農業協同組合新聞 JACOM
   

シリーズ 財界の農業政策を斬る(1)

事実を学び現実的な提言を
梶井 功 東京農工大学名誉教授

梶井 功氏
かじい いそし 大正15年新潟県生まれ。昭和25年東京大学農学部卒業。39年鹿児島大学農学部助教授、42年同大学教授、46年東京農工大学教授、平成2年定年退官、7年東京農工大学学長。14年東京農工大名誉教授。著書に『梶井功著作集』(筑波書房)など
 日経調報告「農政の抜本的改革」を本紙で論議したとき(04年1月20日号)、この報告が示す農政への財界の要求は“相当にきつい要求である。きつい要求でも、事実に即し、筋が通っているなら、望むような「国民的論議のたたき台となる」だろうけれど、この要求、あまりに身勝手…すぎ、かつ筋が通らないところがあるように私には思えてならない”と書き、“そう思う所以を幾つか論じて”おいた。その日経調報告が出たのが昨年の12月だが、その日経調報告に続いて今年の3月に経済同友会が、これは提言として「農業の将来を切り拓く構造改革の加速―イノベーションによる産業化への道―」と題する文書を発表した。
 この提言、日経調報告以上に身勝手であり、独善的に過ぎるし、事実判断について首をひねるところもある。幾つか、所見を述べておきたい。

◆米国の保護政策は無視

 提言は冒頭、旧農基法による保護農政が“構造改革を遅らせ”たといい、それで“日本経済が低成長時代を迎えた今日、競争力の弱い農業は、消費者にとっても、財政にとっても大きな負担となっている”という。
 保護農政という認識そのものが間違っていることについて、私は本紙で何回も指摘してきたし、日経調報告批判でもふれておいたので、ここではくり返さない。1つだけ、たとえば経済同友会がもって範としているらしいアメリカは、このところの“農産物価格の低迷”に対する保護策として、“ドーハ閣僚宣言の方向に逆行するものとして批判がなされている”価格変動対応型支払制度を、短期融資制度や直接支払固定制度といった旧来の施策にプラスして2002年から始めているが、わが国ではこれまでも、また価格低迷がこれだけ続いていてもなお、こうした保護策は講じられていないことを指摘しておく(“ ”の引用は今年の農業白書)。こういう事実にはグローバリゼーションをいいながら目をつぶっているのである。
 グローバリゼーションを強調する経済同友会が目下、一番問題にしていることが、わが国がWTO交渉やFTA交渉で農業問題が障碍になり、交渉の主導権を握れずにいることである。その打開のために“小泉総理大臣も「農業鎖国は続けられない」と述べ”たなどといった上で、“農産物の自由化を求める流れを止めることはできない”ことを強調、“関税の引き下げや関税割当数量の拡大を図り、グローバル化した経済社会に相応しい市場の開放を進める必要がある”という。

◆「日本提案」は国民の総意

 私たちは、この発言がWTO交渉の最中の発言であることを注意しておく必要がある。
 そのWTO交渉でわが国は“各国の農業が破壊されることなく共存していけるような公平で公正なルールの実現”(WTO農業交渉日本提案前文)を目指している。そして「多様な農業の共存」を可能にするこの日本提案の作成に当たっては、農業生産者、食品産業、消費者、市民団体等国民各層から意見を募ったし、“同時に農業交渉に臨むに当たって公式の世論調査を実施した”ことを提案前文でわざわざ書き、その上で提案は“我が国国民の総意に基づくものである”ことを日本提案は強調していた。
 経済同友会、或いは同友会の構成各社はこの“国民の総意”形成にまったく関与しなかったのだろうか。しなかったとすれば会の存在意義を疑わなければならない。したのだとすれば、そのときにどういう意見を言い、それと今回の見解との違いを明らかにすべきだし、交渉のこれまでの情況を見てこういう判断に至ったのだとするなら、その論拠を明確にして発言すべきだろう。が、そういう点への言及はひとつもない。

◆農業は交渉の障害ではない

 たとえば、今日までWTO農業交渉を中断状況にしているカンクン閣僚会議(02年9月)の決裂は先進国と途上国の対立が主因であって農業交渉そのものではなかったことは、周知の事実であろう。農業交渉でもアメリカとアフリカ南部4カ国との間の綿花問題が象徴した、輸出型先進国の国内保護政策への途上国の批判こそが主要な対立点だった。FTA交渉にしても、人の移動や皮革問題など他にもセンシティブな問題があったし、農業についてはどこのFTAでもセンシティブな品目について例外をおいているのが現実なのである。
 といったことなどは一切無視し、しかも“世界最大の農産物純輸入国になっている”という現実は自ら認めながら、それ自体は軽率極まる総理の発言を、得たり賢しといただいて“農産物の自由化”主張を正当化しようとするのは、おざなりにすぎるとすべきだろう。

