農業協同組合新聞 JACOM
   

シリーズ・どっこい生きてるニッポンの農人(1)
現地ルポ―輝く明日へ 個性豊かな農に生きる人々
大豆栽培から元気な村づくりへ
都会の住民を引きつける「イモリ谷」の多彩な人々
――集落営農のパワー――
安心院町松本集落(大分県)


◆村づくりで天皇杯

「安心院町松本イモリ谷」の看板
「安心院町松本イモリ谷」の看板
 専業農家の荷宮英二さん(46)から渡された名刺に思わず、にやりとさせられた。住所が「安心院町松本イモリ谷」となっていたからだ。
 大分県宇佐郡安心院(あじむ)町に松本という集落はあるが、「イモリ谷」という地名は正式には存在しない。この集落を上空からみると山あいに広がる水田がちょうどイモリのような形をしていることから通称になった。
 宮沢賢治の作品にでも出てきそうな名前である。それを名刺に印刷していることに夢と人々の思いが感じられる。
 松本地区は全戸数56戸。人口170人あまりの集落だ。水田面積はあわせて34ヘクタール。この地区は昨年(16年度)、農林水産祭むらづくり部門で天皇杯を受章した。集落営農による大豆づくりやグリーンツーリズムなどの取り組みが高く評価されたのだ。


◆集団で大豆転作に取組む

 もともと松本地区は米どころとして評判でいわゆる収穫から乾燥調製まで自己完結型の営農が伝統。転作には農家個人の判断で取り組んでいたが生産調整目標は未達成が続いていた。
 それが集落がよりよい村づくりに向けて大きく動き出すことになったのは、平成12年に安心院町が独自の転作助成金を導入したことだった。50アール以上を団地化して大豆生産に取り組めば10アールあたり4万円を国の助成に上乗せ。
 当時の区長、佐藤勉さんは区長会でこの話を町から聞くと、集落の農業を変えるきっかけになると話し合いに力を入れた。国と町の助成をあわせれば米づくりよりも有利になることを説明、そのためには集団で取り組み水田を団地化しなければならないことなどへの理解を求めた。
 大豆の生産はそれまではほとんどがいわゆる捨てづくり。集団転作の経験はなかったが作付けが始まるまでの約2か月間、週に3回もの話し合いの場をもったという。
 その結果、集団転作を実現するには営農組合が必要だとの判断から12年の5月に立ち上げる。町内の集落では初めての試みだった。これによって大豆栽培も個々の農家が機械を新たに購入するのではなく、営農組合が機械を準備して共同利用を進めたり、作業の受委託を行うことが可能になった。
 12年の夏。集落の風景が大きく変わった。17ヘクタールもの水田に一気に大豆が作付けられたのである。「水田には米」という常識を自らの手で打ち破り、「なによりもみんなで農業生産に取り組もう」という気持ちの変化が出てきたという。
 翌年からは集落の水田を南北に分け、一年置きに米と大豆を生産するようブロックローテーションを組む。営農組合の設立によって農地の利用計画と作付け作物などを集落の合意で決めるという先駆的な取り組みが始まったのである。


◆アンテナショップで「イモリ谷」まるごと売り出しへ

 大豆の品種は「むらゆたか」。赤土が多い土壌で味がいいとの実需者から評価が出た。そのうち松本産の大豆でぜひとも豆腐をつくって売りたいという人が出てきた。
 きっかけになったのがホームページだ。実は松本集落では若手10組の夫婦で結成し都会との交流などに取り組む「安心院松本イモリ谷苦楽分」がある。
 代表の小野剛臣さんはブドウの専業農家。「集落には以前から、人が集まってわいわいやることの大好き人間がいた。ある年、ホタルが乱舞しているのを見てホタルコンサートを企画したり。田舎の楽しみを都市におすそわけしようという気持ちで始めたものです」。
 コンサートのほか映画上映も行っているが、何といっても注目されるのはホームページの立ち上げだろう。町や村なら今では当たり前だが、集落のホームページはおそらく全国にないのではないか。イモリ谷からの情報発信そのものが会の活動にもなっているといえ、大豆づくりに集落をあげて取り組んでいることを、いずみ産業という地豆腐づくりに力を入れる企業が知った。
 同社は集落でつくられる大豆を「石臼挽きの豆腐」というこだわり商品にして大分市内に専門店を出店する計画を立てる。店名は「豆の力屋」で、コンセプトは「松本イモリ谷をまるごと売る店」だった。つまり、イモリ谷のアンテナショップである。
 この計画が伝わると集落では女性や高齢者が中心になって「いきいき松本生産販売部」をつくり、野菜や加工品の出荷を行うことを決めた。
 今は、毎朝、7時すぎに営農センターにメンバーが持ち寄ってくる。耕作放棄されていた土地にも作物が栽培されるようになったり、漬け物など地域の伝統的な味の復活や維持にもつながっている。
 大分市内のアンテナショップには店長さんやその店員が運ぶ。実は2人ともこの集落の住人なのだ。しかも店長は、イモリ谷に惚れ込んで新規に農業をやろうとやってきた人。それがアンテナショップの責任者として抜擢されたのである。
 集団転作への取り組みが人と人のつながりを生み、イモリ谷全体を活気づけていくことになった。こうしたなかから松本集落の大豆を使った納豆製造や米を使った清酒「イモリ谷」などのブランド品も開発している。ブドウ農家では地域ブランドのワイン売り出しも検討している。


◆活発になった集落内の交流

 村づくりの活性化には転作だけでなく12年度からスタートした中山間地域直接支払い制度も大きく影響した。集落協定を結べば年間に600万円程度の交付金が見込まれた。
 これを個々人に支払うのではなく集落の中心に営農センターを建設する費用にあてることにした。
 さらに地域には古くて狭い公民館しかなく、人々の思いは「みんなで集まれる場所がほしい」という点で一致した。そこで営農組合員ではない人々も含めて全戸で一律10万円(5年間)を拠出することに合意。こうして営農センターを「みんなの公民館」として建設することができたのである。
 現在の区長の松井義彦さんは「今年の利用回数は120回。ですからこの5年間で400回以上は利用していることになります。話し合いの拠点ができたことで合意がスムーズに得られたり、新しいアイデアも出てくるようになった」と話す。
 松本集落の特徴は、幅広い年代の人たちが集落の活動を決める場に常に参加していることだ。7人いる集落の役員のうち4人は40代から50代前半だ。荷宮さんも「若い世代にも役割と責任を持たせる懐の深い村」と胸をはる。20代の後継者もいて、今後の集落営農の中心的な担い手としても期待されている。
 大豆や農産加工など農業生産だけではなく集落全体でのグリーンツーリズムも積極的に行っているほか、都会からの移住者も多く集落には空き屋がない。

  ×  ×  ×

 転作の助成金は米改革や町の助成の見直しで当初の半額に減った。大豆づくりも厳しい状況にある。しかし、大豆づくりがここまで松本を活気づけ農産加工品の販売などに結びつくという好循環を作ってきたことは確かだ。地域の人々もそれを分かっている。
 ホームページを運営している「イモリ谷苦楽分」ではネット販売も検討中。営農組合の法人化も課題だ。集落の人々は今や「イモリ谷」の梁山泊の感もある営農センターに今夜も集まり知恵を出し合っていることだろう。
 「都会に出ていった人がいつでも安心して帰れる集落にしておきたい」とみな口をそろえて話していた。
営農センターに集まってくれた松本集落の人たち
営農センターに集まってくれた松本集落の人たち
(2005.1.12)

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