を断行すれば日本農業はたくましく生き残れるとするこの提言によってこうした世論の常識を覆し、グローバル経済推進の障害を除去したいというのが経済同友会の意図なのだろう。
◆農業構造問題が最大のガンだという誤認識とのすり替え
では、グローバル経済の推進は日本農業に壊滅的な打撃を与えるだろうという世論の常識を覆さんとする「同友会提言」の認識はどんなものなのか。
それは日本農業の危機の最大の原因は日本農業が零細な農家によって担われており、専業的な大規模農家の展開が不十分な点にあるという農業構造問題論であり、そこから提起される日本農業の処方は大規模農家に農業資源を集中させるという農業構造政策である。
だが、この議論自体はなんら珍しいものではない。それは1961年の農業基本法以来の日本農政のもっとも普通の政策枠組みであった。農水省は現在もこの認識と政策を放棄していないし、今回の基本計画見直しでは、農政改革の名の下に再びこの政策を農政の前面に押し出そうとしている。だが、旧農基法40年の経過は、構造政策では日本農業の構造は大きくは変わらず、政策論としては破綻していることがすでに歴史的に明らかになっている。構造政策の歴史的失敗という認識は、1999年の食料・農業・農村基本法制定の一つのベースともなっていた。
日本農業の現在の危機は、日本農業が零細で国際競争力に劣るから生じたものではなく、端的には1985年プラザ合意以来の過激な円高とGATT・UR合意とWTO体制によるグローバル化推進のなかで海外農産物の雪崩のような流入によることはあまりにも明らかである。85年を100として02年を比較すると輸入農産物の数量指数は255で、逆に円建ての価格指数は45となっている。輸入農産物の大量輸入は、国内の農産物価格を引き下げ、国内市場を構造的過剰基調に固定してしまった。
この点を食料自給率(カロリーベース)でみると、75年は54%、85年は53%と横ばい状態が続いていたのが、85年以降再び急落が始まり、95年43%、98年40%となり現在に至っている。
こうした危機の状況を平成14年度の食料・農業・農村白書は農業の交易条件の悪化としてそれなりにリアルに抉っていた。90年から00年の農産物価格は約2割の下落で、農業資材価格はほぼ横ばいだったので、たとえば農業の所得率を約5割とすれば、この10年間に農家の農業所得は4割減ということになる。このような条件下で農業経営がたちゆく訳がない。
しかも重要なことは、このような経営危機は、主として農業で生計を立てている農家類型を直撃しているという点である。95年と00年の対比で見ると、総農家の減少は9.4%、自給的農家の減少は1.1%、主業農家の減少はなんと26.1%に及んでいるのである。また、販売規模別農家数の動向をみても95年から00年には1000万円以上層でも10.1%の減少をみている。離農率については15ヘクタール以上層は4.6%、5000万円以上層で5.0%とより小さな階層の農家より際だって高くなっている。いま日本農業は力の弱い零細経営の離脱だけでなく、背骨部分での深刻な崩れが広がっているのであり、平成農業恐慌と呼ぶべき解体的危機のなかにある。しかもそれは循環型の恐慌ではなく構造化されたグローバル恐慌なのである。
この過激なる農業危機の現状は、日本農業が零細だという一般論で説明できることではない。「同友会提言」では日本農業の平均経営規模は米国の1/123、イギリスの1/42、フランスの1/26、ドイツの1/23という数値を示しているが、こうした国別の経営規模の差がいまの農業危機を招いているのだとすれば、日本農業の存立条件はとうの昔から失われていたとするしかない。これは明らかに誤認識であり、さらには危機を直視しようとしないすり替え論理と言わざるを得ない。
◆農業産業化のアイデアだけでは農業再生はありえない
「同友会提言」ではこのような現状認識のもとに構造改革の断行を主張するのだが、構造改革の先に見える展望としては産業化された農業の夢が語られている。
それはたとえば農業の輸出産業化であり、加工・流通・小売・外食等との提携であり、ITやバイテク活用であり、有機栽培や品種改良による付加価値農業であり、野菜工場であり、観光・サービス産業化だという。新機軸農業のオンパレードのようだが実のところとりたてて新味のある提案ではない。この程度のことはわざわざ経済同友会から助言されなくても、農業内部ではすでに多くの実践がされている事柄ばかりである。いま求められていることは、農業恐慌のただ中にあって、単なるアイデア提案だけでなく、それらのことの現実的効果、進めるうえでの障害、予期せぬデメリット、持続展開の可能性等についての慎重な吟味であろう。しかし、「同友会提言」からはそうしたことへの配慮はほとんど読みとれず、耳障りの良い言葉の羅列以上のものとは受け取れない。
さらに重要なことは、「同友会提言」ではこれらのアイデアを農業の産業化の線上だけに位置付けていることの問題性である。たとえば、有機農業や地産地消でさえ付加価値農業、農業産業化の一例とされてしまっている。しかし、有機農業や地産地消は、商品経済化に抗して、農業や食の本来のあり方を取り戻そうとする草の根からの取り組みなのである。
農業や食べ物は単なる商品ではなく、その値うちはお金だけでは計れないという認識は20世紀という時代への反省として育ちつつある大切な国民意識である。新基本法の新理念の背景にもそれがあった。今日の農業危機への対策戦略は、農業産業化推進ではなく、農業は産業である前に農業であり、農業には農業らしいあり方があることを明確にし、その値うち感を国民的認識としていくことであろう。
農業恐慌への緊急対策が強く求められているが、それは弱い者は去れという恫喝ではなく、厳しいなかでも耕し続けている人々に声援を送り、耕す意思のある人々が耕し始める動きを広げることだろう。いま、仮に農業構造改革の呼びかけに応じて零細兼業農家が一斉に離農したらどうなるだろうか。それは日本農業と日本の食卓の崩壊となることは明らかである。規模拡大農家の経営危機はきわめて深刻で、緊急な経営支援が求められているが、それは農政支援の対象を規模拡大農家だけに絞り込むという選別政策などであってはならない。規模拡大農家も兼業農家も手を携えて、農業の本来のあり方を取り戻し、農業の値うちへの理解を広げ、消費者を農業の値うちの周りに引き付けていくこと、これ以外に今日の農業危機から脱していく道はあり得ないだろう。 (2004.9.9)