◆事後チェックでは不十分

 提言は“市場メカニズムの活用や大規模営農の推進など産業的な手法を積極的に取り入れ、これを梃子に強い農業を早期に確立すべきである”という。そのために、“法人営農の推進”をいい、“株式会社等の参入規制の撤廃緩和”を強調、“農地法は、法人による農地や借用・所有を促進するものへと改正する必要がある”と力説している。そして、“株式会社等による農地の所有を認めると、途中で農業を放棄し農地を多目的に利用するという批判がある。こうした事態には、公的機関等が農地の利用状況を監視し、農業目的外の転用に対しては原状回復させ、また、農業関係者以外への転売に対しては強制収用するなど、農地利用の事後チェック体制を確立することで十分対応可能である”という。

◆なぜ企業は農地所有にこだわるのか

 このいい方は、このところ農地所有権取得に執念を燃やしている感のある財界主張の典型といっていい。“原状回復”を命ずる規定はすでにある(農地法83条の2)。が、一旦転用が行われたら、“原状回復”させることが困難を極めることは、農地行政に従事している人には常識である。産廃無断転用などの場合、“公的機関等”の“監視”すら不可能にする企業もある。“事後チェック体制”は事前のチェックがあってこそ有効になるし、参入規制が行われてこそ、“効率的かつ長期的に活用できる経営体”への農地集積も可能になる。利益のためなら何でもやりかねない株式会社のあることを、経済同友会も否定はしないだろう。農地所有権それ自体からは農業利用に限定されている限り、何の利益も生じない。その農地を農業目的で有効に利用してこそ利益は出る。利益の出ない所有権それ自体に資本を固定し、生産資本を減少させることは、まともな企業者の考えることではない。転用売却益を当て込むようなことは経済同友会の意図するところではないのではないか。
 提言は、“株式会社は、資本調達の多様化が可能であり、これまで蓄積してきたコストダウン、ロジスティック、マーケティングなどの経営手法を農業経営の高度化に活用すれば大きな成果が期待できる。さらに、研究開発などによる新たな価値創造の可能性も広がる”という。特区に参入した株式会社が、観光農園などではなく、本格的に農業生産に取り組むなかで、こうした“経営手法”を活用、農業経営としてこれまでの農業生産法人にもなかったような成績をあげるかどうか、注視していよう。特区方式の一般化はその成果をみてからでいい。

◆実態を見ない規模拡大論

 “大規模営農”として、具体的にどういう経営規模を同友会は描いているのか、明確ではない。“農家一戸当たりの耕地面積は、米国の1/123、イギリスの1/43、フランスの1/26、ドイツの1/23と小さい”ことをあげていることからすると、農政が2010年の望ましい農業構造”として描いている構造(たとえば都府県で水田作12ヘクタール、畑作で50ヘクタール)など、小さすぎるというのだろう。“強い稲作経営”として示されているのは“農業従事者1人当たり、10ヘクタール以上の耕作面積が目標となる規模である”という。そうした規模への“規模拡大と生産性向上を追求すれば、米の生産費は、現在比で3割から4割程度削減できる可能性がある”という。
 規模拡大は、農業白書が“実現は極めて厳しい”とした規模を超えているようだが、奇妙なことにそこで“可能性がある”とされるコスト削減効果は案外つつましいようだ。
 この程度の“削減”は、そんな大規模稲作経営にならなくとも、システムのつくりかた如何ですでに実現している。手許にある資料で言えば01年生産費調査が示す01年60kg当たり生産費は1万4258円だが、組織経営体経営調査報告はこの年の全作業受託組織参加農家のそれは1万0025円となっていることを示している。一戸当たり76アールの規模でしかないが、それでいて生産経費は“現在比”で3割の削減を“可能性”ではなく、現実のものにしているのである。勇ましい提言をする前に、現実に日本農業の生産性をあげるのにはどういう施策が現実的なのか、事実から学んでほしいものである。

◆自給率向上は基本法の柱

 なお、提言は“構造改革を実現せずに自給改善を図るのは困難であり、現段階で食料自給率の数値目標を掲げるべきではない”という。
 現在の構造を前提にしても、システムのつくりかた如何では生産性をあげることが可能なことは、今、示した通りである。“困難である”と極めつける前に、自給率改善を図るのに何が欠けているのか、もっとよく吟味してもらいたいものだ―食生活改善指針の実現のために食品メーカーなどは何かやったのだろうか―が、こういうことを提言するとき、“食料自給率の目標は、その向上を図ることを旨とし”定めるべきことが食料・農業・農村基本法第15条に明記されていること(ついでにいえば、この“その向上を図ることを旨とし”は国会修正で特につけ加えられた一句である)を、経済同友会はどう考えたのだろうか。この法律の下で、“自給改善”に鋭意努力していることも、WTO農業交渉での各国農業の“共存”を求める主張の裏づけになっていることを考慮に入れるべきではないのか。 (2004.7.14)


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