農業協同組合新聞 JACOM
   

シリーズ 財界の農業政策を斬る(8)
           
どうするのか 日本の農業

農の危機は財界のチャンス
先ア千尋 茨城大学地域総合研究所客員研究員・ひたちなか農協代表理事専務

 本稿のさしあたっての対象は、経済同友会の「農業の将来をきり拓く構造改革の加速」(同友会提言)及び日本経済調査協議会の「農政の抜本改革:基本指針と具体像」(日経調報告)である。フードシステム、担い手対策、農地制度改革など言及したいことはあるが、全面的な批判、反論は紙幅の都合でできないので、私の関心を引く個所に絞る。

◆NIRA報告の二番煎じ

先ア千尋氏
まっさき・ちひろ
昭和17年茨城県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。全販連、群馬県永明農協、水戸市農協、瓜連町農協、瓜連町長を経て現在ひたちなか農協代表理事専務、鯉渕学園、茨城県立農業大学校講師、茨城大学地域総合研究所客員研究員。著書に『農協のあり方を考える』(日本経済評論社)、『農協の地権者会活動』(同)、『よみがえれ農協』(全国協同出版)など

 同友会提言のサブタイトルは「イノベーションによる産業化への道」である。イノベーションという表現を見て、叶芳和氏と彼が関わったもう20年以上も前のNIRA報告書『農業自立戦略の研究』を思い出した。
 農業は先進国型産業である、日本農業の最大の病理は高価格だが、技術革新(イノベーション)と規模拡大、競争原理の導入によりコストダウンが図れる、我が国では1990年代にかけて4つの革命(市場革命、土地革命、技術革命、人材革命)が進行する条件が成熟する、という報告に対しては当時賛否両論が飛び交った。そしてその考え方は市場原理重視、国際協調型農政を基調とする前川レポートに受け継がれ、その後の農政の流れに大きな影響を与えることとなった。
 だが、叶氏が説いた4つの革命はその後実現しただろうか。期待したイノベーションは起きたのだろうか。土地の流動化は進んだのだろうか。農産物の自由化は大幅に進展し、世界最大の農産物輸入国になった(小泉首相の農業鎖国発言は論外である)が、安い外国農産物が大量に入ってきて、私たちの食卓は本当に豊かになったのだろうか。答えは否、である。
 確かに、私たちはお金を出せば、世界中の食べ物がいつでもどこでも手に入れることができる。しかし、食と農の距離が限りなく広がったことにより、食品産業では途中で何をやっても分からない、ばれないという企業倫理のまひを生み、BSEの発生、偽装表示、不当表示など食の安全性を根底から揺るがす事件が次々に発生したことは記憶に新しい。また、グローバル化の進展、安ければいいとする市場原理主義により、農業だけでなく、工業の分野でも海外進出が進み、モノつくりは海外にシフトし、国内には職場がなくなってしまい、リストラ、フリーターの増大など雇用問題が深刻化し、そのことは年金、医療、福祉などに、ひいては国家財政にまで大きな影響を与えている。大型スーパーやコンビニの進出は、それこそどこにもあった雑貨屋、豆腐屋、魚屋などを駆逐し、特に農村部ではくるまを持たない人達の生活を脅かしている。
 こうしたことの検証、反省なしに何故今再び「イノベーション」をふりかざすのか。
 同友会提言は、我が国農業を取り巻く環境変化として、経済のグローバル化の進展、少子高齢化の進行、食に対するニーズの多様化と高質化、化学技術の進歩を挙げている。しかし、我が国の農業は生産性が低く、担い手も減少、耕作放棄地が増加している、一方では規模拡大の動きも見られ、付加価値を追求する新たな努力も見られる、としている。そして、「今日の農業にとって最も大切なことは、イノベーションを実現する体質を培養することである」という方向を示し、市場メカニズムの活用、大規模営農の推進、農村社会の安定などを提唱している。さらに具体策として株式会社等の参入規制の撤廃・緩和、農地利用の効率化、技術開発の推進、顧客視点の生産・流通の実現、直接支払制度の活用などを挙げている。

◆農業では食べていけない現実誰が招いたか

 こうした考え方の基本は、直接支払制度などを除けば、先のNIRA報告とほとんど同じである。言葉は悪いが、二番煎じである。それにもかかわらず、財界サイドからの提言が相次いでいるのは、財政の硬直化が一層進んでいる中で、補助金漬けの農政を切り換え、農業保護コストの削減を図ること、川下サイドである食品産業、流通産業からフードシステムへ国内農業を組み入れること、農協を農産物、農業資材を農村マーケットからできうれば排除し、直接自らの市場に組み込むこと、ではないか、と私は考えている。提言は冒頭で「日本経済が低成長時代を迎えた今日、競争力の弱い農業は、消費者にも、財政にとっても大きな負担となっている」と率直に表明している。
 今村奈良臣氏は昨年秋のJA―IT研究会で、「もともと我が国は農の国。長男が農を継ぎ、二三男が都会に出て、今日の日本経済の繁栄をもたらした。いわば長男は守旧派で、次三男は改革派。外から田舎で兄貴のやっていることを見ていると、欠点がたくさん見えるので、注文をつけたくなるのだ」という趣旨のことを話していた。しかし、私は財界提言を読む限り、財界が農業・農村を丸呑みしたい、ということではないのかとの懸念を持つ。
 20年前の一連の提言の時と同じように、農の危機は同時に日本経済の危機であり、農政のかじを切り換えようとする強い意志を感じ取ることができる。そしてそれは例えば、最近出された食料・農業・農村政策審議会の中間論点整理の次のくだりに早速盛り込まれている。「イノベーションは、農業・農村の未来を切り拓く大きな可能性を秘めている」。NIRA報告の後の農と財界(農業関連企業)との関係を見れば、農の危機は実際には財界のチャンスだったのである。
 提言に対して次のことを指摘しておきたい。
 1つは、「経営マインド溢れる意欲に満ちた農家」をどう評価するか、である。日経調報告にも「農業者の意識改革を促し、創意と工夫を引き出すべき」「創意と工夫によって生産性の向上と新しい分野の開拓がもたらせるならば、それは国民の豊かな生活に貢献する」とある。確かに、いつの時代でも意欲に満ちた農家や篤農家は存在する。我が茨城県内にも優れた事例を見聞している。だが現状では、やはりそれは点でしかなく、今日では明治期の篤農家の民間技術が全国に普及していったようなこと、つまり面にはならない。過大評価は禁物である。農業者の意識改革の次元の話ではない、と私は考える。
 2つ目は、上記と関連するが、担い手の減少、高齢化、耕作放棄地の増大の真因は、農業では食べていけない、ということである。大半の農家が怠けてそうなった、ということではない。意識改革をし、努力すれば、農業で食べていける、ということにはならない。農と工とではあらゆる面で規模が比較できないほどの格差がある。また、産業としての農業に絞ってみても、内外の生産性格差を縮めるのは容易ではない。酪農に例をとると、日本とオセアニアとでは乳価は四倍も違うし、アメリカ、カナダとの比較でも2倍も違う。酪農家の努力でその格差をなくすことはまず不可能である。

◆評価できる農業環境政策。だが?

 日経調報告でそれなりに評価できるのは、農業環境政策の構築及び農村政策の新ビジョンである。深刻化する農業の環境負荷に対して早期に農業環境政策を構築すべし、その前提として情報開示を、農村コミュニティの変化を踏まえた農村政策を、中山間地域の保全・振興などは、項目としてはすぐに実施に移して欲しいことである。
 私はこれまで、疲弊した農業、農村社会の活性化を図るには、地域循環型農業への転換が不可欠である、と言い続け、私の手の届く所で実現のために努力してきた。農産物自給運動、学校給食、農産加工、直売所などがその中味である。また、長いこと有機農業運動にも関わってきた。
 その経験から言えることは、一貫して国はこれらのことに目をそむけ、ポーズとして環境保全型農業を進めているのではないか、ということである。例えば、有機JAS認定は市町村や民間の検査機関に業務を代行させ、厳しい指導をし、一切補助をしていないにもかかわらず、それよりも基準が甘い特別栽培農産物の認定業務は、都道府県が市町村を手足に使いながら実施していて、生産者はほとんど経済的な負担なしで行われている。また、全農の安心システムには国から支援があったと聞いているが、その支援を有機JAS認定業務に回せば、かなりの生産者が認定を受けるものと考えられる。さらに我が国の場合、JAS認定を受けても、せいぜい1割か2割高でしか売れないのが実態である。
 私の所属する農協管内は全国有数のさつまいも、ほしいも生産地帯である。以前は、さつまいもの後作として麦類が作付けされていたが、今日ではさつまいもを掘ったあとはそのまま(空畑)であり、春先は砂嵐が容赦なく一般住宅にまで襲いかかる。麦を作らないのは、ずばりもうからないからだ。私は、この問題は農業問題ではなく、環境問題である、と主張してきた。荒廃した山林問題も同様である。

◆がけっぷちに立つ農協

 私が現在関わっている農協について、同友会提言は「農業協同組合のあり方も問われている」としか言っていない。また日経調報告ではいささか場違いと思われる「農村政策の新ビジョン」の中に「岐路に立つ農協」が入っている。全体のトーンは拍子抜けするくらいにあっさりしている。
 私が見て問題だと思うことは、「農協改革を後押しする政策的な要素として重要なのが、購買や販売などの事業の面で、農協と他のライバルを公平な競争環境のもとにおくという原則を貫くことである」という文言である。農協という組織のよってきたるゆえん、組織原則に対する無知、というほかない。そして先ほども触れたように農協を農産加工メーカーや流通資本の元に組み込むか、存在そのものを排除したいという意志の表われである、と私は考えている。
 ところで全中は、25年前に発表した「財界・労働界の農政批判に対するわれわれの見解」の中で「対外経済摩擦を引きおこした貿易不均衡の発生は、重化学工業を中心とした輸出拡大路線にある。われわれは、異常なまでに輸出に依存した歪んだ経済体質を大胆に変革すべきだと考える。内需拡大を中心に、工業と農業とのバランスのとれた産業構造に転換させることこそ、経済摩擦解消の根本的な解決策である」と主張した。当時と同様に、全中は組織内のスタッフや研究者を動員して、理論武装を図り、財界提言に反論し、我が国農業の進むべき道を示して欲しいと願う。

(2004.9.22)

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